魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

魔術の合理性と直観について

 魔術の合理性についての見解です。

 魔術というのは、要は、科学から数えこぼされた、マイナーな技術なのだと思います。

 統計で、「誤差」と判断されている部分。

 本当はそれは誤差ではなくて、意味のある値なのだろうと思うのです。賛否両論な所かもしれません。

 多分、この誤差、という概念にもしっかり理論づけする方法があるはずなのです。ただ、現行の科学の手の届いていない範囲でもありますので、ある程度独力で開拓する必要がある土壌です。こういうところに魔術というのは根付くのだと思います。

 なので、こういう部分を、独力で開拓していくことが、魔術師のすることなのではないかと。

 誤差で済まされる部分があるということは、その統計から取りこぼされている人々が存在するということですので、そうした人たちに向けて情報を発信するのは、ニッチですが、ある程度、需要のある事かと思っています。

 取りこぼされているというと、なんだか悪いイメージに聞こえるかもしれませんが、要はマイナーだということですので、そういう方は一種の魔術師なのだと思います。

 世の中には色々な願いがありますが、願いというのも、人によって、魔術師によって、それぞれです。

 いろんな人がいますね。

 お金が欲しい人。

 名誉が欲しい人。

 友達が欲しい人。

 恋人がほしい人。

 作家になりたい人。

 プログラマになりたい人。

 先生になりたい人。

 僧になりたい人。

 その他もろもろ。

 全部、それぞれにバリエーション豊かでおもしろい欲望ですよね。良いと思います。

 そうすると、欲望をどのようにしたら果たせるのかとかも気になってきます。

 お金が欲しいという場合なら、お金を稼ぐ方法とか。これにも色々なものがありますね。世の中には色々な仕事があります。

 そして、おそらく、その中にも、「誤差」として度外視されているお金を稼ぐ方法があると思うのです。今、遊びとか無駄とかみなされているものですね。そういうものの中に未来へのヒントがあるのだと思います。

 そういうものを見つけていくのが、多分、魔術の醍醐味なのだろうな、と思います。

 さーて、それはどこにあるんでしょうね?

 実は、僕にも分かりません。

 だから、今、探し中です。

 一体何をどうすればいいのか、何がどうなっているのか、何も分からない、という気持ちがあるとすれば、それは僕にもよくわかります。

 いろんなことは考えだすと切がないですし、思考を積みかさねると、最後には思考が矛盾を来し、成立しなくなってしまうと思います。それで、「これはどういうことなのだろう?」と悩む。そういうことはあるでしょう。

 でも、考えるだけ考えつくしてみて、ある地点に到達すると、すっと霧が晴れたみたいになることがあります。

 そういう時は、なぜか、直観で色々なものごとが判断できるようになります。これは、それまでの思考を積みかさねる方式の認知とはどこか異なった形ですよね。

 直観。

 そして、直観で行動しているときは、不思議な気持ちになります。すごく悲しいのに、すごく楽しい気持です。これも、多分、少なくとも一般的には矛盾しています。

 思考は積み重なってある地点まで来ると、直観へと変わって来るみたいなのです。でも、それは直観なので、思考で説明ができない。

 一応は、こうして説明することはできますけど、多分、本当にみんなに伝わるようには書けないのだと思います。

 こういった機微を伝えるのには、あるいは、通常の記事よりも小説の方が向いているのかもしれません。

 人の心の感動を起こすものというのは、大きな問題へと立ち向かう固い決意なのだと思います。

 大きな問題への認識には、ある意味で、ネガティブな思考が必要ですね。問題がどれだけ大きいのかということを知るためには。逆に、それに立ち向かうためには、一種のポジティブな楽観が必要になってきます。完璧に悲観的なだけでは、自殺してしまうかもしれません。

 だから、ネガティブでポジティブなことが、人の感動を起こすみたいです。これも、どうも一見したところ、矛盾しているようにも見えます。

 世のなかには、こういうパラドックスみたいなことがいっぱいあって、そのたびに、先述した直観の状態が引き起こされてきます。

 直観というのはそれ自体、不思議なものです。

 どうも、言葉を尽くしても尽しても説明しきれないみたいなのです。

 面白いですよね。どうして、説明できないのでしょう。思考じゃないからでしょうか。

 もしかしたら、直観と直感は似て非なるものかもしれません。

 直観は論理の果てにたどり着いたもので、直感は論理を経ることなくたどり着いたもの、みたいな。

 どちらが正しいのかはわかりませんが、この二つがすごく似ているということは言えるのだと思います。見た目が。

 そう考えると、論理とは何か、という話になってきます。そのようにして、論理について思考していくと、また、例のパラドックスが起こってきます。このパラドックスは本当にどこにでもあるのです。

 ただ、それが悪いことなのかと言われると、そうでもなくて、僕に、一種の直観をもたらしてくれます。

 だから、あながち悪いことばかりではない。そんなこと言ったら、この世界のほとんどすべてのものは、悪いことばかりではないとは思いますけど。

 魔術の合理性というのは、この直観と、どのように関連するのか、興味深い問題だと思います。

 おって検証していきたいです。