魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

魔法使いになりたい

 魔法使いになれたら、魔術師になれたら、どんなにいいだろう。僕はよくそんなことを思います。これは比喩ではありません。僕は本当に魔術師になれたらいいな、と思っているのです。

 それで、魔術について、色々と考えます。魔法について。そうしていくと、本当に色々なことが見えてきて、現行の科学が一種の占いに過ぎないことに気づきます。

 科学と占いはさして変わらないのではないかと思うのです。科学は、データをたくさん集めて、統計を取り、そして、一つの判断を導き出します。占いも同じです。タロットカードなら、どんな時にどんなタロットカードが出やすいかをたくさん観察して、統計を取り、そして、判断を下す。科学と占いには異なるところがありません。

 それに、科学は、さほど絶対のものではありません。間違っていることもたくさんあります。

 僕は、できることなら、一つの魔術師として、そうした誤りを正していきたいのです。自分の観察によって。

 絶え間ない観察は、絶え間ないデータ収集を産み、絶え間ない統計を産みます。個人でこれを行うのです。それを僕は魔術と呼びます。

 そのようにして、僕は、僕だけの魔術を創っていきたいと思っています。そうして、たくさん勉強しています。魔術に関連することも、その他あらゆる分野に関することについて、自分なりの仕方で、勉強しています。

 おそらく、魔術においては、この自分なりの仕方で、というのが最も重要なのだろうと思います。魔術はメジャーなものではなく、マイナーなものです。メジャーな統計は単に科学と呼ばれるでしょう。

 僕が積極的に注目したいのは、このマイナーな統計です。マイナーな統計は、大規模な組織による研究ではなく、個々人が独自に情報を収集することで行われるものなので、あまり公にもなりませんし、どちらかと言えば、普遍的というよりも、非常に個人的な技術の集積となります。

 そして、僕の意見では、この個人的な技術としての、マイナーな技術の集積によって、よりマイナーな技術、つまり、魔術を生み出していけると思うのです。もちろん、メジャーな統計からも、それなりに得るところはあるでしょう。僕もそれは認めます。

 しかし、それは、メジャーであるがゆえに、誰でも知っていることです。魔術とは、異種の技術のことです。当たり前のことではなく、みんなが見て、思わず、あっと驚くようなそんな希少価値の高い技術のことを言うのです。

 例えば、僕は、サイコキネシスなどの超能力などについて研究したいのです。サイコメトリーと呼ばれる超能力は、特に実現可能性が高いというふうに思います。

 突き詰めていくと、色々なことは、謎に包まれていることに気づきます。知れば知るほど、謎は深まります。

 一時は、全部分かった、と思っても、それはまだ全部ではなく、ほんの一部でしかありません。

 人間が、全部についてわかるだなんてことは起こらないのかもしれないです。

 僕は今のところ、ジル・ドゥルーズというフランスの思想家の『千のプラトー』という著作を参考にしながら、魔術研究を行っています。

 統合失調症解離性障害などの精神の病気も、魔術には非常に密接に関わっているというふうに考えています。

 僕自身、統合失調症という病気を抱えています。その病気の体験が非常に不可思議なもので、何か啓示的なものを感じました。おそらく、人が「神の啓示」、などと呼ぶのは、こういった体験のことなのだろうか、そんなことも思ったりします。

 統合失調症に見られる、関係妄想などは、ユング心理学の、シンクロニシティという概念が参考になると思っています。意味のある偶然の一致のことを、このように呼びます。

 おそらく、サイコメトリーサイコキネシスもこのシンクロニシティをうまく活用できれば、実現可能であろうと、考えています。

 東野圭吾の作品に、『ラプラスの魔女』というものがあります。ラプラスの悪魔という、有名な概念をモチーフとした小説です。もしも、並はずれた直感能力があったなら、人はどうなるだろう? という感じの作品で、とてもおもしろかったです。シンクロニシティについて考える参考になると思います。

 科学技術は、数式を見ていても、量子力学を見ていても、とても不思議で、幾つものインスピレーションに溢れており、それ自体、直感的なものです。

 論理で理詰めで考えるというよりも、どちらかといえば、直感的なひらめきがより重要であるというような印象を受けます。その意味で言えば、科学もまた、一つの魔術たりえるのですが、しかし、それも、マイナーな科学に限ります。そして、大体、科学と呼ばれるものは、ほとんどが有名なものです。だから、より正確に言うなら、マイナーな科学というのは、語義矛盾でしょう。科学はマイナーではなく、メジャーなものです。

 僕は、僕と同じく、魔術の深奥を極めたいと思っている人のことを応援したくて、このブログを書いています。これから、さまざまなことを書いていきますが、どうぞお付き合いいただければいいな、と思います。

 僕は、ものすごく本を読みます。

 以前にネットで、「一年で一万冊読む」という記述に対し、「そんなのあり得ない」と書き込みされていたのを見て、僕はとても不思議に思いました。

 一日三十冊も読めば、一万冊は達成できてしまいます。そして、一日三十冊読むことは、読み方にもよりますが、さほど難しいことではありません。

 最近は、速読に対し風当たりが強いみたいですが、僕は速読もちゃんと存在していると考えています。それについても、おいおい書いていくので、ビジネスなどの参考にしたい人の役にも立てるかもしれません。

 何せ、魔術師は、マイナーなのが生業であり、人のしないようなことまで手を広げて、積極的に行っていかなくてはなりません。したがって、知識がどんどんたまっていきます。そういった、たまった知識が、僕の頭の中で発酵して、良い具合に熟成されてきます。その熟成された情報を私はみなさんに差し出します。

 実を言うと、ちょっと、グーグルアドセンスに興味があるということもあります。突然やって見たくなったのです。思い立ったが吉日と言います。さっそくやってみよう! ということで、このようにブログを始めてみました。

 グーグルアドセンスをおやりになっている方など、気が向いたら、生温かく見守ってやってください(笑)

 機械はどうにも苦手なので、注意して勉強していかないとな、と思っています。以前にプログラムの勉強も少ししたのですが、「これは何に使うんだ!?」という謎の強迫観念のために、断念しております(笑)

 でも、こないだ、アルゴリズムの本読んだんですよ。すごいでしょ? えっへん!

 僕は、語学などもしていて、学習方法についても、かなり研究しています。結果、やはり、速読が語学の上達のためには重要であろうと考えるに至っております。ただし、速読の他に、継続も必要ですね。「継続は力なり」、という言葉はまさにそうだと思います。グーグルアドセンスは、一年くらいは継続が重要とのことですので、取りあえず、一年くらいブログを続けてみようと思います。

 最近は、人類学の勉強しています。『ふらいんぐうぃっち』というアニメを見て、その中のキャラクターが人類学を勉強していたのです。それで、僕も、人類学を勉強したくなりました(笑) 我ながらしょうもない学習動機ですが、動機なんてまあ、そんなものだろうと思います。このブログもできれば、長く続くといいですね。よろしくお願いします。