魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

色んな言葉

 みなさん、こんばんは~

 

 今日は適当に思いついたことを書いていこうと思います。「散漫術」です。

 

 いよいよ春ですね。

 

 いやー春ですよ。

 

 春は暖かい季節ですね。

 

 それで、僕はよく思うのですが、この「あたたかい」って不思議な言葉だと思いませんか?

 

 「暖かい」と「あたたかい」も違う。

 

 なんか、僕の場合は、「暖かい」の方が温かい感じがしますね。視覚的に密だからかもしれません。漢字はひらがなよりも密なものが多いので。

 

 満員電車とか暑苦しいみたいなイメージないですか?

 

 密なものって、どうも熱いみたいなんですよね。

 

 「蜜月」とかいう言葉もなんか暑いですしね。

 

 熱い、厚い、暑い、篤い、というふうに、「あつい」と一言に言っても、様々な「あつい」があって、しかも、その一つ一つに独特のニュアンスがあるんですから、びっくりですよね。

 

 まして、外国語を翻訳するとかになると、このニュアンスの差異化は絶好調で、ヒャッハーですから、マジで難しいです。

 

 翻訳というのは、なかなかどうして完璧にというのは難しいことのように思います。

 

 翻訳する技能と読む技能、あるいは会話する技能、作文する技能、全部、違う技能ですもんね。

 

 ある程度、共通する基礎はある気がするけど、やはりそれぞれの技能に味があり、一種の専門性があります。

 

 何か奥行き深い感じがして、専門もたまには悪くないかな、って気分になります(笑)

 

 最近、ちょっと考えていたんですけど、「リベラル」って言葉も不思議ですよね。

 よくよく考えてみれば、すべての言葉が不思議なので、何もリベラルに限ったことではないのですが。

 

 色々なリベラル論があるようです。「リベラル」と「liberal」も違いますよね。まず、言葉から受ける印象自体がまるきり違う。やっぱり、「リベラル」の方が固いですよね。印象が。つまり、日本風のリベラル派は、外国のliberalよりも、固いのだろうか(笑)よくわからないですが、色々と想像できて面白いですね。もしかしたら、外国のliberalと日本のリベラルは違うのかもしれませんね。もっと言えば、リベラルと言ってもさまざまなliberalの人たちがいるのかもしれません。そう考えると、なんとなく不思議な感じがします。世界ってほんと多様だな、っていうか。驚きに満ち溢れていますね。知らないことだらけです。たくさんの機微であふれているみたい。

 

 言語相対仮説とか、サピアウォーフ仮説というものがあって、言語ごとに思考とか異なるんじゃね? みたいな意見があるんです。

 

 少なくとも、文字とか言葉から受ける印象は、外国語と日本語ではまるきり違うんですよね。リベラルとliberalは、全然違う。

 

 この辺の微妙なニュアンスというか機微はどうすれば翻訳できるんでしょうね。考えていくと、翻訳すべき情報がやたらに多すぎて、切がない感じになってきます。

 

 翻訳というのは、何というべきか、ある種、苦し紛れなところのある技能なのかもしれません。

 

 でも、翻訳がないと、外国語の人と交流できなくてそれもさびしい話です。

 

 いちばんいいのは、自分が話したりできて、一定期間、外国で暮らしてみることなのかもしれませんが、そのようなことになると、お金とか、時間とかの関係で難しくなるのかもしれませんね。

 

 僕などは、語学がとても好きなので、あまり勉強していても苦にはならないのですが。

 

 それに、「そういったニュアンスとか機微は無視しても良い。誤差の範囲だ」という意見もあるかもしれませんし。

 

 意見は色々ですね。この問題ひとつとっても色々。

 

 言語というのは、本当に不思議な魔法みたいな道具ですね。

 

 いったいどういう仕組みしているのか、とても気になります。

 

 考えてみると、色々想像できて面白いので、気が向いたら、みなさん自由に想像なさってみてくださいませ。

 

 最近は、「モテ」のことについても色々考えてましたね。僕モテなくて(笑)

 

 色々なセクシャリティがありますね。

 

 ゲイ、レズ、トランスジェンダーロリコン、童貞、処女、ヤリチン、ヤリマン……

 

 「性」は色々と数多くあるようです。本当は、もっとこれらの言葉に表現されていない微妙なニュアンスや機微もたくさんあって、それらの大量の情報は、ここに記述された言葉だけでは、到底表現しきれないのですが、とにかく「色々」というのが精いっぱいかな(笑)いずれにせよ、セクシャリティは多様ですが、そこに優劣自体はないですね。

 

 それにしても、切りがないですからね。言語分析は大変です。

 

 それで、その分析から得られる情報が役立たずだったらいいんですけど、なかなかどうして、有用な情報とかポーンと出てきたりしますからね(笑)

 

 だから、面倒くさくても、たまに言語分析の手間はかけることにしています。

 

 例えば、レズと一言で言っても、制服のレズが好きだったりとか、熟女のレズが好きだったりとか、ニュアンスはどんどん細分化していて、しかも、その人にとっては、その捨象されているニュアンス、つまり「些事なこと」がとても大切な要素なわけですね。

 

 だから、抽象する際には、何を無視し、何に注目するかというのはとても大切で。

 

 全部の情報を考慮してたら、頭がパンクします(笑)

 

 でも、全部分析したい(笑)

 

 この葛藤の中で、日々暮しています(笑)

 

 さて、些事なことが大切、というところで……

 

 何の話だっけ。

 

 そうそう。モテの話ですね。

 

 それでね。

 

 性的弱者と性的強者にはどんな違いがあるんだろうな、と考えてみたんですよ。

 

 そもそも性的弱者とか性的強者とかは、存在するのか否か。

 

 世の中は、多くの共同幻想で成り立っていますので、結構な割合で、情報には幻想も含まれていると思うんですよね。

 

 だから、もしかしたら、性的な強弱という概念も、ある程度は幻想なのかもしれません。全部が、とは言いませんが。

 

 あまり気にしすぎるのも良くないだろうし、かといって、あまり気にしなさすぎても、なんかつまらん。

 

 性の話題とか、僕とか、興味津々ですからね。

 

 みなさんはどうですかね。

 

 世の中には、色々な方々が、モテの手法を書いてくださっていますね。

 

 ありがたいことです。

 

 ところで、思ったんですけど、もしもモテを意識し過ぎて、あんまり苦しくなっちゃうようだったら、そもそも非モテでもいいんじゃないかと。

 

 明らかに、人生、モテが「すべて」ではないと思うんです。

 

 僕もある程度は、モテたらいいなとは思いますけど、美味しいご飯も食べたいし、語学もやりたいし、その他もろもろ、色んな細かいニュアンスを伴った、言語化の難しい色んな「機微」を体験していきたいんですよね。

 

 だから、「モテ」という言葉は、そういう大切なたくさんのニュアンスを捨象している概念なんだと思うんですよ。どんな言葉も不完全だからしょうがないっちゃしょうがないんですけど。ただでさえ、「モテ」という一言をとっても、色んな「モテ」がありますよね。動物にモテる人もいれば、お年寄りにモテる人もいるだろうし、色々です。動物が好きな人は、動物にモテると嬉しいでしょうね。お年寄を尊敬している人などは、お年寄りにモテると嬉しいでしょう。誠実な人でもモテる人はいるだろうし、ヤリチンヤリマンでもモテる人はいるでしょうしね。人の好みは色々のようです。モテの多様性(笑)モテの機微はまことに捉えがたいものですね。やれやれです。モテの定義も色々考えられます。例えば、「量か質か」とか。つまり、たくさんの量のセックスをしていればモテる、とするのか、それとも飛び切り質の高い人と付き合っていればモテる、とするのか。このようにモテの定義も多様です。みなさんもモテについての議論を見かけたら、「この人はどのような定義でモテについて考えているのだろう」と思考してみるとけっこうおもしろいかもしれません。一口に「モテ」と言っても色々なモテがあるようです。僕は個人的には、どちらかと言えば量より質重視がいいな、とは思います。理想的には。いろいろ理由はありますが、今回は割愛します。とは言え、人間優劣はないですからね。質と言っても、「いい悪い」ではなく、僕に「個人的に合うか合わないか」ですね。適材適所と言いますか。相性はある程度あるでしょうしね。ここも非常に入り組んでいて、デリケートな話題と言いますか、非常に難しいニュアンスのお話になります。モテについてはほかにもいろいろな定義が考えられますので、みなさんも気が向いたら、ご自由にご想像なさってみてくださいませ。

 

 そう思うんですよ!

 

 そう思うんですよ~♪

 

 そう思うんですよ☆☆

 

 ほら、色んな絵文字とかありますけど、これって全部ニュアンス違うじゃないですか。

 

 だから、そうした、人生のたくさんの楽しいことって、別に、「モテ」という言葉に一極集中しているわけではないと思うんですよね。楽しみにもたくさんのニュアンスがある。

 

 モテは特権ではない、と言いますか。

 

 そんなわけなので、モテも非モテも、あんまり苦しくなってしまうようだったら、別に無理に捕らわれる必要はないし、その特権化の網に囚われてしまう必要もないのではないかと思います。

 

 それでも、「モテたい!」と思ったりするのなら、それはその人の好きなことを、その人が好きなようにしているわけだから、とてもいいことなのではないかな、と思います。ただ、家でゲームをしているのが幸せだったり、友だちと語らっているのが幸せな人は、無理にはモテる必要はない、というふうに思います。モテたかったらモテるようにがんばればいいし、モテよりもゲームとかの方が楽しいのだったら、ゲームでもいいと思いますし。基本は楽しいことをすることだと個人的には思います。「好きこそものの上手なれ」と言いますね。ただ、「すごく好きなもの」を行うというのは大切かもしれません、あんまり好きではない「横好き」になると、「下手の横好き」になってしまうかも(笑)ネットにはゲームの情報もモテの情報もたくさん上がっていると思いますので、研究し放題で楽しいですよ(笑)人間には性欲もありますが、色んな欲がありますね。人それぞれに欲求も色々。多分、性欲が食欲や承認欲求を差し置いて上位に君臨する、というふうにもなかなか考えづらいので、たぶん「優劣」自体はないのでしょうね。欲求の多様性。食事は必要ですし、他者の承認も心の支えになるというのが多くの場合現実的にはそうかと思います。

 

 なんというか、非常にニュアンスが難しいですが、無性愛者とかの方もいらっしゃると思いますし、「いわゆるモテ」以外の選択肢があってもいいのではないかな、と個人的には思っておりました。色々なニュアンスがあります。

 

 あんまり、モテに対する風潮が強すぎると、生きづらくなる方とか出てきてしまうのかな、と思って。

 

 そんなわけで、モテだからと言って、おごる必要はないし、非モテだからと言って、劣等感を持つことも必要ではないのではないかな、と思いました。

 

 人生はほんと「色々」だと思います。モテも非モテも楽しいですけど、そのほかにもたくさん楽しいことがありますね。辛いこともその分たくさんありますけどね(汗

 

 人生のバランス難しいです。「楽は苦の種、苦は楽の種」、と言いますしね。

 

 ほんと人生色々です。

 

 世の中にはいろんな「暑さ」や「あつさ」がありますし、色んな「あたたかさ」や「暖かさ」がありますし、いろんな「リベラル」や「liberal」がありますし、色んなセクシャリティがありますし、いろんなモテや非モテがあるのだと思います。

 

 辛いこともたくさん、楽しいこともたくさん。

 

 うまくバランスというか、いろいろなものごとの中間を取って、人生の舵取りをしていけるといいな、と思いました。

 

 世の中には本当に色々な機微やニュアンスがあるようです。風流というか、趣深いというか、幽玄というか。

 

 ほんといろいろ。

 

 なかなか言葉にすることが難しい色々な人生の機微など、感じ取っていけるといいな、と個人的に思う今日この頃です。ニュアンスはとても趣深い感じがしますので、捨ててしまうのはもったいないかな、と思います。みなさんも、気が向いたら、細かなニュアンスを言葉にする努力などしみてるとけっこう楽しいかもしれません。常識からは捨象されてしまっていた意外な発見がたくさんあって面白いですよ。人はどちらかと言えば、自己完結してしまいやすいようで、何というか、「自分は全部知っている」というふうに一種楽観的に考えることもわりに多いように感じます。当たり前のことを言っているようでも、ニュアンスを考慮すると画期的なことを言っていたりとか、そういうこともありますね。このケースはかなり多いかもしれません(笑)特に言語分析などに携わる方などは、積極的に、言葉の「機微」に注目していくのもひとつの手かもしれません。辞書に載っていることが、言葉のすべてではないですね。言葉はほんとに多種多様です。辞書は非常に便利ですけどね(笑)

 

 

 ☆~今日のポイント~☆

 

 1.「人生」の多様性

 2.「ニュアンス」の多様性

 3.「モテ」の多様性