魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

知能(IQ)についての試論(統合失調症についても)

 みなさん。こんにちは。プルプルタンです。ちょっと補足したいことがあるので、簡単に書きますね。

 

 知能について。

 

 このブログの『統合失調症の機構についての試論』という記事をまず、ご覧ください。

 

 そこでは、統合失調症という病気を考察する際に、次の三つの概念を用いています。

 

 一、情報の取り入れ量。

 二、情報の処理速度(本当のIQ)

 三、情報のノイズ排除量

 

 さて、ここで、注目したいのは、「本当のIQ」という概念です。IQで測定したいことは、情報の処理能ですね。つまり、情報の処理速度が知りたいのです。

 しかし、これは、おそらく、「測定されるIQ」「観測されるIQ」とは異なっています。

 

 なぜなら、測定されるIQは、情報処理速度の影響だけではなく、情報の取り入れ量と情報のノイズの排除量の影響も受けており、純粋なIQではないと考えられるからです。簡単に言えば、こんな感じ。

 

 細かい話は面倒くさいんだよね(笑)。でもちょっと触れます。面倒かもしれませんが、少しお付き合いいただければ幸いです。

 

 まず、ノイズを廃除するということはどういうことなのか、ということ。これは、偶然性の排除です。そして、発明の多くは、偶然性を起点としています。最高の発明家は偶然そのものであるとすら言えるかもしれません。偶然、つまり、ノイズとは、単なる悪者とは言えない部分を持っていて、けっこう大事なところもあったりするわけです(一見、無価値なものが、実はとても価値あるものであるというのは珍しいことではありませんね)。

 

 そんなわけで、ノイズは発明の母なのですが、IQが高いためには、情報のノイズの排除量が多いことが大切なのです。これを、「適切な情報を選択する能力が高い」というふうに現代においては、表現されます。これは、言われたことをこなしたり、事務的な行為をする、あるいは、一定のルーチンをルールから「逸脱」せずに、上手にこなす、ということにはとても向いている能力と言えそうです。しかし、多分に偶然性を必要とする「創造性」の面で言うと、ノイズの排除能力が必ずしもいい影響をおよぼすとは言えないかと思います。

 

 ノイズを排除するので、いらない情報が頭に入ってこない。つまり、無駄がない。しかし、一見無駄に見えるもの、そう言った「逸脱」の中に、「発明」や「創造」は生じると考えられます。

 

 ここで、ひとつ簡単なモデルを考えてみましょう。

 

 Aさんは知能100(毎秒100処理する)、情報取り入れ量200(毎秒200情報を取り入れる)。

 Bさんは知能200(毎秒200処理する)、情報取り入れ量1000(毎秒1000情報を取り入れる)。

 

 これに課題をあたえて、十秒で解くとすると、Aさんは1000の情報を処理。未消化情報量1000。正答率二分の一。

 

 Bさんは2000の情報を処理。未消化情報量8000。正答率五分の一。

 

 さて、では、この場合、「測定されるIQ」はどのように出てくるでしょうね。ちょっと考えてみましょう。

 

 まず、この仮定によれば、「本当のIQ」はBさんの方が高いです。

 

 しかし、情報の取り入れ量自体が多いので、Bさんは、IQ自体は高いものの、処理自体に時間がかかってしまいます。Aさんよりも多くの情報を取り入れ処理しているからです。つまり、AさんはBさんよりも特定の指示された課題をこなすのに時間がかかりますが、通常より深く大量に思考し、深く大量に感じているのです(つまり、ひとつの課題から学ぶことができる量がかなり違います。これを、『一をもって十を知る』などというふうに言うこともあります。この様態を『ギフテッド』という。ギフテッドを「いわゆるIQ」だけで測れないのはこのため。「本当のIQ」は測るのが難しいですね。部分ではなく、「全体」で評価しないと明らかになりませんけど、「全体」を評価できる人って結構限られると思いますし)。

 

 結果、情報の取り入れ量が少ないAさんの方が、てきぱきと「効率」的に課題をこなすことができ、測定されるIQが高くなるであろうという仮説が立てられると思います。これはこれで非常に優れた能力ですね。効率的な人間にももちろん、幾多の短所はありますが(ノイズの排除量が強いので、ルールから逸脱した思考、創造性が発揮しづらいことが予想されるとか色々)、それは、創造的な人間(ノイズの排除量が少ない、つまり、認知的脱抑制が強い人間)にも負けず劣らず短所はありますからね(笑)。お互いさまです(分かりやすくするために、ノイズの排除量を省いていますが、実際の計算式では、ノイズの排除量も考慮する必要があります。ただ、基本は同じですので、ご興味のある方はご自分で計算してみてくださいませ)。

 

 あとは、「感情」と「欲望」の備給と知能(情報処理能、速度)の関係の問題が残っているのですが、今日もう眠いので、今度でいいですか?(笑)(あー、後多重知能とかもありますね。大事です。一般知能とどの程度の兼合いで存在するかについて)

 

 あーあと。

 

 統合失調症をこれを踏まえて少しだけ。

 

 つまり、統合失調症者は、認知的脱抑制が強いため(逸脱性、創造性がある)、「いわゆるIQ」が低く測定されているのであろう、という仮説です(つまり、本当のIQが低いとは限らない)。

 

 こんな感じかな。

 

 あとは、何だっけか。

 

 あれだ。

 

 あの。

 

 何だっけ?(笑)

 

 すみません、忘れました(笑) 思い出したら、書きますね。じゃあ、今日は取りあえずこの辺で。

 

 お休みなさいませ~

 

 P.S.

 合理性について。

 

 合理的態度を取った場合。まず、「過ぎたるは及ばざるがごとし」ということが明らかになる。

 なぜなら、全ては、矛盾の渦に吸い込まれ、「中庸」の状態が生じるため。

 したがって、「過剰な合理性」という概念は、いささか語義矛盾であるのではないかと思う。

 もしも、本当に合理的であれば、過剰に合理的であるということはほとんどないのではないかと思う(例外はあるし、あってもいいし、それにも利点はあるとも思う)。

 したがって、「過剰な合理性」などと言った、虚妄の概念を用いて、そこに精神病的レッテルを貼るのは適切性を欠くのではないかと思うし、過剰な人びとが成功しているきらいもある中で、過剰性を批判すること自体が、難しいという事実についていま一度再考してみるのも手ではないかと、提案する。

 

 脳の体積について。体積が多いものほど優れているとする。だとすれば、アスリートは今頃、みんな肥満であったことであろう。以上。

 

 肥満には肥満の役割りがあり、アスリートにはアスリートの役割りがあるのである。脳の体積減少が必ずしも病的だとは言えない。脳のネットワークの「刈込」が創造性を担保している可能性がある。

 

 例えば、創造性を連想性によって定義してみる。瞬時に色々なものへとつながるほど良い。そのためには、色々なネットワークに向けて、神経回路が効率よく整備されていなければならない。その結果、神経回路は、スマートとなり、脳の体積は減少するであろう、などと言った、仮説も立てられる。何かに病気や悪のレッテルを貼って差別する前に、人類の無知を再認識するのが妥当である(無知の知)。その上で、みんなで合理的に検証してみましょう。「あらゆる意味での論理」(つまり、「感情」をも含んだあらゆるものを包摂するある意味で、『多元的』論理によって。『ポリローグ』参考)を用いて。

 

 統合失調症における、「統合」の解釈について。

 

 これは、思考および行動の統合である。つまり、人間の営為全てである。統合とは連合である。連合とは思考においては、連想である。行動においては、連想からもたらされた意志による行動である。つまり、端緒は連想である。したがって、統合とは、本質的に「連想」である。

 そして、連想の問題は難問である(ヒューム、『人性論』など参照)。したがって、現時点では、何が「正当」な連想であるかは判断できない。様々な連想、様々な思考、様々な言語、様々な信仰を認める態度がある程度(少なくとも今よりは)必要であろう。思考も言論も、自由はある程度必要なものなので、統合失調症だ、妄想だ、歴史修正主義だとか、言う前に、もうすこし論理性を検証してみたほうが良いのではないかと思う。こんなことを言うと、「過剰な合理性だ!」とおっしゃる方もいらっしゃるであろうが、解釈とはそもそも主観的なものである(というか、主客とかそもそもないし……でも、これはあまり言わない方がいいっぽいので、以降お口にチャック)。マジョリティだから偉いわけでも、正しいわけでもない。マイナーな連想(連合弛緩など)だってあってもいいのである(本人が良くて、他害がなければ)。

 

 連想の難問性について、軽く。

 

 AからBを連想する。これはなぜ? 原因Cがあるから。じゃあ、原因Cは何から連想される? 原因Dから。原因Dは何から連想される? 原因Eがあるから……みたいな感じになったりする。超難しい。てか、切ない(無限後退)。

 

 精神医学が、「つまらない統合」を多くの人たちに押し付けるようなことにならないようにと、個人的に祈っている。統合や連想、思考や言論、宗教や信仰は、本来、自由でいいはずである。いちいち精神科医のお墨付きは要らない。国に管理されるいわれもない(あまりにひどく他害しない限りは。冤罪とか勘弁だけど)。

 

 「統合失調」という概念は、「俺たち以外の統合は認めないぜ。ヒャッハー!!!」的なことであり、そう言った方々は、いささかファシズムの傾向が強く出過ぎているのではないかと思う。精神医学とか精神医学とか精神医学とか。別に、すべての国がドイツにならなくたっていいじゃないですか。僕はそう思いますが。

 

 あとは、どんな反論あるんだっけ?(笑) とりあえず、こんな感じだったかな。もう4000字過ぎちゃったので、今度また書きますね。

 

 

 以下、個人的に、好きな人たちのサイト二つ紹介(意見は僕とはけっこう違うところもありますが(笑))。この人たちすごいですよ。ぜひ見てみてくださいませ。

 

 1.心・精神の病気と健康の心理学

 2.いつも空が見えるから | 子どもの疲労と発達障害・睡眠障害のブログ

  

 ※リンクまずかったら消しますので、もし見てたらおっしゃってくださいませ~

 

 あー疲れた。やばい、一時になる(笑)。もう寝る(笑)

 今日は、僕の仮説ですね。いつもそうですけど(笑)。仮説は仮説なので、みなさんもそのおつもりでご参考下さい。