今日は、重力について考えてみます。
重力とは何でしょう?
「重さ」を発生させる力のことです。
では、重さとは何でしょう?
これは、なかなかに難しいですね(笑) 実は僕にもよくわからないのです。なので、いっしょに考えてみましょう。
とりあえず、僕たちにわかるのは、物は下に落ちるということ、つまり、何でかは分からないけれども、物というものは、下の方に引っ張られていくらしい、ということです。これを、「引力」と呼びましょう。
そして、見渡す限り、すべてのものは地面にくっついています。つまり、地面に引っ張られています。
すると、どうも、何でかはよくわからないけれど、全ての物は下の方に引っ張られるらしい、ということです。
では、「下」とは、何でしょう。これは、端的に言って、「地面」ですね。すると、地面の数だけ、「下」が存在します。
そして、月には月の地面がありますし、火星には火星の地面がありますね。ということは、星の数だけの、「下」が存在するのです。
だとすれば、僕たちは、地球の地面だけからじゃなく、月の地面や火星の地面からも引っ張られていることになりますね。
夜空をみてください。たくさん星が輝いていますね。ということは、僕たちは無数の地面から引っ張られていることになります。
星には小さい物から大きいものまであります。つまり、小さい地面もあれば、大きい地面もあります。
ということは、小さいものも、大きいものも何かを絶えず引っ張っているということになります。
つまり、地球が僕たちを「下」の方に引っ張っているように、鉛筆も消しゴムもペットボトルも恋人も友達も、その他ありとあらゆるものが、僕たちをそれぞれの持つ「地面」へと向けて引っ張っているということになります。では、このすべてのものが持っている引力のことを、「万有引力」と呼びましょう。
すると、どうも、重力というのは、一概に言えず、色々なものがあって、そして、それらは、単純に考えると、万有引力であるらしい、ということが見えてきます。
さて、話は変わります。石炭は物質ですね。ということは、万有引力を持っていると考えられます。では、石炭が燃えて、「火」になったらどうでしょう? その場合、その火は、質量を持っているのでしょうか? つまり、「物」なのでしょうか?
少なくとも火は直接は手に触れて持って歩いたりはできないですよね。しかも、熱いですし。
もしも、火に質量がなければ、火は引力の影響を受けず、どこまでも上へと際限なく登って行くと考えられます。
しかし、基本的に、火は、無限に上に登っていくようなものではないようです。ライターの火はライターから離れません。ということは、火にも、つまり、気体やエネルギーや光にも質量はあるようにも考えられます。だとすれば、これらのものにも、万有引力が働いていると考えられます。
では、情報や感情はどうでしょう? もしも、すべてのものが万有引力を持っているのだとすれば、情報や感情にも引力がある可能性があります。はたして、情報や感情には引力が働いているでしょうか?
芸術作品を考えてみましょう。少なくとも、これらの作品は多くの観客を引きつけており、情報にもある種の引力はあると考えられます。どうやら、情報にはある種のエネルギーがあるようです。なぜなら、僕たちは芸術作品を見て、元気をもらったり、感動したりします。そして、その元気や感動は現実的に有効なエネルギーを持っています。
ところで、元気や感動というのは感情です。そう考えるなら、感情もまたエネルギーであり、引力を持っていると考えられます。
そのように考えると、この世界のありとあらゆるものが万有引力を持っているというふうに考えられてきます。
さて、では、そもそも、この万有引力とは一体何なのでしょう? どうして、僕たちやあらゆるものは互に互いを引っ張り合っているのでしょうか?
例えば、「渦」という概念を使ってみてはどうでしょう?
渦は、様々なものを内側へ内側へと引っ張ります。
つまり、物の周りには僕たちの目には見えない物質が満ちていて、それが渦を巻いているのです。それで、あらゆる物がお互に渦の中に巻き込み合って、引っ張り合っている。そういうふうに考えられます。検証はできないのですが。何せ、目に見えませんから(機械で計測できる可能性はありますね)。
他にはこういうものもあります。
みなさん、一枚の柔らかい布をイメージしましょう。ふわふわで表面はなめらかです。そして、一個のボールをイメージしてみてください。
宙に浮いた布とボール。
そうしたら、布の上に、ポンとボールを置いてみましょう。すると、布はどうなりますか? ボールの重みでへこみますね。さて、次に小さな金平糖を持ってきて、その布の上に置いてみてください。布の表面はなめらかなので、金平糖はつるつると滑って、ボールの乗っかっている中心部へと吸い込まれていきますよね。おもしろいですね。
つまり、ボールの方へと金平糖は「引っ張られている」わけです。ここに引力が発生していますね。
布は二次元ですが、これを三次元、四次元、五次元……とどんどん次元を上げていくと、さらに面白いですね。
ということは、僕たちの住んでいる、この三次元の空間においても、これと同じ原理で、引力なり重力なりが発生している可能性があります。つまり、布、空間をへこませることによって。この空間の「歪み」が引力を引き起こしているのかもしれません。
あるいは、僕たちの恋愛を考えてみましょう。お互い惹かれあっています。つまり、物にもエネルギー、つまり、感情や心があって、恋愛をすることで、お互いを引きつけ合う、ということも考えられますね。これに友情を含めると、類は友を呼ぶと言いますから、似た者同士で引きあっているのかもしれません。そう考えるなら、地球に引かれあっている僕たちは、みんな似た者同士の友人のようなものなのかもしれませんね。そういうふうに考えてみるのもおもしろいと思います。
一体、どれが真実なのかは、僕にも分かりません。でも、色々な説が考えられて、おもしろいですね。
今度は、今までの思考を逆転して考えてみましょう。
これら三つの説が、どれかが正しいのではなく、どれも、正しいのだ、と仮定してみるのです。
すると、「恋愛」とは、「空間の歪み」であり、「渦」である、というふうにも考えられてきます。
引力は、精神的な形を取ると、恋愛となり、物質的な形を取ると、空間の歪みや渦となるのかもしれません。
そして、似た者同士で引かれ合うとすると、僕たちの身の回りには、自分に似たものが、たくさん集まっているということになります。これが正しいとすれば、自分について知るためには、自分の身の回りの環境に注目すればいい、というふうに考えられる可能性があります。その意味においては、自分の身の回りの環境というのは、今の自分を指示す鏡のようなものなのかもしれません。
つまり、あなたの身の回りのものが、あなたの心の状況やあなた自身を表しており、逆に、心や情念が変わることによって、あなたの身の回りにあるものが変化するということもあるかもしれません。そういう理屈になります。
ならば、似た者同士、ゆかりのある者同士は引かれあうということで、類感呪術や呪術的思考は成立するのかもしれません。
また、自分が何を身につけるか、何を持つかによっても、その人の周りに集まってくるものの質が変わってくると考えられます。本をたくさん持っていれば、その本やその本にゆかりのある人たちが集まってくるのかもしれません。
そう考えると、服装や髪型などは、きわめて重要なものだ、という結論になりますし、また、「お守り」のようなものはおそらく、願掛けとしてではなく、「本当に」効果があるものなのかもしれません。その効果の一部が、「プラシーボ効果」として現代では処理されている可能性があります。プラシーボでもなんでも、効果があったら、僕なんかはそれでいいのですが、みなさんはどうでしょうね?(笑) 原理が科学的じゃないと不安かもしれませんね。気持ちはわかります(笑)(魔術師なのに!)魔術師にも時には弱気になるときもあります。
つまり、願掛けや、占い、パワーストーン、宝石などは、本当に単なる美しさとしてではなく、万有引力として実効的な力をもっているという可能性があります。もしそうであるなら、運をコントロールするのも、一つの実力であるという説が浮かび上がってきますので、みなさんもその点についてそれぞれお考えになってみてください。
すると、僕とあなたがこうして、このブログ上で出会うのも偶然ではなく、何らかの万有引力が複合的に作用した結果としてこうして出会っているということになります。思わず、「運命」を感じてしまいますが、この点についても、運命とはどういうことなのかとか、考えてみると、とてもおもしろいですね。
それで、忘れてたので、今から書いていくんですけど、ちょっと多世界解釈の話をします。
空間の歪みの話をしましたよね。それで、空間がもうぐんにゃりと曲がって曲がって、どうしようもなく曲がった状態をイメージしてみてください。もうわけがわかりませんね。それで、曲がる前の空間を、エーテルと呼び、曲がった後の空間を、「現実」と呼びましょう。すると、この世界には、引力の作用の数、あるいは変化の数だけの、世界が存在し、絶えず生成しては、滅亡していると考えられます。なぜなら、曲がり具合によって、世界の分断のされ方や、ありようがさまざまに異なっているからです。ガムを思い浮かべてみてください。あんまり引っ張りすぎると、ちぎれますよね。これと同じ形で、世界の分断が起こり、世界が、細胞分裂みたいに、増殖している可能性があります。その意味では、世界というのは、ある巨大な生物の「細胞」の一部なのかもしれません。そうしたら、僕たち、微生物ですね(笑)。微生物も心があるかもしれませんから、侮ってはいけませんよ。何せ、僕たちに心があるのですから。
そして、ちぎれそうになってはいるものの、まだどこかでつながっている世界があり、それが、「夢」や「妄想」となって現れるのかもしれません。何にせよ、夢や妄想が、なんらの意味もないものだとするのは、いささか暴論なのではないかと思いますし、何も心理的な意味だけに、それらの「世界」を還元しつくす必要もないと思いますので、ひとつの考え方としてご参考下さい。
いずれにせよ、僕は、夢や妄想は、「本当に存在する別世界」であると考えているということです。そして、現実との整合性がある程度見受けられ、夢分析などが可能になるように見えるのは、先述の引力の法則により、似た者同士が引きあっているために、共通点が見うけられ、それを分析という形で、ある程度表現することができたのだろう、というのが僕の見解です。みなさんの意見も是非伺いたいので、色々と気が向いたら、ブログでもなんでもお書きになってみてください。見に行きますよ。
簡単に言いますと、「想像の世界は存在する。つまり、妖精や龍や神様も僕たちとは一見無関係ながらも何らかの形で存在しているのだろう」という説です。
こういうことを考えたりしていました。
つまり、様々なものたちは、恋しい恋しいとお互に引きあっているわけですね。世界は恋に落ちているわけです。ロマンチックですね。
みなさんに、CHiCO with HoneyWorksの『世界は恋に落ちている』を送ります。
世界は恋に落ちている 光の矢胸を射す
全部わかりたいんだよ
「ねえ聞かせて」 (上記曲歌詞より引用)