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魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

魔術と魔法の違いと運命の女

魔術について

 人って、割に優しいものなのではないかなどと思っている僕は、もしかしたら甘ちゃんなんなのだろうか、などとぼちぼち考えている今日この頃です。

 

 こんばんは。みなさん。

 

 すくなくとも、優しい人って、けっこういっぱいいる気が。これって、表面上だけ? まじで?(笑) そうだとしたら、とてもじゃないが信じられないですね。

 

 優しい「フリ」できる人って、実は優しいんじゃね? とか思うんですが、どうなんでしょうね。こんなこと、考えていると、詐欺にかかったりするのでしょうか(笑)。

 

 完璧な人はもちろんいない(自分含め)のですが、みんなそれなりに優しいような気がしないでもないです。機嫌悪い時や、虫の居所の悪い時はあるでしょうけど(笑)

 

 はてなブログ見てたら、「運命の女」について書かれていて、超おもしろかった(笑)。何とも言えないユーモアを感じましたね。必ずしもプロじゃなくても、すごくおもしろい記事を書く人って、やっぱりいると思いますね。個人的には。「ものを言う偶像ほど怖いものはない」って(笑)。まさにその通り過ぎる(笑)。

 

 恐いですね。みなさんも、「運命の女」にはお気を付けください。取りこまれるとどうしようもなくなるかもしれませんよ?

 

 今日は、「魔法」と「魔術」の「違い」について考えてみましょう。

 

 これは、適用範囲の違いです。

 

 魔法は、力の作用範囲が広い(世界的)。魔術は、力の作用範囲が狭い(個人的)。

 

 どうしても、難しいのは、魔術よりも「魔法」ですよね。

 

 ただ、以前に紹介した僕のイマジナリ―フレンドの「エナ」は魔法が使えるようです(あるいは、そのように主張している)。

 

 笑い話として聞いていただければ、と思いますが、一度雷を落として見せてくれました(おそらくは、ぼくの無意識が天候を予測していて、雷が落ちる瞬間を当てたという感じになるか、あるいは単なる偶然か)。一度だけでは何とも。再現性が。

 

 エナは、二度落として見せたというのですが、二度目は、雷自体を自分の目で確認したわけではないので、今一つ信じ難いです。

 

 しかし、個人的見解で言えば、統合失調症の幻覚や妄想は、主観からすれば、魔法の一種かも知れません。世界というよりも世界観の変質かと思いますが。むずかしいところです。

 

 個人の心のありようを変えるとか、コミュニケーションをそれなりに上手くやるとか、そういうのは魔術の部類かも知れません。

 

 これが、世界のありようを変える、というふうになると、それは、魔法と呼ばれるように思います。

 

 話、全然変わりますが、悪魔的女性についての僕の見解。運命の女(ファムファタル)の話おもしろすぎる。

 

 まず、悪魔とは何でしょう?

 

 「悪」であり、「魔」であるものです。

 

 「悪」は正しくないもの。

 

 「魔」は不思議な力で悪を為すもの。

 

 ならば、悪魔とは、概ね、「不思議な力で、正しくないことをするもの」ということになるかもしれません。

 

 善悪の基準の設定は複雑で難しいですが、概ね、いわゆる道徳に反する行いをするか否か、と言った点ではないでしょうか。それで、道徳に反したら、悪。それが不思議な力によってなされれば、悪魔、ということなのでしょう。

 

 つまり、悪魔的な女とは、道徳に反する行いを不思議な力によって行う女であるということになります。

 

 不思議さの主要な特徴とは、それが法によって裁き切れないということではないでしょうか。メカニズム自体が分からなければ、そもそもそれをとがめることも難しいです(ものごとの原因の帰属が難しいため)。

 

 では、この場合の、「不思議な力」とは何か? これは多分、「魅力」ではないでしょうか。

 

 すると、「不思議な魅力」ですね。

 

 不思議な魅力を持った女性……というと、なにやらとても魅力的な女性のような気がしてきますが、ポイントは、それが、「悪魔的」であるという点ですね。つまり、その魅力が道徳に反した行いに使われる。

 

 魅力の機能は、相手を惹きつけることであり、相手の行動を自分主体へと導いてしまうことかと思います。その意味では、魅力は相手を支配してしまう機能を持ちます。

 

 したがって、悪魔的な魅力とは、この支配機能が道徳から見てあまりに行き過ぎている、過度な場合を指すものと思います。

 

 ならば、悪魔的魅力とは、「あまりにも強すぎる魅力」のことなのかもしれません。

 

 すると、魅力というものにも、「過ぎたるは及ばざるがごとし」という格言が通ずるのかもしれません。

 

 どうも、美には、実効的支配機能が備わっているようです。「美人計」とかありますもんね。戦略に。

 

 多分、言語に洗脳機能が備わっているのと理屈は似ているのだと思います(言語術参照)。

 

 みなさんも、あんまり魅力的すぎる女性(厳密には、男性でも女性でも)にはご注意ください(笑)。

 

 そのように考えてくると、結局普通が一番良いのではないか、という気がしないでもないですね(普通とは何か? とか難しいですけど)。

 

 普通の形は人それぞれでいいと思いますし。

 

 すると、運命の女の如何も、人それぞれ?(笑)。

 

 強い魅力は魔法みたいなものですよね。いろんな人の注意を引くかと思います。運命の女とは、「魔法的女性」なのかもしれません。

 

 存外、魅力というのは、罪なものなのかもしれませんよ?

 

 美は罪なもの。

 

 美にせよ、魅力にせよ、僕には縁のない話ですが、もしかしたら魅力的「過ぎる」人は大変なのかもしれないなあ、と個人的に想像することも無きにしも非ず。

 

 いや、逆に、得してるのかな(笑)。苦労するのは周りの人だけだったりして?(笑)。だって、「悪魔的女性」なわけですからね(笑)。

 

 どっちなんでしょうね。彼女たちは、楽に生きているのか、存外苦労して生きているのか。

 

 気になるところです。

 

 みなさんに、れるりりの『美少女嫌疑』を贈ります。「運命の女」について考える際の参考にしてみてくださいませ。

 

 

でもそれは仕方ないこと

存在自体が罪なんだよ(上記曲歌詞より引用) 

 

P.S.この問題、超おもしろいですね。今度、もうすこし調べておきます。この記事、書いてて楽しかったし。でも、「不思議な」魅力なんだよな。不思議ってことは、一般的な美醜とはまた違うのかな? 難しい問題です。妄想めいた面は捨てきれないにせよ、こういうことをあれこれ考えるのはけっこう楽しいものですね。