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魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

魔術師になる方法

魔術について

 こんにちは。今日は、魔術師になる方法について書いてみたいと思います。一応、先日、『魔術』という魔術入門のための記事は書いたのですが、理論的で実践的じゃなかったので、今度は、もうすこし実践的なものを書こうと思います。

 一番いいのは、みなさんと対話できればいいのですが、なかなかそういうわけにもいきませんね(笑)。ですので、なんとか頭をひねってみます。対話は便利ですね。

 

 まず、魔術とは、直観的なものだと前記した魔術入門のための記事に書きました(読んでない方は目を通して下さるといいかもしれません)。

 直観とは、矛盾によって、論理法則を崩壊させたのちに現れる、ひとつの状態です。その状態には論理がありませんので、思考で表現できない不思議な状態になります。

 あらゆるものは、――少なくとも僕が観察する限りでは――矛盾していますので、思考をしっかりと突き詰めることができれば、必ず矛盾に突き当たります。すると、あらゆるものが矛盾していますので、一種の思考停止状態に陥ります。思考停止と表現すると、悪い意味に聞こえますが、良くも悪くも、取りあえず、それが直観の基本的な状態になります。

 そして、直観には論理則が通用しませんので、論理的に表現することはできません。ですので、それを表現するためには、論理ではなく、「比喩」を用います。もちろん、論理的ではないので、論理によっては知ることはできません。直観は直観によってのみ、あるいは、比喩によってのみ知ることができます。では、ちょっとやってみます。

 

 女の子が花を摘んでいると、そこに、おじいさんがやってきました。おじいさんは女の子に言いました。

「何をしているんだい?」

 女の子はそれに答えました。

「花を摘んでいるんです」

「どうして、花を摘んでいるんだい?」

 とおじいさんは尋ねます。

 女の子は少し考えたのち、

「花を食べるためです」

「花を食べる?」

 おじいさんはおどろいたような顔をしました。そして、女の子の手元にある花をまじまじと見ました。すると、おじいさんのあたまの中で一つのひらめきがありました。そのひらめきは、その花が有名な毒草であることを示していました。なので、おじいさんは、女の子に、その花を食べてはいけない、と忠告しました。おじいさんは薬草の専門家でもあるのです。

 しかし、女の子は、その花を食べてしまいました。すると、昏睡して、そのまま息も絶え絶えになってしまいました。

 おじいさんは悲しみに暮れ、女の子の遺体を葬ることにしました。

 地面に穴を掘り、供える花を用意し、墓石を運んできました。

 すると、不思議なことが起こりました。

 穴はふさがり、花びらは散り、墓石は砕けたのです。

 そして、女の子が、何事もなかったようにケロリと立ち上がりました。

 女の子は笑って言いました。

「おじいさん、あれは、毒草ではないのよ。巷では毒草ってことになっているけど、ほんとうは、どんな病にも効く薬なの。私は不治の病だったので、あの薬を使うしか生き延びる術がなかったの。でも、みんなの知識が間違っているということでもないんだよ。みんなにとってあれは毒草なの。でも、わたしにとって、あれは薬なの」

 おじいさんは、あまりのことに腰を抜かしてしまいました。

 すると、女の子は、おじいさんに毒草を煎じて飲ませました。

 おじいさんは、恐怖のあまり、ぶるぶると体を震わせていましたが、すると、不思議なことに、みるみるうちにおじいさんの身体が若返っていきました。抜けていた腰も、すっかり治ってしまい、おじいさんは、腰を抜かしそうになりましたが、若い強靭な腰は、抜かそうにもおいそれとは抜けるものではありませんでした。

 女の子は言いました。

「この毒草は、あなたのような人にも恵みをくれるのよ。あなたはたくさんの知識があって、とても賢明な判断をして、その歳まで生きてきたから。そういう人にも、この毒草は効くのよ」

 おじいさんは言いました。

「君は何者なんだい?」

 女の子は笑いました。

「私は、プシュケーというのよ。透明で、眼に見えないけど、いつもみんなのそばにいるの。そうして、毒草が必要な人に毒草を届けるのが仕事なの。みんな最初は恐がるけれど、使ってしまえば、私の言っていることに納得するわ。強力な毒は、使い方を誤らなければ、強力な薬にもなるのよ」

 女の子はふわりと宙に浮きあがりました。そして、

「今日はあなたのために来たのよ。あなたも今日からプシュケーなのよ」

 と言いました。

 すると、おじいさんの体は不思議なことに、少女の身体になっていました。プシュケーと瓜二つです。

 おじいさんは、あまりのことに狼狽しました。

 狼狽しきっているおじいさんがあまりにもかわいそうなので、プシュケーはおじいさんを元の姿に戻してあげました。

 おじいさんは、それで安心しました。

「あなたはまだ、プシュケーになるのは早すぎたみたい」

 と女の子は――プシュケー――は言いました。プシュケーは続けて言いました。

「あなたが、ゆっくりと歩みたいのなら、私は、あなたに少しずつ毒草を処方しましょう。そうすれば、あなたもゆっくりとプシュケーになれるわ。だから、ゆっくりゆっくり歩いてらっしゃい。ゆっくり歩くのが一番速いのよ。わたしが速く動けるのは、あなたと同じようにゆっくりとプシュケーになったからなのよ」

 そういうと、プシュケーは、眼にもとまらぬ速さで、どこかへと飛び立っていってしまいました。まさに、驚くべき速さでした。

 おじいさんは、夢を見ているような気分でした。その手には、プシュケーの煎じてくれた毒草が少しだけ残っていました。

 

 以上です。例えば、直観を比喩によって表現すると、こんな感じになりますよ、という一例です。他にもたくさんありますし、みなさんも直観を会得できれば、こういった比喩が、無限に――あるいは無限に近く――即興で引き出せるようになります。この比喩が有効な人と有効でない人は多分いると思います。比喩は万能ではなく、本来、人によって、使い方を変えて処方する必要がある面も無きにしも非ずです。しかし、これを、「小説」と呼ばれる段階にまで昇華することができれば、不特定多数の人にもある程度通じる文章になるものと思います。

 逆に言うと、小説には、例外なく「プシュケー」の姿が描かれています。ある意味では。ですので、直観を得たい人は小説を読むなり、音楽を聞くなりするのも手だと思います。

 魔術師になりたい方は、どうか、プシュケーの姿を、その目で見定めてみてください。

 こればっかりは、論理的にはお教えすることができません。なので、直観的にお教えいたしました。魔術師になりたい方の参考になれば幸いです。

 また、魔術の道は大なり小なり、孤独なものです。そして、「プシュケー」に出会うためには、様々な範囲において、懸命な思考と判断を積み重ねなければなりません。全ての常識や知識、情報を疑い、すべてを自分の手で一から――魔術的に――構築し直す必要性もあります(場合によっては、あなたの正義も理想もすべてを放棄する必要も生じます。何せ、「毒草」ですから)。世界中に問題が溢れるこの中で、そういった行いをするのは、茨の道かと思いますので、その点を覚悟の上でしたら、ぜひ、魔術師を目指してみてください。僕も応援しますし、このブログの他の記事も参考になるかと思いますので、おすすめしておきます。何も信じないという覚悟は、非常に堅固な精神力を必要とする、孤独の道かと思います。みなさんの自律と幸運をお祈りいたします。

 

 みなさんにまふまふの『林檎花火とソーダの海』を送ります。

 

 悲しいお話ばかり生まれた理由を

僕も知らないフリして生きてきたんだ

ほら大きく手を叩け君の足元は

君だけにあるべきもの(上記曲歌詞より引用)

 

 

 魔術師になる方法を簡単にまとめると、次のようになります。

 

 1.考えられる可能性はすべて自分のあたまで徹底的に思考すること。

 2.すべて(少なくともある程度の確信が持てる程度)の不完全性と矛盾を確認したら、論理則から足を踏み出すこと。

 3.その論理則も思考も存在しない空間が、「直観」であり、魔術の基本であること。

 4.それ以降のことは論理的には説明できず、各々が各々の直観に従うしかないこと。この領野においては、芸術的あるいは直観的にしかコミュニケーションが成立しないこと。

 5.くれぐれも、人を傷つける道を取らないこと。言い換えれば、愛を自身の魔術師としての成長に役立てること。愛にはさまざまな形があり、一定ではなく、透明で目に見えないこと。