魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

マウンティングについて

 みなさん。こんばんは。

 

 今日はマウンティングのお話から始めて、気分で話題をコロコロ転がします。

 

 マウンティングとは、自分が優秀だと誇示することなのだそうです。

 人間であれば、そういう気持ちは確かにあるかもしれませんね。

 誰にでも、プライドがありますし。

 

 プライドはもちすぎると、厄介ですが、持たなすぎるとそれはそれで厄介かもしれませんね(笑)

 

 高慢すぎてもむずかしいですが、卑屈すぎてもむずかしい。

 

 このように考えてくると、人間関係って、ほんとに面倒くさいですね(笑)

 でも、現実的に、人間関係なしでは生きていけないのもまた、事実なのだろうと思いますので、何とか折り合いをつけて頑張っていきたいところです。

 

 さて、みなさん、マウンティングをする人の心理について考えてみたことありますか?

 僕、あんまり考えたことないんですよね。だから、今日、みなさんと一緒に考えてみようと思います。

 

 まず、自分が優秀であることを示す必要があるというのは、程度問題ですが、基本的にそういう面、ありますよね。

 

 どんなに優秀でも、そのことを多少なりとも相手に伝えないと、仕事や対人関係に一種の損が生じるかもしれません。

 能力があるのに、それを隠蔽するのも、集団全体の労働効率を下げてしまいますよね。

 なので、社会的にも、ある程度、自分の能力や優秀な点について示すことは必要になるのだと思います。

 ですが、それが度を越して、ものすごーく自分の優秀さを誇示しすぎると、それは、マウンティングと呼ばれるみたいです。

 

 つまり、優秀な点を示すこと自体は悪い事ではないのですが、優秀な点を「過度に」誇示しすぎると、問題とされる場合あり、その場合、その行動には、「マウンティング」というラベルが貼られる、ということですね。

 

 個人的には、気にしなければどうということはないのではないかという気もしないでもないですが、世の中では、マウンティングを嫌だと思う人も結構いるのかな、と思います。(なんかネットでよく見かけるんですよね。この言葉)

 

 では、なぜ、過度に自分の優秀な点を誇示しすぎてしまうのかについて考えてみましょう。

 

 まず、優秀な点を誇示すると、その人に何かのメリットがあるのでしょうね。何かの欲求が満たされるのだと思います。

 

 日本だと、食欲とか命にかかわるような欲求は満たされていることも多いように思いますので、すると、もうすこし高次な欲求を満たすために、マウンティングを行うのかもしれません。

 

 例えば、承認されたいという欲求。

 

 つまり、承認されたくて、自分の優秀な点を誇示しすぎてしまう、というふうに単純には考えられますよね。すごく単純ですけど。

 

 あるいは、何かの目的を達成するために、マウンティングしている場合もあるかもしれませんね。

 例えば、何か人目を惹く必要があって、わざと目立つために、マウンティングをしているとか。そういうこともあるかもしれません。

 この場合、承認されたいというよりも、「注目」されたいんでしょうね。商売とかの場合は、この場合であることも多いのかもしれません。つまり、一種の「広告」のために、マウンティングするというパターン。

 商品は自分の思想かもしれませんし、何か具体的なものかもしれませんし、それはわかりませんが。とにかく何かの広告のために注目を集める、ということはあるかもしれません。

 

 つまり、承認されたくてマウンティングするパターンと、何か自分の目的を実現するために、マウンティングするパターンがあるかもしれません。

 

 承認とは何でしょう?

 

 承認の行動を具体的にみてみると、「すごいね」と褒められるとか、そんな感じではないでしょうか。褒めるのが承認。あるいは、共感も承認かもしれませんね。「そうそう、俺もそう思ってた!」とかって共感されると、承認された感じしません? 承認とはこんな感じのものなのだと思います。

 

 では、自分の目的を実現する、というのはどういう行動でしょうか?

 

 この場合、何か、自分の中にある目的のようなものを、実現するための行動ですので、承認自体が目的ではありませんね。むしろ、承認を得るのは、自分の実現するもののための、「手段」となっています。つまり、承認の欲求との違いは、この場合、承認は、「手段」にすぎない、ということですね。目的ではない。

 

 まとめると、つぎのようになります。

 

 1.承認欲求:承認が目的。

 2.自分の実現するものをもとめる欲求:承認が手段。

 

 つまり、マウンティングには、承認が目的のばあいと、承認が手段の場合があると考えられます。

 

 承認が目的である場合には、承認を得ることで、その人の欲求は留まり、そこで満足して行動が留まるとかんがえられます。

 逆に、承認が手段にすぎない場合には、承認を得ても、欲求が留まらないので、その人は行動し続けます。

 

 この点で言うと、承認を目的としている人よりも、承認をひとつの手段としている人のほうが、行動的であると言えるかもしれません。

 

 では、「行動的」とは何でしょうか。

 

 これは、活発な印象を与える言葉ですね。そして、仕事に精力的なイメージもあります。ならば、行動的、という言葉は、概ね、その人にとって、利益になるそれなりに良い状態を指示していると言ってもいいかもしれません。

 

 じゃあ、「行動しない」人については、どのような印象をうけますか?

 

 何か、口先だけで、動かない人という印象がどことなくある気がします。行動的な場合と比べると、あまり、少なくともいわゆる利益はなさそうにも見えます。

 

 ならば、どちらかと言えば、人はある程度は行動的であったほうが、いいものなのかもしれません(そもそもまったく行動せずに生きることもできませんね)。

 

 そういうことですので、この限りにおいては、単に承認を目的とするよりは、承認の向こうにあるものを求めつつ、承認を「一つの手段」と割り切って考える方が、適応的に行動できるのかもしれません。つまり、承認が得られなくても、一種、別に構わないわけですね。他にも手段があるので。

 ただ、承認が目的となってしまう場合には、そうはならなくて、承認自体が「目的」となっていますので、承認を得られないとパニックになってしまったりするかもしれません。そして、そのパニックの症状のひとつを、「マウンティング」と特に呼ぶのかもしれません。

 

 このように考えますと、承認を手段としている人は、マウンティングをすることはあるかもしれませんが、マウンティング以外にも手段を持っていますので、マウンティングに固執することはないでしょう。

 しかし、承認を目的としている人の場合には、マウンティングをしつこく繰り返すであろう、と考えられます。

 

 そして、マウンティングはおそらく、概念として、「しつこさ」をふくんでいるように思われます。別に、自慢したとしても、あまりにしつこい度を越した範囲でなければ、「可愛げ」ということで済むのではないでしょうか。

 

 問題なのは、マウンティングが「あまりにしつこい」ということ。

 

 すると、二種類あるかに見えたマウンティングですが、実は、一種類で、それというのも、承認を目的とする場合のマウンティングが真のマウンティングである、と言えるのかもしれません。

 

 さて、今日のお話をまとめます。

 

 マウンティングとは、たんなる自己誇示(自慢とか)ではなく、「しつこい自己誇示」のことである。つまり、しつこくない自己誇示なら、ある程度正当である。これはマウンティングではない(つまり、自己誇示している人のすべてがマウンティングをしているわけではない。商売や何か別の目的のために自己誇示をしている可能性がある)。

 そして、自己誇示は二種類に分けられる。

 

 1.承認を目的とした自己誇示(マウンティング)

 2.承認を手段とした自己誇示(宣伝、広告)

 

 この場合、前者の自己誇示を特に「マウンティング」と呼ぶ。

 そして、恐らく、行動的なのは、承認を手段とした場合であり、つまり、マウンティングをするのではなく、どちらかと言えば、自分を宣伝したほうが利率が良いのかもしれません(宣伝するからには、なんらかの「ウリ」を持っていなければなりませんが。長所とか能力、資質とか)。

 ですので、承認を求めてマウンティングするよりも、承認を一つの「手段」に過ぎないと捉えて、自分の能力なり資質を伸ばすことに専念したほうが、利率が高いと考えられるかもしれません。

 ですので、マウンティングされたら、それにマウンティングで応じる必要は必ずしもないと思いますので、相手を承認し(マウンティングの目的は承認であると考えられるので)、一方で自分はせっせと能力の研鑽に励めばいい、というふうに思います。面倒臭いと思う事もあるかもしれませんが、承認されたらうれしいということ自体は、おおむね誰でも同じですね。ある程度はお互いさまと思って、あきらめるのが現実的なのではないでしょうか。少なくとも、マウンティングにいらいらし続けるよりは、健康的なのではないかと(笑) マウンティングで足を引っ張り合うのではなく、自己誇示を手段のひとつとして、お互いの能力を少しずつ研鑽していけるといいのかもしれませんね。

 

 マウンティングというか、自尊心の近辺の問題は、非常にセンシティブな領域かと思いますので、みなさん、各々考えるところおありかと思います。皆さんも、気が向いたら、ご自由に色々と想像してみてくださいませ。

 

 分析は魔術の手法の基本となるものかと思いますので、気になったこととかあったら、積極的に分析してみるのも、魔術修業にはいいかもしれません。