お金は様々な形に変わりますね。コップにもなりますし、食べ物にもなりますし、株にもなります。
逆に、コップや食べ物や株は、お金に換金できますね。だから、これらのものもお金の一種なのです。
これらのお金のことを、「資本」と呼ぶことにしましょう。
さて、ここで、注目すべきことは、僕たちの身の回りにあるありとあらゆるものが資本であるということです。団扇もクーラーもウォークマンも、全て資本です。もっと言ってしまえば、本も資本ですので、情報も資本です。情報が資本なのなら、情報を取り入れることで構成されていくその人の精神も資本です。「心が豊か」などの表現がありますね。これは、精神資本が豊かな状態です。これが、極まると、その人のことを、「精神の貴族」と言うこともあります。これは、精神資本を大量に保有している状態で、もしかしたら、いわゆるニートやヒモと呼ばれる人達の中にもそういう人はいるのかもしれません。「高等遊民」とかいう言葉もありますね。精神資本は、なかなかどれだけの量を持っているかを外からは判別しづらいかもしれないので、むずかしいところですが。同じように、地位や名誉も資本ですね。これらはお金になります。これを大量に保有している人を、「血統と位階の貴族」と呼ぶことがあります。これは、いわゆる、僕たちの貴族のイメージに近いのではないでしょうか。そして、いわゆる日本の「円」ですね、これも、勿論、資本です。紙幣も貨幣も。これを大量に保有している人を、「財力の貴族」と言うことがあります。これらの貴族の話が知りたい人は、ショーペンハウエルの本を読んでみてください。
ポイントとなるのは、資本は様々な形に化けますが、この中には、税収に引っかかりづらい資本が多くあるということです。おそらく、最も引っかかりづらいのは、精神資本や情報資本でしょう。測定が非常に難しいですし。したがって、理論的には、精神資本を蓄積することで、効率よく税収を免れることができるのですが、どうなのでしょうね。おもしろいところだと思います。
それにしても、精神に量があるという考えはおもしろいと思いませんか? たしか、クラウゼヴィッツの本にも出てきました。精神の量。
この精神資本の量によって、出てくるアイデアや行動力、情報統制能力、感情のコントロール能力、それらは大きく変わってくるものと思います。
精神資本の話はとりあえずおいておくにしても、おもしろいのは、資本は適切なタイミングで転形すると、税収を免れることができるということですね。これが法に引っかかれば脱税になりますが。多分、法の網の目を掻い潜って、資本を転形し、合法的に脱税する人もいるものと思います。こういうことは、脱税とは呼ばずに、資産管理と呼ぶのでしょうけど。
なので、逆に言えば、お金の動かし方によっては、お金を動かすだけで、利益が上がるのです。株への投資などは、この一例となります。そして、その投資の技術は、技術資本に当たりますし、技術資本の学習能力は、精神資本や情報資本、あるいは学習資本によってくる……という具合に、ありとあらゆるものを資本として考えることができます。
そのようにして、世界では、くるくると、資本が回っております。まったく、疲れないものかと思いますが、彼らは今日も回り続けます。ぐるぐるぐるぐる。
このように考えてきますと、では、その資本はどこから生まれたのかが気になってきます。資本は有限なのか、それとも無限なのか、とか。
しかし、これは不明です。なぜなら、資本の形態は、全く多岐にわたっており、僕たちにとって、未知のものを含めると、まさに無数であるからです。プルトニウムは、核技術がなければ、あまり役に立つ資本ではないでしょう。しかし、核技術資本が現れることによって、プルトニウムは、莫大な資本へと化けたわけです。このように、資本はどうも創造されることがあるようです。創造というか発見というか。
そうなってくると、一体、全体の資本がどのくらいに及ぶのかということは皆目見当がつかなくなってきます。
あまりにも、資本転形の機序は複雑ですし。
例えば、このブログも、情報資本に当たり、その資本は、僕の精神資本から出されています。そして、うまくいくと、僕から出た資本がぐるぐると回りに回って、僕のところに返ってきます(どんな資本形態でかはわかりませんが。それは精神資本かも知れないし、情報資本かも知れないし、米かも知れないし、にんじんかも知れません)。もっとうまくいくと、そこには利子がついています。こういった一連の運動を「投資」と言います。
簡単に言いますと、僕は、僕のブログを読んでくれる方々に投資しているのです。その意味では、ブログを書くというのは、ひとつのビジネス。
僕は今、もっぱら、情報資本を扱っていますので、いわば、情報ビジネスの会社を経営しているような状態になります。しかし、現在の法律資本の投資状況ですと、ブログ(すくなくとも商業利用していない場合)資本は会社資本とは計算されないので、さっき言った、合法的脱税の状態が生じます。
また、名誉資本なども、計測が難しいので、合法的脱税が容易になります。例えば、大金持ちが、大きな寄付を行った場合、お金の形でそれを所有していれば、莫大な税収がかかりますが、名誉資本に転形してしまえば、その税収を全てカットすることができます。
このように、利他的な行動とは、商売の基本となっております。
もちろん、できることなら、こんなことは考えずに、とてもクリーンな心で、利他的な行動を行ったほうが、心象が良いでしょう。その場合、一種の名誉資本がその人に蓄積されます。
僕もできれば、こんなことは書きたくないのです。まるで、僕が金勘定ばっかりしているみたいじゃないですか(笑)
本当は、僕は、どちらかと言えば、こういうことには無頓着な人間なんですよ。本当ですよ?(笑)
ただ、色々な本を読んでいくと、色々な精神資本が蓄積されて、色々な思考が頭の中をめぐるのです。その内に、こう言った考えを思い付くことがあります。その一環にすぎませんので、くれぐれも、この文章だけで僕の人格を判断しないでください(笑) お願いします。
投資のメカニズムについて。なぜ利子が出るのか。これは、時間資本が換金される為です。投資というのは、今現在お金がない人に、これからの努力の時間を約束として示した人に、資本を貸してあげる行為です。今現在の資本形態ではなく、その後の時間資本が転形されたあとの未来の資本を前提にして話しているのですね。その意味では、この時間資本は、未来を見すえる情報資本も関わっていますし、学習資本も技術資本も、色々な資本が総合的に関わっていますね。面倒くさいので、全部、精神資本って言ってしまいますけど。なので、投資は、未来を見据える能力がお金に換金されているというふうにも言えます。見越した分の未来時間資本が換金されてくるわけですね。そうして、その企業なり人なりがうまくいけば、利子付きで、こちらに帰ってきます。わーい。
今回のポイントは、あらゆるものが資本であるということです。その辺の石ころも厳密には資本です。いつプルトニウムになるか分かりませんよ。楽しみですね。石ころを集めておくのも手かもしれません(冗談です(笑))。
僕は、あまり、経済や政治には明るくない人間ですので、論理が雑なのは、勘弁してください。ただ、それでも、何かを読みとってくれる人がいれば、幸いです。
簡単にまとめると、世界がよくなれば回り回って自分の生活も良くなる、ということです。以上、経済術の概略となります。
「完全犯罪」というのは語義矛盾ですよね。犯罪と法的に認定される時点で、それは完全ではありません。みなさんも犯罪には十分ご注意ください。
とはいえ、犯罪は、おそらく、資本の幾多の不足により、余裕を失い起こることもあるかと思います。
そう考えると、僕なんかは、なんだかどうしたものか、一概に責められない気がしてきてしまいます。犯罪者を。
世界がよくなれば、彼等の生活も良くなりますね。そうすれば、犯罪も減るかもしれません。そう考えると、ブログをする意義というのは、小さいようで、とても大きいですね。もしかしたら、誰かの心の支えになれるのかもしれませんから。これほどうれしいことは、なかなかないのではないでしょうか。いわば、「愛資本」ですね(笑) 非常に優れた資本の一つだと思います。
ブログをすれば、その意味では、誰でも、「舞台」の上にあがることができるのだと思います。
経済術というのは書いていてあまり気持ちのいいものではありませんね。経済的観点ばかりで話すと、他人に嫌われますし(笑) みなさんもご注意ください。お釈迦様すら、経済機構だとなったらもう……
お口直しに、LamazePの『難聴系男子が倒せない』を送ります。かわいいから(笑)
一応、ちゃんとしたのもつけておかないと(『難聴系男子が倒せない』がちゃんとしていないというわけではありません。言葉の綾です)。
「ほら舞台に上がりなよ わかってんでしょ 君も共犯者だ」(Neru,『イドラのサーカス』歌詞より引用)
P.S.最近、Neruさんの曲にはまってます。いいですねえ。かっちょいい。
みなさんが遥か遠くまで行けますように。心よりお祈り申し上げます。