魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

免役とか才能とか「禁呪」とか

 書くべきことはいくらでもあるのですが、どの順序で描くのが最も適切なのか。はてさて。

 

 どうも、プルプルタンです。

 

 じゃあ、今日は……

 

 よし、適当に行きましょう(笑)

 

 みなさん、性愛についてどのようなお考えを持っていらっしゃるでしょう?

 

 男女とか男男とか女女とか女男とか、色々あると思いますけど、いわゆるそういう、エッチな奴です。

 

 いいのかな、性愛の話して(笑) グーグルアドセンスできなくなるんじゃね(笑)。もう手遅れか(笑)突進あるのみ。

 

 性愛とか恋愛の研究なさってる方って、傾向として優秀な方多いですよね。割に、知識が横断的な人が多い気がします。その辺りは、とても魔術師的。

 

 房中術とか色々ありますしね。ちなみにあれは本当に効果あると思いますよ。昔の知識って、大概それなりに理に適っていますので。呪術的思考であっても。

 

 トランス状態を引き起こして、それを実生活に利用しよう、という試みもあるようです。

 

 おそらく、僕が芸術によってなしとげようとしていることを、性愛によってなしとげようとしているものと思います。

 

 また、広い意味で言えば、性愛も芸術の一種だと思うので、多分、その試みは的外れではないのだろうな、と個人的に思っています。

 

 性愛は文化として、秘匿される傾向が強いものですので、研究には特殊な技量が必用かと思いますが、その点もうまくやりおおせることができる人も中にはいらっしゃるようです。

 

 たしか、河合隼雄さんが、「性事学みたいなことできたらすごいよね」みたいなことを、何かのインタビューでおっしゃっていたのを、読んだ気がするのですが、記憶はさだかでありません。僕は忘却の達人なのです(朝だと思ってたら、気づいたら、夜になってた時はビビった(笑))。

 

 恋愛の研究に否定的な方も多いとは思います。それもおそらく一理あるのではあろうとは思いますし。しかし、一理です。全てではありません。これは重要ですよね。

 

 対人知覚心理学かなんかの本で、性へのスタンスがその人の知能(たしか)を指示しているみたいな、研究あった気がする。

 

 何でも、逸脱への寛容度をみると、知能傾向が把握できるのだそうです。一般に、寛容な人ほど、知能が高いのだとか。みなさんの身の回り見てどんな感じです? そんな感じしますか?

 

 かと思えば、確か、学業成績だかなんだかが高いと性交初期年齢が上がるのだそうです。

 

 うろおぼえですけど。

 

 逸脱への寛容さが高いのなら、思い切って性交してしまいそうなもんですけど、そういうものでもないのかもしれません。あるいは、学業成績と知能は別物である可能性も。

 

 それにしても、逸脱する人には批判も強いですからね。たいへんです。

 

 秘匿される傾向のある性愛を、研究としてほじくり返すのは、かなりすごいことだな、と思います。

 

 ご興味のある方は、性愛について調べてみてくださいませ。おもしろいと思いますよ。

 

 成功してる方って、ものすごい努力してる方多いそうですよ。いや、努力とは違うのかな。単純におもしろいからついついやってしまうという感覚なんでしょうね。努力を努力とも思わないというか。そういうのを才能と呼ぶ人もいるようです。

 

 成功している人って、割に、「人格障害だ」とか言われる方多いですよね。多分、自我肥大しているように見える、ってことなんでしょうけど。

 

 おそらく、人と違うことをしていて、なおかつそのことを周りに動じず貫いているから、傲慢に見えるんでしょうね。

 

 人は一貫性のある意見を信用するって聞きますから、戦術としては正しいですけど、強靭なメンタルが必要になると思います。普通は、どこかで折れちゃうんじゃないかな?(笑) 僕とかけっこうすぐに人に合せちゃいますよ。大体の場合、その方が相手も楽しそうだし。話をする方が、聞くのよりも人気があるんでしょうね。僕は聞いてるのが好きな方なので、その点では多少異端かもしれません。

 

 でも、たまに、「どうして本音を言わないんだ?」みたいにおっしゃる方もいらっしゃいますね。かなり少数ですが。「摩擦を避ける打算的コミュニケーションは、本来あるべき人とのつながりとはまったく相反するものだ」みたいに言われたりします。まったくその通りなので、返す言葉もないですが。

 

 みんな楽しそうなら、それでいいんじゃね、って思ってしまうところが、僕の弱点であり、また、多くの場合、社交上の利点なのかもしれません。

 

 僕が思うままにしゃべると大体相手の方混乱してしまうので、どうしても、打算的なコミュニケーションになってしまいますね。統合失調症の連合弛緩とか出てるのかもしれません(そして、たちの悪いことに、僕は、連合弛緩は悪いことだと思っていないという(笑))。

 

 僕の目標の一つに、精神病や防衛機制の積極的利用というものがあるんです。

 つまり、現時点で、病気とされている者に対し、メリットを見いだし、それを現実生活に応用しようという発想です。色々考えております。

 

 例えば、自我を人為的に肥大させるとか。プライドを上げることで、意欲を出そうという感じです。副作用は、失敗を恐れると、プライドが傷つくことを恐れる為に、挑戦出来なくなってしまうことです。しかし、プライドを髙く持ち、健全な野心も維持できれば、きわめて強い能力が期待出来るのではないかと思います。つまり、自己愛性パーソナリティ障害の人が能力高い傾向にあるのなら、その精神構造を真似してしまえばよい、という感じです。

 

 個人的に、人格障害、という言葉があまり好きではないんですよね。これ、圧倒的否定ですよね。人格の否定って(笑)。

 

 精神医学全面的に改定したほうが良いんじゃないかと、時々ふと思ったりするのですが、彼らには彼らの事情があるのでしょうね。悩ましいことです。

 

 そう言えば、以前に、精神科の医師に、「医師になってはどうか?」って勧められましたね。精神科医は割に良い仕事なのだそうです。色々なことが好きにできるのだとか。好きなことしたい方、精神科医になるといいかもしれませんよ。

 

 しかし、僕は学校教育にあまり向かない体質らしいので、なかなか(笑)。

 

 独学があってるのでしょうね。おそらく。

 

 学校の授業を、連合弛緩でやってくれるなら、やぶさかではない(笑)。でも、そういうわけにいかんでしょうしね。むずかしいです。

 

 自我肥大の話は、そのうち、自我肥大術として紹介しますので、お楽しみに。これ、微妙に禁断の魔術ですが、まだ、話しても大丈夫なレベルだと思いますので。

 

 本当は、解離術(解離性障害を人為的に起こす)とかの話をみなさんと検証したい気持ちがあるんですけど、これ危険すぎるので、禁断の魔術ですね。密教みたいですね(笑)。

 

 でも、解離術について上手く描かれている曲があったので、それだけ紹介しておきます。あとは秘密です(笑)。メカニズムが知りたい方は、この曲研究なさって見るといいかもしれません。でも、危険ですので、おすすめはしません。しかし、禁断の領域に足を踏み入れる一人の魔術師の道を阻止する権利も僕にはありません(法を犯すとかなら、話は別ですが)。この術などの「禁呪」については、僕が墓場まで持っていきます(ホントは多世界生成術とか相当危ないんですが(笑)でも、あれがないと擬似直観の術式が使えないのでしょうがなく紹介しました)。とは言え、緊急性の高い禁呪については紹介するかも知れませんが。知らないと危険な場合とか。ほとんどは邪術ですが、おもしろいですよ邪術も。

 

 才能あると、有毒なものも健全に昇華できてしまうんでしょうね。すごいことだと思います。才能とは、「免役」のことなのかもしれません。多分、無意識にやってるんだろうな。ホントすごいですよね。意識してやってないってことが。芸術家は天才ですね。

 

 この曲、一種の性愛術でもありますよね。おもしろいですね。

 

 難しい言葉で書かれた文章も僕は好きなのですが、シンプルなのもいいですよね。どっちも好きです。

 

 みなさんに、そらる×まふまふの『アイスリープウェル』を贈ります。

 

知らないことは何一つ無いんだ

覚めない夢に落ちていく(上記曲、歌詞より引用) 

 

 優しい人に限って、人格障害とか、精神病質とか悪口言われてる気がします。不思議です。

 今日は、もう一個書きますよ。よろしくお願いします。