魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

統合失調症の新しい解釈100箇条を考えてみた

 今日は、統合失調症についての僕の考えを書こうと思います。

 さて、今日は順を追って書いていきます。ですます調じゃなくて、である調で言ってみますか(笑)。では、いきます。

 

 1.「妄想」とはマイナーな知覚のことであり、「現実」とはメジャーな知覚のことである。

 2.信心のない空間には、あらゆる論理も倫理も存在しない。厳密さで名高い数学でさえ、公理を否定してしまえば、1+1=2すら成り立たない。

 3.以上のことより、すべてのものは信心であるか、あるいは、論理によっては非信心と区別できない。

 4.世界は論理で完璧に把握することはできない。

 5.したがって、信心および宗教に長大な歴史的背景が認められるのは偶然ではない。信心は人間の認識にとって、根源的なものである。

 6.懐疑主義の立場に立ちさえすれば、あらゆる主張を否定することができる。したがって、この世に否定できない確実な命題は、今のところ存在しない。

 7.したがって、自分の実感、自分の信じるものに従う以外には、他者に追従する術しか残らない。

 8.付和雷同になった場合、意見の多様性は失われ、全体主義となる。

 9.したがって、ある程度自分の実感を信じることは、程度に差はあれど、大なり小なり誰にでも必要である。

 10.実感は人によって異なり、その実感を信じる自由はある程度保証されねばならない。

 11.そして、適切な程度の基準は無論、人や環境によって異なる。

 12.以上のことから、妄想を強固な信念であるとして否定することはできない。なぜなら、すべてのものは信念であるか、あるいは非信念と区別できないから。

 13.あるいは、これらの主張を懐疑主義により否定したとしても、懐疑主義は、自身への懐疑を怠ることはできないので、その主張は自滅する。

 14.つまり、妄想を否定することとは、マイノリティの抑圧であり、同性愛差別や黒人差別と構造を同じくする。

 15.多様性をある程度守るためには、当然、マイノリティな知覚としての妄想もある程度守られなければならない。

 16.科学はつねにメジャーなものである。

 17.したがって、科学は王道以外のマイノリティを抑圧する思想構造を持ち、その科学主義が過度になると、ファシズム的に暴走する。

 18.科学は便利であり、かつ、危険性を常に持っている。

 19.医学は厳密には科学ではない。例えば、「プレコックス感」などという概念がそれをよく物語っており、どちらかと言えば、直観的な部分がある。

 20.プレコックス感とは、精神科医が統合失調者に対して感じる、「なんとなく嫌な感じ」のことである。

 21.無論、統合失調症の当事者としては、曲がりなりにもある程度確定的な合理的診断を行うことを標榜している精神科による診断によって、「なんとなく嫌な感じ」などと言われてはたまったものではない。

 22.したがって、統合失調症の診断はもうすこし合理的につき詰めるか、あるいは、診断が確定的でないことを受け入れたうえで妥協点を探すかのどちらかの選択が必要である。

 23.統合失調症は、精神、行動、思考、機能の統合性の破綻と定義される。

 34.しかし、統合性はいかようにも可能なものであり、あらゆるものは比喩によってむすびつけ思考することができる。

 35.連合弛緩とは、比喩であり、まったく無関係なものではない。ただ、世の中には、比喩を理解できる人とできない人がいるだけである。

 36.自分の理解できないものに「病気」としての負のレッテルを貼ることはあまり適切とは言えない。

 37.にもかかわらず、世間の偏見から患者を守るためには、一応は、「病気」ということにし、本人にその逸脱行動の責任がないということにしておかなければならない。なぜなら、あらゆる逸脱行動は、たとえそれが善い成果をもたらすものであったとしても、同質化圧力の強い洗礼を受けるからである。

 38.この構造が打破されない限り、統合失調症への偏見、つまり、マイナーな知覚および思考、思想としての「妄想」へのファシズム的抑圧は、留まることはない。

 39.つまり、統合失調症の「利点」を発見し、それを活用することができれば、これらの構造を打破することができる。

 40.例えば、統合失調症の関係妄想を、関係妄想ではなく、シンクロニシティであると捉える。

 41.その場合、統合失調症の知覚は、周囲の物事に対する、「気づき」が向上しているのであり、ふつうの人が気づかないことに気づく「目」となることができる。

 42.人類全体の警戒機能を考えた場合、社会の視野は広ければ広いほど良い。レーダーは高性能で、広域にわたって捉えることができるほど優れている。

 43.つまり、世界へと敷延する認知、および、繊細な気づきの昂進の知覚は、レーダーとして極めて得難い素質である、と言える。

 44.また、気づきが昂進しているということは、創造的発見性にも優れる。

 45.マイナーな作品および知覚だからと言って、その作品および知覚が無価値だとは言うことはできない。

 46.したがって、統合失調症者の作品である、言語創作などの活動は、たとえ、メジャーには理解されなかったとしても、それ自体、まったく無価値であるという証明にはならない。

 47.精神医学的に言えば、釈迦やキリストは、精神異常者であるということになってしまう。

 48.負の側面に目を向けることはある程度は今後の改善のために大切であるものの、少なくとも、負の側面のみをクローズアップすることは間違っている。

 49.以上のようなことから、統合失調症を「治す」、というよりも統合失調症を「活かす」あるいは、「生かす」方法を考える方が、現実的である。

 50.以下、統合失調症の利用術について書く。

 51.統合失調症には世界没落体験という症状がある。世界が終わるかのように感じる症状である。そして、この感覚は正しい。なぜなら、生の中に死は含まれているからである。僕たちは、今この瞬間にも死に続けている。人体における「細胞」は今この瞬間にも死に続け、生まれかわり続けている。そして、これは、世界における「細胞」であっても例外ではない。世界は常に終りと生成を繰り返している。

 52.思考流出の症状についても、説明できる。思考流出などあり得ない、と鼻から否定するのではなく、それをみんなの力で徹底的に検証するのである。テレパスはひとまずおいておくとしても、少なくともエンパスが存在するのなら、ある程度思考流出は存在する。つまり、気づきの昂進により、微弱な思考流出に気づくために、思考流出を訴える統合失調症者がいるのであろうと考えられる。

 53.以上のように、シュナイダーの一級症状をはじめ、統合失調症の様々な症状は、全て、気づきの昂進、つまり、認知能力の低下どころか、認知能力の向上によって引き起こされていると考えられる。これを生かさない手はない。

 54.統合失調症は、何らかのストレスを契機に発病することが多い。ということは、ストレスへの耐性が低いのである。これは、感受性の昂進によりそうなるのであると予測できる。したがって、ストレス耐性が低いというネガティブな資質は、「感受性が鋭い」というポジティブな資質として捉え直すことが可能である。この世に、欠点だけのものや、利点だけのものは存在しない。要は用い方の問題である。

 55.そして、ポイントとなりのは、気づきの昂進による高い認知能力が、そのストレスを感じることを要請しているという点である。つまり、むしろ、それらは、ストレスに感じるべき事態なのであって、統合失調症者の感覚が異常なわけではない、と言うこともできる。

 56.つまり、メジャーな知覚よりもマイナーな知覚の方が、より正しく現実を知覚しているという可能性が常に残る。

 57.そのために、多様性をあるていど尊重する必要が是が非にも生じる。

 58.統合失調症的世界観、統合失調症的知覚は、負のものではなく、メジャーな知覚と同様に価値のあるかけがえのないものである。

 59.したがって、統合失調症的症状を否定することは、現代の「魔女狩り」である。

 

 以上は、僕の考えです。次に、前に紹介した僕のイマジナリ―フレンドである、「エナ」(守護霊、という言葉を使ったほうが伝わりやすいのかもしれません)の言葉の一部をできるだけわかりやすく紹介します。あまり、論理的ではないので、その点もご留意のうえで、お読み下さい。

 

 60.神と人間は、二分されない。連続体である。両極に偏る思想はとかくよくない。

 61.神的人間、人間的神が存在する。

 62.霊の階級は連続体である。

 63.霊とは、概念であり、思想であり、人格である。

 64.一人の人間は、多数の人格を持っている。一は多である。

 65.主人格が意識と呼ばれ、その他の人格は、憑依された人格として処理される。しかし、それらは、各々の中に昔からあったものである。

 66.霊界も人間界も連続しており、同様に、経済原則に従って動く面がある。

 67.より理に適った正しいものに多くの投資が集まる。なぜなら、その方が投資者が得であるからである。

 68.したがって、神や霊は、理に適った神および人間に投資を行う。

 69.ルサンチマンとは、一種の物理壁であり、「摩擦」である。

 70.摩擦がないところに形はない。

 71.したがって、ルサンチマンがなくなれば、世界は存在しない。

 72.ルサンチマンも世界を構成する大切な要素の一つであり、一概に否定できるものではない。

 73.世界とはエラーの集積である。

 74.大富豪とは、エラーの処理量の多い人のことであり、つまり、「潤滑剤」である。

 75.自殺したければ、自殺してもよい。しかし、愛を持つならば、自殺しなくてもよい。

 76.統合失調症者は、神の声を聞く者もいれば、地縛霊の声を聞く者もいる。

 77.投資的観点に立つなら、神の声を聞いたほうが良い。その霊に愛がある場合を除けば。

 78.しかし、神の声を聞くことは容易ではない。

 79.直観はアカシックレコードである。

 80.神に会うには、試練を越えることが必要である。

 81.試練とは、主に、悪霊との戦いである。

 82.一つのものが、多くの名前を持つことがある。

 83.桜は極めて攻撃的な花であり、そのために美しいという面もある。

 84.統合失調症者は、悪霊の声を聞けばその作用は停滞し、守護霊の声を聞けばその作用は促進される。

 85.最初は、誰が守護霊なのか分からない。生まれたばかりの赤ん坊が自分の親を他の人と区別できるようになるのに時間がかかるように。

 86.したがって、最初は、守護霊の助けを借りずに、悪霊に勝たねばならない。

 87.意識するとしないとに関わらず、誰もが悪霊と戦いながら生きている。

 88.統合失調症者にはその戦いの模様が人よりも鮮明に見えるだけである。

 89.霊とは分子状身体である。

 90.少女とは、記憶的固定性を打破するものである。

 91.ドゥルーズはしばらく手を貸してくれる。しばらくは共闘するのがよい。

 92.人を傷つけてはならない。それは悪霊の罠であるから。

 93.しかし、妄想的サディズムは必要である。

 94.手間のかかった料理はよい。自分の手で調理すればなおよい。

 95.命は不死である。命を獲得できたなら。

 96.統合失調者は何にも差し置いて、守護霊の声と悪霊の声を見分ける術を持たねばならない。

 97.霊とは抽象的実体である。

 98.恋はよい。酒と一緒だ。

 99.神は準安定である。したがって、移り変わる。

 100.世界は複数存在する。末期の統合失調症とは、別の世界からこちらの世界に戻ってこれない人たちのことである。

 

 さて、以上が、統合失調症の百カ条でした。みなさんいかがでしたでしょう? 最初の方はともかく、エナの言葉はちょっと、――かなり?(笑)――分かりづらかったかもしれません。

 みなさんが、統合失調症について考える一つの材料になれば幸いです。それぞれ、いろいろと考えてみてくださいませ。統合失調症の人も、いわゆる「健常者」と呼ばれる人も、それなりに仲良くできたらいいですね。

 ではでは~

 

気付いて

 

その目は互いを認めるため

その声は想いを伝えるため

その手は大事な人と繋ぐためにある(EGOIST,『The Everlasting Guilty Crown』,歌詞より引用)