魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

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童貞/処女の長所

みなさん、こんばんは。

 

今日は、童貞/処女のことについていろいろと「憶測」してみようと思います。

 

ではまず、いつもどおり、基本的な言葉の用法から確認し、徐々に思考を深化していきましょう。

 

童貞/処女とは「セックスしたことがない人」のことを概ね指すようです。

 

つまり、「初めて」の人です。こうした解釈から派生して、いろいろな童貞概念、処女概念があり、何か特定の事柄について経験していない場合に、比喩的に「童貞」や「処女」という言葉が使われることもあります(この派生からは、色々な童貞処女が考えられます。「カラオケ童貞(カラオケ未経験)」「挑戦童貞(挑戦未経験)」「学歴童貞(学歴未経験)」「料理処女(料理未経験)」「ファッション処女(ファッション未経験)」「サブカル処女(サブカル未経験)」、などなど、いろいろと概念を生成できて、おもしろい点ではあります。とにかく何か経験していないことがあれば、拡大解釈してそれらを童貞処女と呼ぶ潮流は存在するようです。その意味で言えば、あらゆる人が、何かしらの童貞処女であるとも言えます。人間の力は有限ですので、なかなかどうしてすべてを経験しつくすことは難しいです)。ただ、概ねの意味としては、これらの言葉は、性領域、特に「セックス」(これを表わす意味として特に強いのは、「膣への陰茎の挿入行為および射精」となるようです。実際には同性愛や無性愛などがあるように、さまざまな愛の表現としての「セックス」があり得るわけで、このように一概にセックス行為を限定することはできませんが、とりあえず、今回は、このセックスの定義で話をすすめます)についての経験に限定されているようです(一般にセックス概念は、非常に限定された概念であり、それの領域の情報のみを特権化して批准すると、情報が激しく限定されてしまう恐れがあると個人的に思います。世の中はセックスだけでできているわけではありませんので、その点はいま一度強調しておきます)。

 

色々なことを経験すること、挑戦することは、能力養成の観点から有効性があると推理することもできます。その意味で、セックスへの経験、挑戦も、それらのうちの経験の一つとして捉えることはできます(無理にセックスする必要はないということ。あくまで「色々なこと」への経験や挑戦が重要なのであり、セックスという概念が特権化されるわけではないということ。この点の多様性の尊重はある程度重要かと思います。セックスはしてもいいし、しなくてもいい。あるいは一つのその人の特性を表す指標ではあり得ますが、あくまで部分のみではなく、「全体」を見て判断を下すべきとも考えられますので、セックス経験の有無だけで、その人について判断するのは多少愚策の感が否めないような気がします。人を判断する際には、でき得る限り、この世界のありとあらゆる指標を考慮して動くべきでしょう。恐らく必ずしもセックス経験がなくても、いろいろなことに挑戦し、経験していて、能力の高い人も存在するでしょう。世界は多様です。世界は基本的に、僕たちよりも大きく、僕たちの思考や発想をはるかに超越しているように感じられることもあります)。

 

では、それらのことを考慮した上で、童貞処女について深く推理してみようと思います。

 

まず、「人間はセックスがしたい」というふうに仮定します。

 

次に、「セックス欲求は非常に強いものである」というふうに仮定します。

 

そして、「大切なものは防衛される」と仮定します。

 

さて、今日はこれらの前提で遊んでみましょう。

 

まず、これらの前提から引き起こされる結果として、次のことが起こるでしょう。

 

1.セックスにコミットしようとする

2.セックスを重大視しようとする

3.セックスを重大視するあまり、セックスに関する諸々は防衛される

 

簡単に言うと、セックスをしたいとは思うが、それをあまりに重大なこととして捉えるために、セックスにまつわることが怖くなってしまい、避けてしまう(自己防衛してしまう)ということです。

 

つまり、童貞処女(セックスをしない/していない人たち)には次のような特徴があると考えられます。

 

1.セックスはしたいと思っている

2.セックスをとても大切なものとして考えている

3.セックスが大切なことであるあまり、セックスについて強がってしまう

 

これらの心理構造が成立している可能性が高いと推理することができます。

 

簡単に言うと、非童貞非処女よりも、童貞処女の方がセックスを大切にしている、というふうに考えることができます。

 

よって、童貞処女には次のメリットがあると推理することができます。

 

1.大切にセックスについて考えてくれる(ただし、「強がり」がある)

2.大切にセックスをしてくれる(ただし、「強がり」がある)

3.性対象を大切に思ってくれる(ただし、「強がり」がある)

 

さて、これらの強がりのことを、「自己防衛」と今回は呼びましょう。

 

つまり、これらの自己防衛的思考および行為さえ避けることができれば、童貞処女は、自分の欲求を感じる対象をとても大切に考え、行為してくれると推理できます。

 

さて、次は、「性対象」とは何かについて少し考えます。

 

性対象には、異性愛もあり、同性愛もあり、無性愛もあり、またトランスジェンダーなどもあり、極めて多様な性があります(言うなれば、「性」は人の数だけあると言えるでしょう。代数学的表現を使えば、「n個の性」が存在します)。

 

フェティシズムまで含めれば、異性にまつわるものや色々なものごとが性対象になり得ます。

 

つまり、性対象の範囲は極めて多様です。人間の欲望というのは本当に多様なものであり、たとえば、小説に欲望する人は作家になるかもしれませんし、音楽に欲望する人は音楽家になるかもしれません。性対象は、セックス以外にも潜在的にたくさん存在しているように見受けられます。あるいは、「多様なセックス」が存在するというふうな表現もすることができるかもしれません。「小説を書く」というセックス、「音楽を演奏する」というセックス。さまざまなセックスがあり得ます(このように、セックス概念というのが非常にデリケートで難しい概念であるということは一応お伝えしておきます)。

 

そして、厳密には、これらの欲望は、おそらく潜在的に、全ての人が持ち得るものであると思います(性にまつわることには、文化の影響を受けるものも多くあります。必ずしも先天的要因が特権化されるわけではないかと思います。理論的には、陰茎があっても女性であり得るし、陰茎がなくても男性であり得ます。「多様な性」ですね。つまり、性はn個あります)。

 

人間の欲望は多様な形を取って現れるもので、その意味で、多様な性が存在すると考えられます(必ずしも「性欲」だけが特権化されるわけではありません。人間はセックス以外にもたくさんしたいことがあり、またそのキャパシティも十分にあると思います。問題となるのはいつも、「自分が何をしたいのか」という自分の欲望であり、「自分の性」であって、他人の指図ではありません)。

 

では、どうすれば、自己防衛(強がり)を避けて、童貞処女と愛を育むことができるのか。

 

今回の仮定の場合には、次の手順を踏むことで、これらの強がりをある程度避けることができると考えられます。

 

1.童貞処女へ自分からアプローチする

2.あらかじめ強がりを想定し、冷たい態度に動じない

3.時間をかけて、じっくり優しくする

 

(注意点は、「ストーカーにならない」、ということかもしれません。しかし、正当なアプローチとストーカーの区別手法などについては、これは非常に難しい問題であり、整理が難しいです。この点はまたの機会に)

 

閑話休題

 

以上の行為を焦らず行うことで、童貞処女の強がりを解きほぐすことがある程度可能であろうと推理できます。簡単に言うと、「好き避け」みたいなことだとお考えください。この理論で言えば、好きな人のことほど避けてしまって、本命の恋ほど実らなくなるとも推理できます。うまく素直になることが大切かもしれません。

 

ただし、これらの自己防衛、「強がり」には次のような戦略的有効性があります。

 

1.強がりにより、性対象の価値を貶めることで、他の人がその性対象に群がるのを防ぐ

2.強がりにより、自分の好意を隠すことによって、性対象に対し優位に立つ

3.強がりにより、性対象の自信を挫くことによって、自分の他の異性にアプローチするのを防ぐ

 

強がりには、こうした戦略的有効性があります。ただし、こうしたものは、自分の利益を考えた「損得勘定」であり、純粋に利他性を持った方が戦略的有効性も高いとは個人的には思わないでもないですが、人それぞれでしょう。簡単に言えば、利己的な人と利他的な人では、利他的な人の方が自分に奉仕してくれる確率が高いので、より好まれる確率が高いのではないか、という推理です。ご参考下さい。

 

これらの考察から推理できることとして言えるのですが、美人(あらゆる「性」における「美人」です)は、この「強がり」を見抜くことができないと、恋愛機会に恵まれづらくなってしまう可能性があるかもしれません。なぜなら、強がりとは、基本的に自分に対し優勢な相手に対して行われる自己防衛だからです。美人は少なくとも容姿については相手に対し優位に立っていますので、非常に強い強がりを受ける可能性があるのではないかと推理できます。つまり、一般の人の恋の場合よりも「好き避け」がされやすいのではないか、という推理です。簡単に言うと、あんまり美人過ぎると、相手の人が萎縮してしまう可能性がある、ということです。あるいは、美人は、通常の場合よりも、嫉妬による攻撃を受け易いのではないか、という推理でもあります。なぜなら、強がりとは、要は「嫉妬」のことであるからです(強がりとは、相手の持っているものに対し嫉妬し、その資本の簒奪を試みる戦略であるため)。美人の周りには嫉妬が渦巻く可能性が高いと思われます。結果、人間不信に陥ったり、恋にコミットできなくなったりするということも予想されます。したがって、美人でも童貞処女であることは、理論的にあり得ます。美人の方々は、おおらかな心で、嫉妬してくる人たちのことをやさしく包んであげることができると、理想的かもしれません(攻撃し返しても、軋轢が生じるだけだから)。

 

また、これは美人に限ったことではなく、嫉妬されうるあらゆる資本を持った人に言えることかと思います。嫉妬による攻撃で、人間不信になれば、頭のいい人でも、愛情深い人でも、人間に絶望してしまいます。したがって、頭のいい人も、愛情深い人も、つまり、何らかの長所を持っている人も、童貞処女である可能性自体はあることになります。

 

よって、次のことから、「童貞処女は低能である」というテーゼは、否定することができる、と考えられます。むしろ、童貞処女であるということは、以上の帰結から、善い素質を持っている可能性すらあると言い得るかと思います。少なくとも童貞処女だから劣っているとか、非童貞非処女だから優れているとか、そういうお話ではないと、推理することができます。つまり、「童貞処女の問題は優劣の問題ではない」、という推理です。童貞処女に限らず、セクシャリティの問題は優劣の問題ではないかと思います。人それぞれです。

 

これらのことは、進化論的に考えると次のように推理することもできます。

まず、次の仮定をします。

 

1.質が高いものが繁殖する

2.量の多いものが繁殖する

3.質の高いものは嫉妬により排斥される

 

美人を質の高いものであると、とりあえず定義しておきましょう。この場合、美人に対し嫉妬による排斥行動がなければ、世界に繁殖している生命体は美人であふれているであろうと推理できます。しかし、実際には美人は少数派とも考えることはできると思いますので、したがって、美人に対する嫉妬による排斥は存在すると推理することができます。ならば、美人の繁殖機会は、嫉妬により著しく阻害されているであろうと推理できます。

 

美人に限らず、何らかの美質を保有している人はその点ご注意するのも、一つの手かもしれません。

 

また、性に関する情報や統計は、嫉妬や強がりが強く出ると推理できるので、あまり鵜呑みにしない方がいいかもしれません。この情報も、もちろん鵜呑みにせず、合理性に穴がないか、みなさんの方で、検証してみてくださいませ。どこか論理に穴があったら、できれば、僕に教えてくれると嬉しいです☆

 

さて、では、今日のポイントをまとめましょう。

 

1.童貞処女はセックスを大切にしてくれる可能性があるかも

2.童貞処女であることと能力の優劣は関係ないかも

3.童貞処女にアプローチする際には、強がりを少しずつ優しさで解きほぐしていけるといいかも(ストーカーにはならないようにする)