魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。連絡先アドレス:「mmaazzyyuu@gmail.com」 何かありましたらまずはお気軽にご相談ください。基本的には何でもどうぞ。できることには無論限りはありますが。

君の名は。とか、世界とか。

 新海誠の『君の名は。』は、個人的にとても面白かったな、と思います。感動もしましたね。僕は。けっこう統合失調症の方とか、見てみるといいかもしれません。感覚が割に近いかも。

 最初、何か精神分析評みたいなの君の名は。で書こうかな、と思ったのですが、よーく考えてみると、なんというか、精神分析できない気分になってしまいました(笑)フロイトとか、読み返してたんですけどね。完璧に牙をもがれてしまったのやもしれません(笑)

 それに、この作品について、自分が感じたことは、公表するよりもそっと自分の胸にしまっておいた方がいいかな、と僕の場合はそう感じました。

 

 ただ、これだけで終わるのもなんですね(笑)。何かしゃべりましょう。

 

 そうですね……

 

 時間について。

 

 時間が何かというのは、諸説あるかと思います。少し考えてみましょう。

 

 まず、時間は時計によって表すことができるように、見えなくもありません。ここで、時計の時間を、客観的時間と仮に呼んでおきましょう。

 

 それで、同じ一時間でも、好きな子と一緒にいるのと、数学の計算問題をしているのとでは、違いますね。こういう人によって異なる感じ方をする時間を、主観的時間と仮に呼びましょう。

 

 この場合、客観的時間は一つであると考えられますが、主観的時間は人の数だけあるでしょうね。

 

 では、客観的時間と主観的時間の間にはどのような関係があるでしょう?

 

 これは非常に難しいです。もしかしたら、無関係かもしれません。つまり、客観的時間は主観的時間から独立して存在している、かもしれない。

 

 ここには、ひとつの「断絶」があるように見受けられます。つまり、時計と、僕たちの意識の時間との間の断絶。

 

 このままでは、思考が前に進みませんので、ここで、ひとつの仮説を導入してみましょう。

 

 それは、「客観的時間とはすべての主観的時間の総体である」という仮説。

 

 この場合、客観的時間は、幾多の無数の種類の主観的時間が折り重ねることによって、生じることになります。そして、客観的時間とは、いわば「時計」であり、あるいは時計の経時的運動をも含んだうえでの、「時空間」です。

 

 しかし、人間の目に映るものは限られています。つまり、僕たちは、一つ一つの時計は見ることができ、またある程度客観的時間の「ようなもの」を知ることができますが、実際の現実そのものの時空間を認識することができないと考えられるのです。

 

 その意味で言えば、僕たちの認識する時間はすべて、主観的時間であるということになります。

 

 つまり、幾多の時間、幾多の空間が、折り重なって、ひとつだか二つだか多数だか、それはわかりませんが、n個の世界が生じているのかもしれません。時間が折り重なっているというのはそういうことかと思います。

 

 僕たちの体も、幾多の筋繊維が寄り集まってできているわけですが、時間も空間も、僕たちの意識も、ちょうどこれと同じことなのかもしれません。

 

 僕は、統合失調症という症状を持っているのですが、その感覚からすると(僕の症状の場合ですが)、非常にナチュラルにこうした世界観を感じとることができます。世界が「変異」するのです。最初のころはとても怖かったのですが、最近は慣れました。

 

 現在の僕にも、「妄想」と呼ばれうる症状は残っていますし、というか、下手したら、このブログに書かれているような思想体系はすべて妄想的ということになるやもしれませんね(笑)。なにせ、主客は存在しないだなんて書いているわけですから(笑)

 

 しかし、この世の中には、そういう世界観というか、「感覚」が存在しているのだということは、みなさんに知っておいていただけると、個人的には嬉しいかもしれません。

 

 解離性障害について。

 

 気づいたら知らないところにいたりとかしたら、すぐに分かるのではないかと思います。あと、嘘ついた記憶ないのに、妙に嘘つき呼ばわりされたりとか。言った記憶がないのに、「あなたはこんなことを言っていた」って言われたりとか。送った記憶のないメールが携帯に入ってたりとか。知らないうちに物の配置が動いていたりとか。でも、意外に意識できないかもしれません。なぜか、該当箇所の記憶だけがきれいに思いだせず、しかもそれに対する違和感も思いだせないのです。不思議ですが(僕は解離性障害と診断されているわけではなく、統合失調症ですが)。てか、下手すると、記憶の欠落を指摘されても、へらへら笑ってるかもしれません(笑)。何かにつけ現実感がないのではないかと。

 僕の場合は、診断名が統合失調症ですから、記憶が無くなるのは、解離主体というよりも妄想主体の何かなのやもしれません。離人症とか自体は、統合失調症でも生じるらしいですし。妄想と解離の違いとか考えだすと切ないですけど。なんか、「統合失調症とは、複数の疾患の集合体だ」とか言っている人もいますし。そもそもからして、あんまり厳密な概念ではないのかもしれません。

 ここで、ぼくが疑問に思うのは、一体記憶のない間、自分は何を考えていたのか、ということ。そして、その記憶が失われたということは、一種の夢を見ていたのだろうということ。また、通常睡眠中は身体が運動しないにもかかわらず、なにかのきっかけで、それが運動に直結しているということ(しかも、周囲の人がこちらに怒っていたりするということは、それほど突飛な行動をしておらず、――つまり、こちらに行動の責任が帰属される程度には突飛ではなく――、ある程度、組織だった行動と発言がなされていると予想される)。

 解離性障害とは、ひとつの「睡眠」なのかもしれません。夢遊病

 たしか、認知症とかにもこういう症状あった気もする。何だったか忘れましたが。

 でも、最近は大丈夫ですよ。多分(笑)

 まあ、睡眠中の僕も、それなりに上手くやっているのでしょう。

 

 ここで、非常におもしろいのが、睡眠と非睡眠時の、世界の区別です。睡眠時はこの世界のことを通常は認識しないと言われているように思います(明晰夢というのがあるので、一概には言えないかもしれませんが。これはけっこう楽しいです。夢が自由自在に)。だとすると、ぼくがその時いる世界は一体どこなのでしょうね? 日常生活の印象が蓄積されて、それが何やらアクロバティックに結合し、視覚的に合成された何か、なのでしょうかね。僕にはわかりませんが。ただ、知覚と世界を区別するのは、並大抵のことではないと思いますので、難しい問題です。

 

 今日はなんか、ずいぶんと話がくどいですね(笑)。君の名は。に直接触れることを避けつつ語っているからかもしれません。変に文章にしこりが出ている気がします。

 

 世界について。

 

 ぼくには「世界」のことはわからないのですが、すくなくとも、「知覚」自体は、複数存在すると言えるのではないでしょうか。たしか、三島由紀夫の小説に、「端に神とは時間がずれているのだ」みたいな記述をどこかで見た気が。統合失調症のせいかどうかはわかりませんが、この感覚はけっこうわかる気がします。「すぐそこにいる」のですが、時間がずれているのです。そんな感じ。

 

 ただ、君の名は。については世の中にいろいろなご意見があるようですね。おもしろいです。

 

 酒について。

 

 酒は酔うためのものですね。酔いというのは、とても眠りに似ているように思います。酒というのは、一種の睡眠を催すものなのかも知れません。酩酊状態には、解離に似た症状もあるやもしれません。つまり、ある意味、酒とは、人為的に、解離性症状を生み出すためのものと言えるかもしれません。人為的にトランスするためのもの。それは、睡眠後の世界であり、夢であり、もう一つの知覚、主観的時間への接続を意味すると言えるかもしれません。

 

 他者の唾液への嫌悪感について。

 

 唾液への関心の強さを暗示しているように思います。おそらく、人間にとって唾液とは重要な意味を持つ器官なのでしょう。唾液は、「涎を垂らす」などの表現に見られるように、「強い欲望」を暗示しているように思われます。その場合、唾液とは、強い欲望の権化であり、唾液への嫌悪感、とりわけ、「他者の」唾液への嫌悪感は、他者の持つ強い欲望への嫌悪感であると言えるのやもしれません。強い欲望の代表としては性欲が挙げられるかも知れません。この場合、唾液は性的な印象の象徴として生じ、また、性的な強い欲望による、その興奮の作用は、ひとつのトランス、つまり、夢へと接続されるかもしれません。欲望とは、いわば、ひとつの身体であり、実体はないまでも、言うなれば、「器官なき身体」であるのかもしれません。唾液に憑いた自分のもう一つの身体。

 

 夕方について。

 

 夕方とは、昼と夜の接続であり、昼とは明示性を持った日常であるとすれば、夜は暗闇に閉ざされ、いたずらに人の想像を掻き立てる、ひとつの幻覚としての「夢」であるといえるかもしれません。逢魔時において、人は、自分の夢と出会い、それは、別個の身体であるのやもしれません。別個の身体と夢が重なり合った場合、それを、「運命の出会い」などと形容してみるのかもしれません。夢に憑いた自分のもう一つの身体。

 

 彗星について。

 

 彗星とは星であり、重力を持ちます。重力場の変化は、時空間の変化をもたらすのやもしれません。

 

 巫女について。

 

 舞いや歌は、トランスを引き起こすものと思います。それは夢、もう一つの知覚への接続であるかもしれません。

 

 すいません。なにやら、パソコンにバグのようなものが発生しておりますので、今日はこの辺にします(笑)続きはまた、気が向いた時でも。一つの意見としてご参考下さい。