魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

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少子化術と多子化術(たくさんの子供を産み育てる方法の概略)

みなさん。こんばんは。

 

今日は、「少子化」について考えてみたいと思います。

 

まずは、どのようにすれば少子化を起こせるか、について考えてみましょう。

その次に、どうすれば少子化を起こさないか――つまり、その逆の「多子化」を起こすことができるかについて考えてみます。

 

少子化とは、「子供が少なくなること」です。

多子化とは、「子供が多くなること」です。

 

さてでは、まず少子化から考えてみます。

 

どのようになれば、子供は少なくなるのか。

 

次の条件があるときに子供は少なくなります。

 

1.恋愛が減る

2.セックスが減る

3.避妊が増える

 

子供は、基本的には、愛し合うもの同士のセックスによって誕生します。そして、この際、避妊をしていると、子供は誕生しません。

 

そして、現在、少子化が進行しているということは、つまり、上記の三つの要項を満たしていると考えることができます。一つずつその理由を考察してみましょう。

 

なぜ、恋愛が減るのか。

 

これには次の三つの理由が考えられます。

 

1.恋愛する時間がない

2.恋愛する場所がない

3.恋愛するお金がない

 

恋愛以外の他の二項についても基本的に同様に考えることができます。

 

つまり、

 

1.セックスする時間がない

2.セックスする場所がない

3.セックスするお金がない

 

避妊については、逆演算になりますので、

 

1.妊娠する時間がない(避妊する必要のある程度の時間しかない)

2.妊娠する場所がない(避妊する必要のある程度の場所しかない)

3.妊娠するお金がない(避妊する必要のある程度のお金しかない)

 

となります。

 

よって、次の政策が単純には考えられます。

 

1.人々に「時間」を与える

2.人々に「場所」を与える

3.人々に「お金」を与える

 

では、「時間」とは何か。

 

これは一種の「暇」のことです。もしもスケジューリングがぎゅうぎゅう詰めで他にするべきことが一杯、なおかつ恋愛やセックスをしている暇ながないのなら、この場合、少子化が起こるであろうと推理できます。

 

次に、「場所」とは何か。

 

これは、一種の「共通法則」のことです。例えば、学校なら、「みんなが勉強する」という共通法則があります。職場なら、「みんなが仕事をする」という共通法則があります。それらは、みんなが勉強するという「場」であり、みんなが仕事をするという「場」でもあります。場所とは、こうした、「共通前提」のことです。一種の「共同幻想」と言ってもいいかもしれません。みんなが、「この場所は勉強するという共通法則を持った場所なんだ」という幻想を抱いていれば、そこには、勉強する、という共通法則が立ち現れます。この場合、恋愛やセックスをする際にきっかけとなるお互いの共通前提、すなわち「場」が不足していると、少子化になると考えることができます。共通前提とは、「コミュニケーションのためのきっかけ」と考えると分かりやすいかもしれません(人はお互の共通前提に立ってコミュニケーションを取っていくかと思います)。

 

では、「お金」とは何か。

 

これは、あらゆる意味での「資本」のことです。あらゆるものが資本であり得ます。衣服は資本ですし、不動産も資本ですし、髪留めも資本ですし、感情も資本ですし、学歴や地位も資本です。ありとあらゆるこの世界のものが資本です。その中で特別、「お金」というものを名指して、日本においてこの言葉を使う場合、それは「日本銀行券」などを指す場合が多いように思われます。つまり、生殖適齢期の人たちの間でこの日本銀行券が不足すると、少子化になると考えることができます。

 

よって、次の三つの対策によって少子化を起こす、あるいは促進することができます。

 

1.人々から暇を奪う(恋愛はある程度余裕がないとできない)

2.人々からコミュニケーションのための場を奪う(人々の間の共通前提を分断する)

3.人々からお金を奪う(金銭の搾取を行う)

 

では、どうすれば、少子化を避け、多子化を起こすことができると予想できるか。単純にはこれらと逆のことをすればいいと推理できます。つまり、

 

1.人々に暇をあたえる

2.人々にコミュニケーションのための場を与える

3.人々にお金を与える

 

しかし、果たして、現実的に人々に、これらの資本を再分配することは可能なのか、という問題があります。

 

みんな忙しいですし、余裕も必ずしもあるものではないかと思います。

 

また、「単純な」労働効率で考えれば、暇を与えず、馬車馬のごとく働いた方が高い可能性もあります。

 

問題となるのは、人間は、「単純ではない」ということでしょうか。

 

単純な労働効率だけでは、なかなか測りがたい部分を人間は持っています。

 

現行の人間の文明が完璧であるわけでもありませんので、全てのパラメータを可視化できるわけでもありません。

 

とても難しい問題かと思います。

 

ただ、子供を産み育てる、という観点から見るに、「余裕」はある程度必要なものかと思います。

 

あんまり忙しすぎると、子育てに支障は来すのではないかな、と思わないでもないです。

 

人間というのはけっこう強いところもあるようで、どんな劣悪な環境にも適応しようと思えば、できてしまうところもあるかと思いますし。

 

たとえ、少子化しても、それは必ずしも悪いことではないのかもしれません(正確に言うと、悪いとは「認識されない」ことなのかもしれません)。

 

さて、対策の概要は以上の通りになるかと思いますが、まだ問題はあります。

それは、これらの施策はできる限りは、上意下達的に政府によって行われるよりも、民衆のそれぞれが自分の力で行うことができる方が望ましいだろう、ということです。なぜなら、あんまり政府に依存し過ぎると、政府が誤りを犯しそうになったとき、それを民衆が修正することができなくなってしまうと考えられるからです。

 

そこで、そうした「個人的な」多子化術は次の三つの分野をもって研究されるのがよい、というふうに考えることができます。

 

1.如何に暇を作り出すか(「暇」生成術)

2.如何にコミュニケーションの機会としての共通法則を作り出すか(「共通」生成術)

3.如何にお金を作り出すか(「金銭」生成術)

 

それぞれの術式の詳細は取りあえずおいておくとして、概括的に簡単に考察してみようと思います。

 

まず、暇とは余裕です。

 

そして、コミュニケーションとは、他者への関心の贈与です。例えば、あなたが相手の人とコミュニケーションを取る、という時、あなたは相手に自分の関心を差し向け、自分の時間や労力を相手のために使っている、つまり、相手に「贈与」しているということを意味します。これは、余裕がなければできません。つまり、コミュニケーションは相手への贈りものなので、その源泉は「余裕」そのものです。

 

金銭とは根本的に突き詰めると「労力」とも考えられます。今回はこの説を採用します。例えば、あなたが労力をかけて一定時間働くとその労力量に応じて、金銭が発生します。そして、労力もまた、コミュニケーションと同じく、「余裕」を消費するものです。つまり、金銭の源泉もまた、「余裕」です。

 

したがって、多子化術とは全般的に、「余裕を如何に作り出すか」という分野の研究項目であると考えられます。

 

つまり、「余裕」が、コミュニケーションを作り出し、金銭を作り出す源泉となると推理できます。

 

さらに推理すると、コミュニケーションや金銭を得る行為をする際には、なるべく余裕のある態度を心がけることはそれなりに有効に作用するのではないかとも、推理できます。

 

以上のように考えるとすれば、「余裕」というのが、子供を生み出す源泉であると、推理することができます。

 

簡潔に述べれば、「余裕がなければ、子供は作れない」。逆に、「余裕があれば、子供を作れる」、という推理です。

 

従って、次の二つのポイントがこの点の考察に有意義に作用すると考えられます。

 

1.何が余裕を奪うのか

2.何が余裕を与えるのか

 

さて、では、まず何が余裕を奪うのか、から考えていきましょう。

 

余裕を奪う原因は主に次の点であると考えられます。

 

1.急がせる

2.拘束する

3.危機感

 

つまり、急げば余裕はなくなり、拘束されると余裕がなくなり、危機感を感じると余裕がなくなるだろう、という推理です。

 

ならば、余裕を与えるにはこれと逆のことをすればいいのではないかと推理できます。したがって、

 

1.ゆったりとする

2.自由にする

3.楽観的になる

 

つまり、ゆったりとできれば、余裕ができ、自由にすると余裕ができ、楽観的になると余裕ができる、というふうに推理します。

 

さらに一つずつ見てみます。

 

ゆったりとするということは、ゆとりを持つことであり、ゆとりとは必要な分以上の余分な時間なり資本などを与えられている状態です。時間はお金の一種とも言え、極めて重要な資本ですから、時間がたっぷりあるということはある種のお金持ちの状態であるとも言えます。余裕はコミュニケーションや金銭の源泉とも考えられましたから、余裕のある人とは、そうしたコミュニケーション上の出会いの源泉、あるいは金のなる木、となり得る可能性を持っているのではないかと、単純には推理できます。

 

自由にすれば、多様なデータを収集する機会に恵まれるので、より正確な判断が可能になると考えられます。逆に、相手を間違わせるためには、自由を奪い、拘束すればよい、というふうにも推理できます。また、自由にすれば、多様な「場所」へと赴くので、多様な共通前提を収集することができ、さまざまな出会いに恵まれる確率をある程度高めることができるであろうとも推理できます。自由にできるということは、ゆとりがあるということですので、コミュニケーションや金銭の源泉となり得る可能性を持っているとも推理できます。要は、「急げば急ぐほど、生活は切迫していく」のではないかという仮説です(この辺りの事情については、ミヒャエルエンデの『モモ』を参照してください)。簡単に言うと、「泣きっ面に蜂」、みたいなことなのかと思います。切迫している場合には、半ば無理矢理にでも、心理面だけでも余裕を持つように努力するというのは一つの手段かも知れません。

 

楽観的にすれば、悲観的に追い詰められることが無くなるので、少なくとも心理面での余裕を持つことができるようになると考えることができます。前記の通り、余裕を持つことは、さまざまな観点から有効性があるとも言え、非常に肝要な点かと思います。また、人はおそらく、基本的には、楽しいことが好きで、悲しいことから楽しいことへと向かおうと動くように思われますので、楽観的にしていれば、悲観的な場合に比べ、人との出会いなどに恵まれやすいと考えることもできます。このように、楽観性は、一つの余裕とゆとりを生みだし、それはコミュニケーションや出会い、ひいては金銭を得る機会などを引きつける機能をある程度有しているのではないかと推理できます。

 

余裕には大きく次の種類があると考えられます。

 

1.社会的余裕(一種の人脈やコミュニケーション機会など)

2.時間的余裕

3.金銭的余裕

 

時間的余裕と金銭的余裕の意味は分かりやすいかと思います。

 

時間的余裕は、あれもこれもとスケジュールを詰め込み過ぎることで失われると考えられます。つまり、「強欲」によって消失する類の余裕です。

 

金銭的余裕も基本的には、「強欲」によって消失します。あれもこれもと購入しているとお金は減っていきます。

 

社会的余裕というのがすこし難しいかと思います。これはどのような余裕なのか。

ここで、「社会」というものを、一種の「場」として考えるのならば、それは何らかの共通法則であるということになります。社会は、共通の「ルール」によって回る、というふうに考えてみます。この場合、社会の決まりから逸脱し過ぎて、あれもこれもと動き回りすぎると、「ルール違反」となり、社会から排除される、つまり、社会という場を消失する、社会的余裕を消失する、というふうに考えることができます。ルール違反は、もっぱら「犯罪」と呼ばれますが、これも、強い欲、「強欲」によっている場合があると推理できます(この点は非常に複雑な構造を持っています。例えば、末端の犯罪実行者は強欲なのではなく生活に切迫しているために、やむなく犯罪を行った、というふうにも考えることができます。この場合、強欲なのは、末端の貧しい人たちを放置し、搾取を行った既得権益であるということになります。いずれにせよ、根本原因自体は、「強欲」であると推理できます)。

 

以上のように、余裕を失わせる根本原因は、「強欲」であるとも考えることができます。

 

つまり、単純には、強欲を脱することができれば、余裕を得ることができ、かえって、コミュニケーション機会や金銭などの余裕を得ることができるかもしれない、という推理を持つことができます。

 

「追えば追うほど遠ざかる」、みたいなことですね。

 

基本的にあまりにも過激に競争しすぎると、身を削ることになります。この構造は、先述の「急げば急ぐほど、生活は切迫する」という構造にとてもよく似ています。

 

これらのことからも、強欲が余裕を奪う根本原因であるのではないかという説は補強されることになります。

 

つまり、強欲をうまく脱することができれば、少子化を改善できる可能性があると推理できます。

 

例えば、人間には次のような欲があります。

 

1.金銭欲

2.地位欲

3.学歴欲

 

こうした欲がある場合には、これらの欲に囚われないようにすることで、かえって、生殖を行いやすくすることができると考えられます。

 

具体的に考えてみます。

 

まず、金銭を強欲に望み過ぎると、生殖や恋愛機会は遠のくと推理できます(「年収1000万でなければ結婚しない」などの強い金銭への欲求が例として挙げられるのではないかと思います)。

 

同じように、地位を強欲に望み過ぎると、生殖や恋愛機会は遠のくと推理できます(「相手がハイソサエティでなければ結婚しない」などの強い地位への欲求が例として挙げられるのではないかと思います)。

 

学歴についてもそうで、そうした欲求を強く望み過ぎると、余裕を消失し、生殖や恋愛機会は遠のくと推理できます(「相手がハーバード大卒でなければ結婚しない」などの強い学歴への欲求が例として挙げられるのではないかと思います)。

 

他にも、「相手が美人でなければ結婚しない」とか、「相手が天才でなければ結婚しない」とか、いろいろな種類の強欲が考えられますが、いかなる欲求にせよ、強欲がその人から余裕ある態度を奪い、少子化の一原因となるというふうに考え得るのではないかと推理できます。

 

さて、問題は山積みであり、まだまだあります。

 

例えば、「結婚すれば生殖するのか?」という問題など。簡単に考えると、強欲がなければ、関心がある程度分散されるのではないかと推定できるので、それに応じてある程度生殖にも関心が分散され、生殖が生じ得るとは考えることはできると思います。この場合も、生殖や恋愛を妨げる原因は「強欲」ではないか、と推理することができます。

 

詳細な部分の議論は山積みですが、概要としてはこんな感じになるかと思います。

 

要は、足るを知るものは富む、ということなのかもしれません。

 

とりあえず、今日のポイントをまとめます。

 

 

1.少子化の原因は「余裕」がないことであると考えることができる

2.余裕がない原因には「強欲」があると考えることができる

3.恋愛などには、「余裕」を持つことが重要であると考えることができる

 

 

P.S.競争について

 

簡潔に、「競争」について触れます。

なぜ、競争が熾烈すぎると、搾取されるのかについて簡単に。

 

例えば、あなたがお金を欲しているとします。

しかし、お金持ちになれる人は基本的に少数です。

 

そこで、その少量のお金持ちのポストを巡って人々は「競争」することになります。

 

この場合、お金持ちのポストを目指す人が多ければ多いほどに、そのポストの価値は上昇します(欲しがる人が増えれば、価値が上がるから)。

 

また、相対的に、ポストの価値が上昇すれば、相対的にそのポストにつけなかった人たちの価値は低下します(つまり、お金持ちになれなかった人からお金持ちの人へと価値が流入することになり、要は「搾取」されます)。このようにして、お金持ちは、人々の「嫉妬心」を刺激し、「競争」をあおることで、効率よく、人々からお金を搾取することができるようになります。

 

つまり、どのようにすれば、搾取を避けることができるかは比較的明白であり、要は「競争しなければいい」と考えることができます。

 

どうすれば、競争せずに済むのか。

 

それは、他人を嫉妬しなければいい、と考えられます。

 

どうすれば嫉妬せずに済むのか。

 

それは、嫉妬心を刺激してくる言動やマーケティング、またはプロパガンダに注意していればよい、と考えられます。

 

なぜ、嫉妬心が刺激されるのか。

 

それは他人と自分を単純に比較するためかもしれません。

 

例えば、「偏差値」などの概念はこれかと思います。

 

偏差値は単純な価値観に基づく競争をあおります。例えば、みんなが東大に行きたいと思えば、東大に価値が集中します。つまり、東大が特権化されます。逆に、みんなが東大を特別視せず、地元の国立大学でも、私立大学でも「満足」だ、というふうに考えるのなら、東大から地元の国立大学や、私立大学に価値が流入し、名誉資本、権力資本の再分配が起こります。要は、民衆の意志がその時代の価値を決定しています。だから、民衆との力というのは絶大なもので、馬鹿にはできませんね。時たま、おかしな方向にその力が発揮される可能性もあるので、注意は必要ですが、みんなの力というのは有効に使うことができれば、非常に善い結果をもたらす可能性があるのではないか、とも思います。このように、「満足」するということは極めて強い武器にもなりえ、それは不満足(現状に不満だから、改善に積極的に乗り出せるという長所もありますね。この世界には一概に善いものや悪いものは大概は存在しないのかもしれません)と同様に、使いようによっては、有効な手段となり得ます。「足るを知る者は富む」ですね。

 

極論で言うなら、「他人と自分を比べなければ、嫉妬しなくてすむ」、というふうにも考えることはできます。嫉妬したくない方は、試してみるのも手かもしれません。

 

「隣の芝生は青く見える」と言って、他人と自分を比べると切がない部分はあります。それらの一見不毛に見える行為にも、有効性がないことはないと思いますが、とりあえず、嫉妬したくない人などは、人と比べないというのが一つの戦略として有効かもしれません。

 

 

おまけ☆

 

恋愛して子供を産み育てるための実践的な思考プロトコルをちょっとだけ考えてみる。

 

1.まず、精神的余裕を持つ(その人なりに焦っていない状態)

2.次に、身体的余裕を持つ(その人なりの健康など)

3.そして、社会的余裕を持つ(コミュニケーションの際の余裕)

4.本当に自分たちに必要なものはなにかを見極める

5.世間から必要だと思いこまされてるものはないかと考える

6.名を取らせて実を取る

7.見栄を張らない、競争しない(競争したほうがやる気の出るタイプの人もいる可能性はある)

8.盛者必衰の理を理解する(ソースティン・ヴェブレンの『有閑階級の理論』など参照)

9.隣の芝生は青く見える、ということを理解する

10.足るを知る者は富む、ということを理解する

11.自分にとって本当に必要なものを見極めたうえで、パートナーを探してみる

12.自分に与えられたものに満足したうえで、いろいろな人と積極的にお話してみる

13.判断の際には、いかなる世間の情報も鵜呑みにせず、自分で考えてみる

14.自分が欲しいものは、本当に自分が心から望んでいるものだろうか、と考えてみる

15.持っていないものを数えるのではなく、持っているものを数える

16.必ずしも最適な選択でなくても、満足してみる

17.本当に自分の欲しいものはお金だろうか?

18.本当に自分の欲しいものは地位だろうか?

19.本当に自分の欲しいものは学歴だろうか?などなど、具体的にいま一度考えてみる

20.本当に大切なものとは何なのだろうか? と考えてみる

 

とりあえず、そんなふうなことについて考えてみるのも、一興かもしれません。ご興味のおありの方は、気が向いたら試してみてくださいませ。

 

個人的には、この「大切なもの」に当たるものとは、おそらく、「愛」なのかな、と思います。

 

お金がなくても、地位がなくても、学歴がなくても、美人でなくても、料理が上手でなくても、最適な選択をできなくても、完璧な愛でなくても、兎に角「愛」(安全基地)がある程度あれば、一般に人はそれなりにうまく適応していけるものなのかもしれません。

 

具体的な思考の整理法やプロトコルについても考えてみたいのですが、文字数が8000字を超えているので今日はこの辺にしておきます(笑)

 

みなさん、僕の拙い長広舌にお付き合い下さりありがとうございました~

 

 

今日のポイント

 

1.心の余裕を持つと、恋愛や結婚、生殖はうまくいきやすくなるかも

2.心の余裕を持つには、強欲になりすぎないことが大切かも