魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

魔術

 今日は、魔術の入門を書こうと思います。魔術師になりたい方、ぜひ、ご参考にして下さい。

 

 さて、それではいつもどおり、ひとつずつ焦らず行きましょう。

 

 まず、魔術とは何か。

 

 魔術とは精神作用と現実的有効性の相関関係のデータを個人の経験として多数蓄積し、その結果、個人の統計を個人個人が持つことで、いわゆる「独自」の技術体系を、多様性を尊重しつつ、樹立する行いです。

 科学がグループを組むことで、メジャーな「大きな統計」を取るのに対し、魔術では、どちらかと言えば、個人的な領域を守り、マイナーな「小さな統計」を取ることを目的にします。

 したがって、統計学への理解などは、魔術に非常に役立つでしょう。しかし、必須ではありません。なぜなら、魔術に必須という概念は、できる限り、作るべきではないからです。

 もしも、必須という概念を作れば、その概念が「メジャー」となり、そのメジャーへの検証可能性を大なり小なり奪ってしまうからです。したがって、こうした思考停止を防ぐためにも、「必須」という概念を用いるのではなく、「必須なものは人それぞれ」という概念を積極的に用いる必要があります。このことにより、逆に、相互の概念や経験における各々独自の自立性と自立的思考による検証可能性を高め、結果的に科学を上回る検証能力を構築することを目指します。

 つまり、科学よりも、連帯の力を緩やかに形成することによって、個々の魔術師成員の思考の独立性を高め、付和雷同を抑制し、それぞれが持つ思考資源を最大限に活かすことを目的とするわけです。

 これらが、魔術師の基本方針となります(無論、この方針は、メジャーなものではなく、マイナーなものです。あなたは、あなたの頭で考え、独自の魔術方針を持ち、その上で、その魔術方針を僕に伝えてください。それにより、魔術師同士の「同盟」関係が生じます)。

 

 魔術の基本定式を少し紹介します。

 

 1.集合的無意識が存在する。

 2.これは大きく世界の根底においてつながっている。

 3.集合的無意識は、現実的効力を持つ。

 4.集合的無意識は、人間の根源に近いところにある。

 5.したがって、普遍性がある。

 6.集合的無意識は、個々の無意識よりも深い無意識である。

 7.つまり、個人を深く極めれば、おのずと集団を極めるに至る。

 8.個人主義とは、ある種の集団主義でもある(魔術的同盟)。

 9.通常は、――つまり科学は――表層の意識領野において集団的接続を果たす。

 10.魔術師は、これとは逆に、深層の無意識領野において集団的接続を果たす。

 11.これを、魔術同盟と呼ぶ。

 12.これには無意識的働きの大きい、芸術行為、および、自由性の高い行為による直観を用いる。

 13.霊とは一種の法則性であり、その法則性、あるいは、法則性に含まれる「応答性」が人格の存在を人間に感じさせ、その人格を霊や神と人間は呼ぶ(人間はしばしば、非人間的なものに「顔」を認知する。霊も同様)。

 14.霊の法則性は、普遍性の高い法則であるほど、強く、不変的である。これを一般的には、抽象度の高い法則と呼び、また、抽象概念と呼ぶこともある(究極的な理念的な霊を想定したとすれば、その不変性は無限大であり、つまり、不死である。また、一般の霊でも、人間よりも抽象的法則性のレベルが高いとすれば、不変性が強く、寿命が長く人間よりも丈夫であると想定できる。)。

 15.生命の定義は、現時点では極めて難しい。

 16.したがって、人間を生命であると定義することは難しい。

 17.同様に、霊も生命であると定義することは難しい。

 18.逆に言えば、霊も生命体である可能性が残る。

 19.少なくとも、人間のみを生命であるとする人間中心主義は、ドグマである。

 20.言い方を変えれば、今現在、非人間的とされている存在が、人間的である可能性が常にある、ということでもある。

 21.世界は連続しており、離散的ではないと仮定する。(なぜなら、錬金術的創造性が可能であるためには限られた範囲に無限の因子が詰まっていなければならず、例えば一センチの隙間に無限の因子が詰まっているとすれば、それは連続であると考えられるから。すくなくとも現時点では、可能性は無限大と言わざるを得ず、この仮定は現実的に妥当性を持つ)。

 23.だとすれば、微小な空間に無限の距離が詰まっている。

 24.無限の距離を飛躍できるとすれば、無限の光速の存在が想定される。

 25.つまり、ある地点で起きた事象が、一般的ないわゆる光の速さよりも速い速度で伝搬し、因果則が反転することがあり得る(一般的な光の速さは、人間の視力における一般的な認知速度の限界を表す。したがって、この限界を越える光が存在するとすれば、認知速度の限界点を極点として、時系列が反転する。これにより、因果則の反転が起こる。例えば、AとBという事物があり、Aは一般的光速、Bはそれよりも速い光速により伝搬するとする。この時、AとBは同じ時間に同じ空間からスタートして動き出すとする。そこに観測者Cを新たに定義する。AとBはCを目指し、同一の経路を通って伝搬するとする。この場合、観測者Cの下に、Bの方が速く到着する。その後にAがCの下に到着する。この時、Cは、「Bが起こった後にAが起こった」と認知する。しかし、実際には、仮定通り、AとBは同時に生起している。この場合、Aの原因はBだとも言え、その逆も言える。しかし、認知上では、因果則がB原因からA結果へと認知されている。つまり、僕たちの認知世界における因果則の反転現象が観測される。したがって、因果則は無限大の光速を仮定することにより反転させることができる)。

 26.以上のことより、原因が結果となり、結果が原因となり得る(例えば、美少女の髪という事物が美少女から生じる。魔術はこの因果則を逆転させ、美少女の髪から美少女を招じることができると予想される。つまり、この場合、類感呪術感染呪術、呪術的思考は妥当性をもって可能である。また英霊の遺品により、英霊を召霊することが可能である。)。

 27.無限の光速を精神作用によりコントロールすることが可能であれば、因果則を自由自在に操ることが可能である。

 28.無限の光速は、一瞬のうちに全空間にいきわたる。したがって、無限の光速は、空間的概念と重なり合って存在している。無限の光速を空間的側面から着目した場合、これを、「エーテル」と呼ぶ。

 29.以上のことより、魔術とは、無限の光速、つまり、エーテルについての研究であると言い得る。また、宇宙において観測される光速が無限大ではないということは、宇宙は真の意味で真空ではなく、まだまだ光の運航を妨げる粗い微粒子がたくさん詰まっている空間であると予想され、つまり、エーテルではない。また、真の意味での、「真空」ではない。逆に言えば、有限速度を持つ光子は、質量ゼロではない。

 30.現代の光速観測システムによって観測される光速は、限られた閾値内の光速であり、それ以上の光速やそれ以下の光速は検知していないと予想する(例えば、人間の目には限られた帯域の電磁波しか見えない。それは機械の「目」であっても同様である。無論、一般的に見えないものが見える生物が存在することも当然考えられる。この場合、その感覚を「第六感」と呼ぶ。)。また、光速が無限であり、なおかつそれが空間内に満ちているとすれば、光の持つ無限のエネルギーにより、分子が極めて強い熱運動と化し、その複雑系の観測は無限に不可能である。したがって、これのコントロールが可能であるとすれば、有限的科学機構ではなく、直観的無限的創造的定式化によるであろう。この不可思議な複雑系において、不可思議に生じる法則性を明らかにする体系を「魔術」と呼ぶ。

 

 というふうに、魔術について説明することもできます。一つの参考にしてください。みなさんも、ご自分で、独自の魔術の定義を考えてみてくださいませ。まだまだありますよ。魔術の定義。今回は、ほんの一部のみ紹介しました。

 

 なんか、何だかんだ言って、魔術の入門みたいな文章書いてなかったな、と思って(笑)。今更、書いてみました(笑)。

 

 みなさんが、魔術について考える際の、ひとつの材料になれば幸いです。

 

 今日は、世界の(想像上の)アインシュタイン(の霊)たちへ、nightcoreの『Remember when』を送ります。

 

Holding on to what we used to be!

And I should let you go,but I just won't give up! (Nightcore,『Remember When』,歌詞より引用)