魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

経済術(お金の生成のタイミング2)

 お金がお金になる前の、価値の形態はどうなっているのでしょうか?

 

 これを考えるために、次の三つの説を統合してみようと思います。

 

 一、お金とは信用である。

 二、お金とは労働である。

 三、お金とは使用である。

 

 まず、人間の行動は、意志があり、その後に随意の行動が生じます。意志には、無意識の意志(いわば、無意志的記憶)と意識上の意志があります。おそらく、最も高い頻度で、意志という名前を被るのは意識上の意志です。

 

 つまり、心という状態から行動という状態へと現象が連なっているようです。

 

 思考と行動の間の接続は、どうも、自働的に行われているようです。例えば、僕は、意図してキーボードに文字を叩き込んでいますが、しかし、指の細かい動きのすべてを意識しているわけではありません。つまり、ある程度、意志の下での行動は、自動化しており、必ず、無意識の意志が含まれているようです。

 

 つまり、意志と無意識は、どちらか一方だけで働くものではなく、常にセットなって働いており、そのことによって、いわゆる行動と思考、心との接続の関係が生じてくると考えられます。

 

 この時、意志(意識)と無意識を合せて、「心」と呼びましょう。

 

 すると、心から行動へと現象が変換される図式がとりあえず完成しました。

 

 さて、では、先に挙げた三つのお金の説を実際に統合してみましょう。

 

 まず、信用。信用とは何か? 信用とは、ある契約の履行が将来守られるであろうという信心です。信心とは、完璧な保証はないが対象の発言なり掲示した要項をとりあえず未来においてほぼ確定的に起こるであろうと見積もる行為です。

 行為ですので、これらの行為を起こす前提となった、心の状態が存在するはずです。そして、その心とは次の三つの様態を備えているでしょう。

 

 一、信心がある。

 二、未来をある程度、自分たちの意志でコントロールできると仮定して行動する。

 三、他者に、信心とそれに連関した意志を認める。

 

 これら三つの様態があった場合、おそらく、行為として「信用」が生じる可能性が高いように思われます。

 まず、信心がなければ、信じられませんし、未来をある程度コントロールできると思えなければ、未来の約束もできません。また、他者にも自分と同じ信心の能力や意志と行動の能力を認めていなければ、その約束が果たされる可能性は低いと判断されるでしょう。

 

 では、労働とは? 労働も行為の一種と考えられます。そして、労働も前記の信用における三つの様態を備えているようです。なぜなら、意志のコントロール性を認めていなければ、計画的な労働は不可能であり、就労形態は成立しないし、信心がなければ、不確定な未来について計画的に行動することはできないし、他者にも自分と同じ信心や意志を認めていなければ、他者と計画を共有することもできないからです。

 

 ということは、どうも、労働というのも、「信用」の一種のようなのです。あるいは根底において、通ずるものがあるらしい。

 

 最後に、使用とは? しようも行為であり、同じように、信用の三つの形態を備えています。

 

 まず、信心がなければ、通貨を信用することができません。そのためには、意志のコントロール機能を信じ、その意志のコントロール機能が他者にも備わっている必要があります。つまり、やはり、先の三つの形態を備えているようなのです。

 

 すると、ある程度、これら三つのもの、つまり、信用、労働、通貨は、一体化しているものとしてみなせるみたいです。不思議ですし。腑に落ちないところはあるのですが。すくなくとも、根底は一緒のものらしい。

 

 もう一度、三つの機能を見てみます。簡単に言うと、三つの要素。

 

 一、信心

 二、意志

 三、他者

 

 こうなります。これらの三つの機能が、三位一体となるとき、信用、労働、使用は生じるようなのです。

 

 だとすれば、価値とは、これら三つの条件がそろう時に生じるというふうにも推理することができます。

 

 つまり、お金を生み出すためには、まず、他者を確保し、そこに信心を生み出し、その意志によって行動を引き起こす、という一連の流れを生じさせればよい、と考えられます。

 

 おそらく、信じるもの自体は何でもよく、むしろ、信じたことによって、そこに価値が生じているというふうに考えられます。

 

 だとすれば、価値とは、僕たちの集団が共有する、共同の幻想の一種だということになるのですがどうなのでしょう? 宗教のようなもの。

 

 まず、幻想とは、現実とは違う何かです。しかし、幻想と現実の区別は非常に難しい(当ブログの、多世界生成術、引力術など参照)。

 

 (というか、さらにひどいことに、おそらく、幻想は、物質として存在しているので、こうなってくると、手に負えませんね。物質性を根拠に現実と幻想を区別することが難しいとすれば。)

 

 だとすると、むしろ、僕たちの現実そのものが信心によって生じている可能性があります。つまり、世界は、僕たちの信心と意志と他者との連関によって形成されているという一つの説です。

 

 簡単に言いますと、世界が先にあって、信心があるのではなく、信心が先にあって、世界があるということです。いずれにせよ、これは鶏が先か卵が先かの議論となり、非常に解決が難しいと考えられます。

 

 おそらくは、信心、意志、他者によって、価値は生じます。そして、その価値が、金銭になんらかの過程を経て変換される。

 

 まず、信心が対象に集まって、多くの人の意志がその信心にもとづくとき、その対象が、「貨幣」になる、というふうに考えられます。そして、どうも、これ以外にはうまい考え方がないような。あったら教えてくださいませ。

 

 つまり、貨幣とは、意志、信心の「対象」です。

 

 要は、鰯の頭も信心から。ということです。この言葉によって、貨幣の発生原理を一応説明できるものと思います。

 

 すると、お金持ちになるためにできることは、自分の所有物に対する信心を集めること、というふうに定式化できるかもしれません。

 

 お金持ちになりたい方は、一度お試しください。

 

 しかし、そうだとすると、それは信心の問題なので、「嘘」による金銭の徴収も考えられてきます(未来は完全にはコントロールできないので、約束も確実に履行されるとは限りません)。その場合、「お金」というものは常に悪用されるリスクを多大に抱えていることになりますので、注意が必要な資産形態と言えそうです。

 

 みなさんに、DECO*27『妄想税』を贈ります。

 

そう、汚い妄想は

汚いお金で、解決させましょう(上記曲歌詞より引用)