魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

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恋愛術各論――ジェンダーフリーな恋について 

 今日は、ジェンダーフリーな恋について書きます。

 ジェンダーフリーとは、既存のジェンダー(社会的性役割)に囚われない、生き方のことです。

 社会的性役割とは、社会における、性別別に付与される、役割のことです。

 例えば、男は仕事。女は家庭、など。

 しかし現実的には、女性にも仕事は可能であり、男性が家庭を切り盛りすることもいずれも可能です。

 では、次のような反論はどうでしょう?

 女性より男性の方が仕事ができるから、女性は家庭にいたほうが良い。

 言うまでもないことですが、男性よりも優秀な女性は多く存在するかと思います。

 そして、これは、逆も然りなので、実際には、男女に優劣の差は存在しないと考えるのが現実的なのではないでしょうか。

 では、次のような反論は?

 生殖が性交の目的であるので、同性愛は禁じられるべきである。

 一体、性交の目的が生殖にあるとは誰が決めたのでしょう。性交とは、愛を確かめることではないのでしょうか。なるほど、生殖は性交の目的の一つとは考えられるでしょう。しかし、それがすべての目的だとは誰にも言うことはできず、現実的に、多数の同性愛者が存在することから、性交には生殖以外の目的があると考える方がより理に適っているでしょう。

 性は、男女の二元論により測られるので、トランスジェンダーは認められない。

 では、インターセックスについては、どう考えるのでしょうか。彼らは人間ではないとでも言うつもりでしょうか。ありえない話です。彼らは人間です。また、彼らは自分のことを、男性と考えても、女性と考えても、中性と考えても、良いのです。これらを連続体スペクトルとして捉えれば、もっとずっと多くの「性」が存在するでしょう。したがって、性は、男女の二元論によっては測られません。

 

 ジェンダーフリーの有効性について。

 一般に、抽象的思考の方が、具体的思考よりも難しいです。そして、具体的思考は極めて重要な思考であるものの、一発当てやすいのは、抽象的思考です。例えば、相対性理論が覆ったら、すごいことになります。畑の大根を引っこ抜くのよりも(もちろん、これも、大切なことなのですが)。

 つまり、即物的なニュアンスよりも、抽象的、心的ニュアンス、つまり、プラトニックな傾向を持っていた方が、一発当てやすいのです。なるほど、彼らの利点は、分かりづらいです。何せ、抽象的な思考は具体的思考よりも難しいですから。しかし、身体的具体的役割としての、「生殖」を目的とするよりも、プラトニックな性としての心的、抽象的「魂」を重視する恋愛の方が、当たったときの効力が大きい。

 つまり、生物学的な性、いわゆる「具体的性」に囚われるよりも、ジェンダーフリーとしての、「抽象的性」に走ったほうが、より魂や心に近い振る舞いが可能になり、比喩で言えば、相対性理論を書きかえることが可能であるかもしれないということです。

 このことから、おそらく、同性愛や、性に寛容な人には、なんらか即物的ではない、抽象的創造性に長けた人が多くいる可能性があると思います。この点は、みなさんの集合知を結集し、それぞれ独自に、検証してみましょう。観察の結果がでたら、僕に教えてください。あるいは、ネットにブログでもなんでもいいので、発表してください。見に行きますので(生殖が悪いということではないので悪しからず。要は適材適所です)。

 簡単に言いますと、同性愛の人などは、頭がいい可能性があるということです。そのために、今日まで、その遺伝子が伝わっていると考えられます。また、創造性が高いとすれば、同質化圧力を受けやすい理由も説明でき、つまり、同性愛差別がどうして生じてきたのかを説明することも可能になります。恐らく、同性愛の、あるいは、なんらか性的思考の自由性が高い、偉人なり、優れた人というのは、かなりの数にのぼると推測され、これを迫害するのは実にもったいないと思います。

 したがって、人間の能力開発の観点から、積極的にジェンダーフリーを促進し、従来の常識を覆していくのは、人間の文化の進化、あるいは、個人的進化を促進する上において、極めて意義が深いと言える可能性が高いでしょう。この点の検証を、取りあえず、僕たち魔術師で進めてみましょう。よろしくお願いします。

 

 さて、では、具体的な恋愛術について、少し考察していきましょう。

 まず、ジェンダーフリーには、差別が根強く、公けに活動することは難しいかもしれません。したがって、「水面下」で、活動し、恋した相手を射止める必要があるかと思います。

 まず、恋した相手が性に寛容な場合。これは、素晴らしいことであり、その場合は、普通の恋人同士の恋の発生のように、お互いの仲を深めていけばよいでしょう。

 今回は、そうではない、ケースを見てみます。

 つまり、相手が、性の自由に寛容でない場合です。

 本来であれば、相手を操作しようとするべきではないのですが、しかし、操作という概念ではなく、「影響」という概念に置き換えることで、相手を損なうことを抑制できると考えられます。つまり、影響は、誰しも与え合っているので、あなたがどうしようが、抑制できるものではないからです。したがって、ここでは、相手を操作するのではなく、相手に良い影響を与えることを考えてみましょう。

 まず、基本的に人間の思考というのは筒抜けなものであり、動揺していれば、相手は意識的には気づいていなくても、あなたの動揺に気づいています。無意識に。したがって、あなたがもし相手を物のように扱ったり、下心だけだったりすれば、それは、相手に大なり小なり伝わるであろうと考えられるのです。

 したがって、小手先の技術で、相手を惹きつけるのではなく、自分の内面を本格的にブラッシュアップする必要があります。それが、相手に良い影響を伝搬させることになるからです。

 まず、あなたは、その相手のどこが好きですか? それを考えましょう。そうしたら、自分がその相手のような好きな人になりましょう。つまり、自分が、好きなような自分になりましょう。

 そうすれば、あなたは、相手と似た魅力を、備えることになります。類は友を呼ぶ、と言い、人間は似た者同士でつるむ傾向にあります。したがって、もしも、あなたが、内面のブラッシュアップを怠らず、その人と同じような、あるいはそれ以上の魅力を備えていれば、その思い人と形はどうあれ、結ばれる可能性は高いのです。少なくとも、友情に移行する可能性は高いでしょう。

 今度は、友情を性的結び付きへと変換していくことを考えます。基本は、自分をどこまでも魅力的にしていくことですが、それだけでは具体性に欠けるので、もうすこし踏み込んでみます。

 まず、性的嫌悪とは、何か抑圧した自由な衝動が具現化したものだと仮定して考えます。なぜか。心配性の人を考えてみてください。あれも心配、これも心配。それはなぜなのか? それは保証を求めているからです。保証を求めているということは他律であるということです。つまり、自由が抑圧された状態なのです。すると、自由が抑圧されることによって、自身の欲動が正しく処理されず、それが表面化し、心配性や、過敏症、あるいは強迫神経症として具現化するものと推理できます。であるなら、性的嫌悪というのは、この強迫神経症の一種と考えられ、つまり、抑圧した欲動の裏返しであると考えられます。簡単に言いますと、嫌い嫌いも好きの内、ということですね。しかし、それが意識化されるかどうかはまた別の話ですので、嫌いと言われて、無理に迫ったりはしない事は大切かと思います。つまり、人間が嫌うものとは、その人が憧れているが、その人がなることができていないものであるということです。つまり、自由な性的思考への嫌悪とは、ある種、その自由に対する「嫉妬」から生じているであろう、と解釈できます。

 であるなら、少しずつ、その思い人の心を解きほぐし、自由へと解き放ってあげれば、その人は、同性愛差別をやめ、また、あなたのことが魅力的だと感じていれば、性的結び付きを得ることも可能であると言える可能性は、十分にあるでしょう。すくなくとも試してみる価値はあります。

 これには、論理による説得よりも、芸術活動による説得の方が有効です。おそらく、音楽や何らかの芸術活動に携わる人は、ある程度、異性なり同性の口説き方がうまいのではないかと、このことから予想されます。この点も是非検討してみてください。

 例えば、いっしょにカラオケに行き、あなたの好きな曲を歌って聞いてもらえば、言葉で説得するよりも、ずっとダイレクトにあなたの思いが伝わる可能性が高いです。

 さて、ここで、重要なことがあります。

 あなたは、打算によって行動する人と、直観的に好きだと言ってくれる人、どちらに、好意を持ちますか?

 これによって、その後の対処が変わります。おそらく、打算的な人が好きな人もいるでしょう。その場合、その人は、自分と似た人を好きになっている可能性が高いと思うので、その場合は、その打算は捨て去らない方が、相手と同調しやすいと思います。

 しかし、現代の主流な潮流で言いますと、おそらく、打算のない人の方が好ましいと考えられることが多いのではないでしょうか。したがって、直観にしたがって動くというのは、恋愛術として効果が高いであろうと推測されます。

 直観については、このブログの様々な記事で、様々な角度から検証していますので、そちらをご覧ください。

 よって、直観に従い、創造的、芸術的求愛を行うことができればよいであろうという結論となります。

 しかし、これは、極めて難しいことであり、直観を取得するというのは実に難儀なプロセスを必要とするのです。でも、それを怠った場合、モテることが多少むずかしくなることもあるかも知れません。

 いずれにせよ、なんらかの芸術的伝達手段を保有することは、恋愛において、プラスに作用するであろうと考えられます。ピアノ弾けるとか、絵がうまいとか何でもいいので(ジェンダーフリーなあなたには芸術関連の才能がある可能性が高いと思いますし。理由は前記の通り)。後は、その筆なり、鍵盤なりに、自分の素直な想いをのせればいいのです。そうすれば、その思いは、どんな結果を産むことになろうとも、相手に届くでしょう。思いの伝染性については、『呪術(呪いのかけ方)』という記事がこのブログ内にありますので、そちらをご覧ください。そうして、やれることを積み重ね、直観が、「今だ!」と告げる瞬間があったら、その瞬間にすべてを賭けましょう。その恋、実るといいですね。ストーカーとかについては色々な解釈があるでしょうけど、告白に限って言えば、とりあえず、思い込んだ勝ちではないでしょうか。思い込まないと好きな人に告白なんて怖くてできないですよね(笑)。

 

 ジェンダーフリーなみなさんに、じっぷすの『リズの内心革命』を送ります。

 

当たり前に飽きて 懐いて来たこの感情

見事に引っ付いて わだかまりを潤した

「同性愛者」なんて どうせ安易じゃないって

わかってるけど 何事も思い込んだもん勝ちだ(上記曲歌詞より引用)