魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

魔術師の学習方法? について。

 今日は、魔術師の学習計画について。

 

 何やらしょっぱなから語義矛盾なような気もしますが(笑)

 

 僕の魔術の場合は、まず、何事につけ、自由に学習するのが一番効率がいいだろう、みたいな感じです。ただ、いきなり「自由にやって」と言われても、できない方もいらっしゃるかもしれませんので、そういう方の参考に少しでもなれば幸です。。

 

 まず、こないだご紹介した、「読書術(教養術)」などがある程度参考になるかもしれません。

 

 フェルトセンスを意識して、日ごろの生活を営むと、とても面白いのではないかと。フェルトセンスは本だけではなく、花にもありますし、鳥にもありますし、石ころにもありますから、そう言ったものを読みとって、言語化してみるといい練習になるかもしれません。魔術の。

 

 後は、小説を読むこと。とにかく多視点化すること。専門論文などは、非常に効率的かもしれませんが、視点をしぼっていることが多い様に思われますので、多視点化するには、小説などの方が向くかも知れません。

 

 歴史に対する捉え方。

 

 歴史はとても重要な点なのですが、これも鵜呑みにはしない方向の方がいいかもしれません(魔術師の場合)。歴史の形成過程を自分で思考してみて、それを、色々な現象に適用する練習をしてみるといいと思います。例えば、何か巫女の踊りがおもしろいな、と思ったら、その歴史的形成過程を調べ、そこから抽象的な概念の構造を取り出して、さらに、それを別の現象に応用してみるとか。そんなのもいいかもしれません。

 まず、誰が歴史を書いているかに着目したりとか。すると、単純に考えれば、その語り手につごうの良い歴史になっている可能性が高いですから、その点のバイアスを考慮して読む練習をしたりとか、そういうことをすると、いい練習になるかもしれません。

 

 抽象化と具体化の練習というか。抽象的に考えた後、それを具体的に応用してみて、遊んだりとか。楽しいし、練習になるかもしれません。

 

 走ること。

 

 走るのはいいかもしれません。体引き締まるし。ボディイメージ、魔術にすごく影響するみたいですから、自分の好きなように体を引き締めておくのは有効かもしれません。あと、健康にもいいらしいですし。一石二鳥ではないでしょうか。体力もつくから、一石三鳥だろうか?(笑)

 

 服装について。

 

 これも、自分の好きな形をいっぱいためしてみるといいのではないでしょうか。類感呪術(当ブログの引力術など参照)があるとすると、服装は、もろにパフォーマンスに影響するはずですから、自分の好きなようにファッションするといいかもしれません。まず、形から入るって、結構大切だと思うのです。

 

 完璧志向について。

 

 これは、捨てたほうが楽かもしれません。そして、効率もいい気が。

 読書ひとつとっても、結局のところ、一冊の本すら、読み終わることは永久にないのではないかと思いますから、どこかきりのいいところで中断することは必要かもしれません。読書完了の定義についてかんがえてみてください。すると、永久に読書が完了しないことがわかるかな、と思います。完了は基本的にないものとして考えていた方がいいかもしれません。

 

 官僚について。

 

 魔術師は、基本的に敵を作ることはしない方針なのですが(僕の場合)、多少、官僚とは拮抗する所があるかもしれません。官僚は多分、優秀な方たちなのだと思いますから、ぜひ頑張っていただきたいな、と思います。魔術師は、支配体制からの脱走と言った側面が無きにしも非ずですので、どうしても国家体制からはみ出ちゃうようなニュアンスはあると思います。

 詳しい政治のお話については、僕は門外漢ですので、政治学者の方とか、識者の方に伺ったほうが良いかもしれません。一応、当ブログに、「政治術」という記事が上がっていますので、ご興味のある方は参考にしてみてくださいませ。

 

 指揮者について。

 

 なんか魔法使いみたいですよね。指揮者の方って。多分、通ずるものあるのだと思います。ただ、指揮者がオーケストラを「支配」しているのではなく、多分、奏者と指揮者の間で「共生」関係が生まれているのでしょうね。魔術師は、支配者というよりも、共生することを志向するかも知れません。場合によるのでしょうが。

 

 魔術師の連携について。

 

 魔術師は連携を取ることに多少慎重かもしれません。連携しすぎると、一丸になりすぎてしまうリスクがあるというか、ファシズム? のリスクがあるようにも思いますので。とは言え、ある程度の連携は大切ですね。独立性を保ちながらも、一定の連携は事実上必要かもしれません。基本は連携というよりも、出来るだけ好きにすることというか、自由にするようにがんばることかもしれません。

 

 魔術の直観と合理性について。

 

 これ難しいです。そのうち気がむけば、記すかもしれません。多分、くっきりと意識化されていない論理が直感なのだと思います。無意識的論理。それで、いわゆる合理性というのは、意識的論理。何方か一つだけでは足りないので、どちらも必要なのかも。意識的論理だけに着目すると、酸っぱい葡萄、の逸話みたいな話になるのだと思います。無意識の論理を詳しく見ていくのも、魔術師のやることの一つと言えるのではないでしょうか。

 

 ルーチン業務について。

 

 今のところは、避けて通れない場合が多いかもしれませんね(笑)。これは、ミヒャエルエンデの『モモ』という本を読まれるといいと思います。ベッポおじさんという人が、道を箒で掃除する場面があるのですが、一歩前のことだけに集中していくと、あっという間に掃除が終わった、みたいなお話です。それがコツかもしれません。お読みになってみるといいかもしれません。魔術師としては、できる限り、ルーチンワークを放棄していく方針かも知れませんね。もちろん、ルーチンワークを極めたければ、それを極める魔術師がいても、おもしろいかもしれません。ご興味のある方は実験してみてくださいませ。

 

 統合失調症の視野について。

 

 これは、基本的に、あらゆるものが解体していく視野であると言えるかもしれません(僕の場合)。すべて、微粒子に見えるような感覚。何を見ても、どこまでも細かく分析されてしまって、跡形もなくなってしまう感じです。そのような過程の中で、いわゆる霊? と呼ばれうるものの存在が見える? というか、感じることはあると思います。多分、網膜に映っているっていうのとは違う感じがします。何なんだろう? 拡張現実みたいな感じなのかな? ちょっと自分でも分からないところではあります。一種の、幻日みたいなものなのかもしれません。

 

 魔術師としての善について。

 

 多分、大きく三つ。

 

 1.他害しない。

 2.自由の尊重。

 3.不幸の受容もある程度含めた上での幸せの尊重。

 

 最後のやつは、いわゆる不幸を幸福とする場合もおそらくあると思うので、そんな感じのニュアンスの意味です。自分の幸、不幸の観念を、他人に押し付けすぎると、それは他害になってしまうかもしれませんので、注意が必要なところかもしれません。あんまり、気にしすぎると、コミュニケーション自体取れなくなってしまうかもしれませんので、バランスが難しいところですが。

 

 世間について。

 

 僕は世間知らずですので、もっといろいろと知らないとなあ、と思っていました。もっといろいろなものを見てみたいですね。

 

 とりあえず、こんな感じでどうでしょう?(笑) 色々と不充分なところはあるのでしょうが、それこそ、完璧主義すぎると、僕のキャパシティーが容易にオーバーしますので、注意しないとな、と思います。

 

 あと、魔術師にならない方法について。

 

 多分、極力、思考を停止し、周囲に協調することを主眼として行動すればいいのかもしれません。それはそれで一つの生き方なのかなあ、とも思いますので、否定しません。

 

 ああ、シェアハウスについて。

 

 てか、家族概念? について。ネットで見たんですけど、みんなシングルマザーになって、シェアハウスすればいい、みたいな。おもしろい考え方だな、と思いました。それで、子供もみんなで育てるのだそうです。

 いわば、子供の共有。

 どうなるんでしょうね。おもしろいところです。実質的には、この場合、夫の共有、妻の共有、子供の共有、と三拍子そろっているのかも。

 意外に、一夫一妻制にこだわる必要ってないのかもしれませんね。みなさんもいろいろと気が向いたらご想像なさって見てくださいませ。

 

 今日は以上です。