魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

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結婚術

みなさん、こんばんは。

 

今日は、「結婚する方法」についていろいろと考えてみようと思います。

さて、では、「結婚」とは何でしょうか?

これは、一般的には「男女が経済的協力とセックスの関係を継続的に契約すること」を指すようです。今回はこの仮説にしたがって話を進めます。

 

つまり、結婚には二つの機能があると考えられます。



1.両者の経済的協力

2.両者の性的協力



では、経済的協力はどのようにすれば可能か。

 

まず、「協力」とは何か。

これは、「力を合わせる」ことです。

 

力には、さまざまな種類があります。読書能力もそうでしょうし、楽器演奏能力もそうです。他に、経済力や、社会的地位、なども力に当たるでしょう。

 

つまり、協力とは、そうした諸々の力を互いに合わせることです。

ならば「経済的協力」とは主に、経済に関する協力のこと、であると考えることができます。

 

では、経済とは何か。これは「人間の生活に必要なものについての社会関係」のことです。よって、経済力とは、「人間の生活に必要なものをどれだけ持っているかの程度」のことであると考えることができます。

 

人間の生活に必要なものはたくさんあります。娯楽も見方によっては必要でしょうし、言語能力、コミュニケーション能力、学校の勉強に限らず色々なものごとを知る力、ある程度の運動能力、人の良さや優しさ、和み、食料、住居、衣類、教養、柔軟な物事への見方、ある程度の頭脳、相性、場合によってはある程度自分好みな容姿、一緒にいて楽しいかどうか、二人で暮らしていくのに必要なだけのお金かそれに代替するもの、ある程度現実的な物事への見方、あるいは他者への想像力、魅力、愛、絵や楽器演奏や歌唱などの芸術的素質、お金についての詳細な知識、他人のことを思いやれるかどうか、適切な自己主張能力(アサーション)、家事能力、子供を作るなら子供が好きかどうか、などなどこの手のものは人それぞれなところがあり、挙げようと思えば、いくらで挙げられるところがありますみなさんも気が向いたら、ご自分で色々と想像なさってみるのも一興かもしれません。

人間は基本的に強欲なものなのかもしれません(笑) あまりに強欲すぎても、それはそれで「過ぎたるは猶及ばざるが如し」、ということでうまくいかなくなってしまうかもしれませんが。人間の力はどうしてもこうしても「有限」なところがありますので。

 

言ってしまえば、「生活していくために役立つもの」なら、何でも経済の範疇として考えることもできるかもしれません。経済力とは、究極的には、この世界のすべてに対する知識や能力、「資本」なのかもしれません。とは言え、人間の力は有限ですので、そのような万能の理想的状態は現実的に存在せず、どんな素敵な人にも欠点が多くあるのが普通です。何か物事を見るときは、善い面と悪い面の両方に目を向けていく癖をつけるのは、結婚の問題について考える際にはある程度有効かもしれません。

 

互いのことが好きで、結婚を考える場合には、こうした様々な相手の能力指標をある程度観察してみるのも、一興かもしれません(お互にお互いのことが好きでお互に結婚したいのなら、あまり深く考えず結婚するのもありなのかもしれませんが)。

 

要は、経済力とは、「生活力」であると言うことができるかもしれません。どれくらい生活力があるか。生きていく力。「生命力」と言ってもいいのやもしれません(必ずしも、現行の医学的な「健康」である必要はないかと思います。どんなに病んでいても、生命力の強い人というのはいるものと思います。「美人薄命」、「才子多病」です)。

 

つまり、経済協力とは、「共に生きていくための同盟」と考えることができます。

 

同盟の類似概念に、「主従関係」があります。

ただ、基本的には、夫婦は主従関係ではなく男女平等であると考えることができますので、これは「同盟」であると考えることができます。

 

つまり、夫が上でもないし、妻が上でもない。夫婦の関係に上下関係は基本的にない、ということです。

 

ここで、一夫多妻制と、多夫一妻制を考えてみます。

 

一夫多妻制は、夫一人に対し、妻が複数結びつくことになります。この場合、夫一人の価値を仮に100とした場合、経済的に考えると、これと釣り合う価値総量は100となりますので、例えば妻を四人娶れば、妻一人当たりの価値は25となり、妻の価値は下落します。これは男女平等ではないので、あまりうまくはないかもしれません。基本的に男女には優劣はありませんね。男女平等の場合には、夫が100なら妻も平等に100と考えられますので、思想的には一夫多妻制は難しいのではないかと考えることができます。

多夫一妻制の場合も、基本的に同様です。

では、男女平等を撤廃すればどうか、という案があるかもしれません。これは人権保護の観点から危険と言えるかもしれません。なぜなら、男女平等が撤廃されると、女性蔑視や女性への不平等が成立する可能性が生じるからです。女性の人権が著しく阻害されるリスクがあります。世の中にはただでさえ、いろいろなものを蔑視する人がそれなりに多くいらっしゃるようにも感じますので、そこに「男女不平等を導入すれば、人権問題が起こるのではないかと、懸念いたします。

 

例えば、一夫多妻制にして、夫が妻を多数娶った場合、これはどういうことになるのかを具体的に推理してみます。

 

まず、これは一部の男性に女性が集中しているモデルとなります。この場合、男性の私有財産に限りがあるため、所有される女性量に限りがあります。また、一部の男性と総女性量を比較すると、一部の男性の方が数が少なく、女性は一部の男性を巡って、「競争」をする状態となります。

この競争が熾烈になるほどに、女性は搾取されることになると推理することができます。

一部の男性のもとに女性が集中し、一部の男性の価値が増大した結果、女性はその価値に見合うためにより多くの労力を要し、極めて強く搾取される状態となると推理できます。つまり、女性から一部の男性への価値の流入が起こると推理できます。

このように「競争」によって生活が逼迫することは大いに想定できることかもしれません。多夫一妻制の場合には、これとは男女が逆になります。よって、男女平等と人権保障は極力は維持したほうがよいと考えられます。うまく嫉妬心を抑制し、強欲になりすぎず、「満足」を行うというのは一つの見識かもしれません。ご参考下さい。

 

したがって、残る選択肢は、フリーセックスか一夫一妻制となります。

 

フリーセックスの場合には、「所有」や「私有財産」が撤廃されていることが必要になります。なぜなら、結婚とは現行のもの言えば、相互を相互に所有し合うという側面を持っており、この所有や私有財産を認めるということと、結婚におけるお互いのお互に対する所有契約を認めるということとは重なり合うからです。夫や妻とは、お互いがお互いにとっての私有財産であるということになりますので、フリーセックスを行うには、私有財産という概念を撤廃する必要があります。しかし、私有財産を撤廃すると、基本的に共産主義の発想となり、歴史的にはあまり上手くいかない可能性があるのではないかと推理できます。

 

そのように考える場合には、基本的な正着打は一夫一妻制となります。

 

よって、このように考えた場合には、理想的な結婚様式として「一夫一妻制」を上げることができると考えられます。

 

また、一夫一妻制の効能は次のようにも説明することができます。

 

まず、多様な環境が好ましいと仮定します(優生思想を否定するということ)。

 

この場合、遺伝的多様性、性的多様性、生殖的多様性を確保できることが好ましいことになります。

したがって、繁殖行為が一部の人に集中せず、さまざまな人に分散され、多様にリスクヘッジされた方より好ましいことになります。

 

ならば、一夫多妻制や多夫一妻制よりも、一夫一妻制によりより多様な人々が繁殖する機会のある環境の方が、遺伝学的に、人間の長期的生存への戦略の観点から望ましいであろうと推理できます。

 

したがって、経済的にのみならず、生物としての人間」という側面からしても、一夫一妻制による生殖が基本的に望ましいであろうと推理することができます。

 

また、人間は、嫉妬心や私有財産、所有欲を手放すことができない限りは、不平等により必ず熾烈な競争が起こります。そして、多くの場合、今のところは私有財産を手放すことは人間には不可能でしょう(もしも手放せていれば、今頃、貧富の差も、嫉妬心も、所有欲も存在しないと考えられるため)。

 

現実的に競争や嫉妬心、所有欲など消去し切ることは非常に難しく、ならば一夫一妻制によって繁殖するのが正着打となるのではないかとも考えることはできます

 

さて、では、理想的な結婚様式とはどのようなものかについて推理してみようと思います。

 

まず、男女の総量が同一くらいであると仮定します。

 

この場合、男女平等のもとで一夫一妻制を採用するなら、各々の男女は、「一人の人しか好きにならないこと」が究極的には望ましいことになります(一般的には不可能かもしれませんが(笑))。

 

そうすることで、うまく一夫一妻制を成立させ、遺伝的多様性を保ちつつ、周囲の人たちの嫉妬心が刺激され過ぎずに繁殖することが可能になると推理できます

 

したがって、理論的には、最も望ましい結婚相手は、「純潔」であることになります(自分以外とは性交しない相手、ということ。もちろん理想論です。現実はそれほどうまくはいかないかもしれません。「一途さ」というのはなかなかどうして貴重なものなのかもしれません)。

 

よって、理想的には、貞節は大切にされてよい、と考えられます。

 

貞節を守れず、不倫を行った場合など、必ず嫉妬心から軋轢が起こります。こうした人々の嫉妬心を無闇に煽らないことは、生存戦略としては、また社会秩序の維持の観点からは、ある程度有効です。

 

つまり、結婚まで童貞や処女を守るという戦略も、現実的に有効性が高い、と推理することができます。非常に賢い戦略の一つなのだろうとは思います

 

少なくとも、結婚相手としては、貞節な人の方があまり性的に奔放すぎよりも向いている可能性もあるかもしれません。

 

また、余計なトラブルやリスクを避けるという意味では、浮気しない人が交際相手として現実的であることにはなります。

 

理想的な結婚戦略とは、「結婚まで純潔を守り、一人の人に対し生涯、病めるときも健やかなるときも、自分を捧げ続けること」ということになります(結婚したくない場合には、必ずしも無理には結婚する必要はないと思います。人それぞれでしょう)

 

その観点から言うと、離婚などはあまり有効な手段ではないのかもしれません。非常に手間のかかる軋轢であるように感じます(やむなく離婚する場合はあるものと思いますが。ここに書かれたことは理想論の話です)。

 

モテる人とても素敵ですが、純潔な人とても素敵かと思います。

 

これらの概念をどちらも合わせて考えると、理想的には、モテてなおかつ純潔である人、がもっとも好ましいということにはなります。

 

そのような人が実際に存在するかどうかは僕のような経験不足な人間には今一つ定かではありませんが、理論上、可能性としては十分にあり得ます(この点については、当ブログの「童貞/処女の長所」という記事を気が向いたらご覧ください)。

 

また、性的な情報や統計は強がりや嫉妬心が強く出るとも考えられるので、なかなか鵜呑みにできないかもしれませんので、その点は一応提言しておきます(このブログも「推理」に過ぎないので、過剰に信じ込んだり、鵜呑みにしたりしないでくださいね☆ ご自分で文章に論理の穴がないか、逐一思考し、検証していただけると、著者としてはうれしい限りです)。

 

何事につけて、基本的前提からスタートして厳密に考証していくのがまずは第一歩かと思います。

 

ポイントをまとめます。

 

1.モテる人も素敵

2.純潔な人も素敵

 

さて、では、以上の結婚についての分析を基礎にして、次は、具体的にどうすれば結婚できるかについて考えてみたいと思います。

 

まず、結婚の機能を整理します。

 

1.力を合わせる

2.愛を育む

3.生殖する

 

つまり、基本的に結婚は、自分が楽になるためにするというよりも、「自分が相手と力を合わせるためにするものと考えられます。したがって、相手に依存的であったり、頼りきりであったりするのは基本的に望ましくはないかもしれません。心理的援助にせよ、経済的援助にせよ、社会的援助にせよ、なんらかの援助を相互的にし合う関係が「結婚」であると考えることができます。そうした共同作業をともにするうちに、愛を育んでいくというのが、基本スタイルかと思います。できることは有限で、どんな人もみんな限りがありますが、可能な限りは、配偶者のことは全力で助けていける関係でいけるのが愛としては理想的なのだろうな、と個人的には思います。子供が欲しい場合には、生殖を行うというのも、結婚の機能になり得ます。愛を育んでいるうちに、子供ができることも、もしかしたらあるかもしれません。

いずれにせよ、結婚の起点となるのは、「援助能力」であると考えることができます。また、そうした能力には、家事から教養から色々とあることは前述したとおりです。

 

つまり、非常に簡潔に言えば、「能力の養成」が結婚に向けた行為の基礎となるものと思われます。自分の価値を上げていく、ということですね。

 

単に結婚を考える場合には、必ずしもモテる必要はなく、また、理想的には純潔が好ましいとも考えることができるので、童貞や処女を恥ずかしく思ったり、そのことを焦ったりする必要はないと思います。

 

要は、あなたのことを見初めてくれる一人の人に出会うことができれば、それでいい、ということです。

 

人事を尽して天命を待つ、というか、できることをして後は運に身を委ねるのが基本的結婚手法かと思います。

 

とにかく能力を磨く。それはファッションでもいいでしょうし、ダイエットでもいいでしょうし、勉強でもいいでしょうし、音楽演奏でも、コミュニケーションでも、何でもいいでしょう。とにかく、自分の能力を磨くことが、基本になるかと思います。

 

したがって、結婚をしたい場合、逆説的ですが、結婚に直接に向かうよりも、自分を磨いた方が利率が高いかもしれません。

 

徹底的に自己投資をして、とにかく様々な多様な能力を自分なりに磨いてみる(この点については、当ブログの「勉強術」という記事がありますので気が向いたら、ブログ内検索などからご覧ください)ことが、結果的に、結婚につながるのではないかと、推理します。

 

嫉妬や排除は現実的に存在しますし、なかなか理想通りにはいかないかもしれませんが、それでも理想は現実の進む方向性はある程度決めることができますので、たとえ達成できなくとも無意味ではないかと思います。

 

ひたすらに能力を磨き、あとは天命を待つ、というのが正着打なのかもしれません。

 

まとめます。

 

1.結婚するには徹底的にあらゆる能力を自分なりに向上させることを考えるといいかも(人事を尽して天命を待つ)

2.結婚するには時期を待つことも時に大切かも(合縁奇縁)

 

P.S.配偶者選び」について。

 

配偶者選びについていろいろと推理してみようかと思います。

まず、基本的には、非論理的な「直観」で選んでいいと思います。これが基本かと思います(合縁奇縁)。また、「とにかく結婚したい!」というだけなら、選り好みをしなければ、単純には割に高確率で結婚できると推理することもできるかもしれません。あんまり強欲になりすぎたり、選り好みが過ぎたりすると、少なくとも結婚の対象になる相手となり得る人の数が減少するので、結婚確率は減少することになるかとも思います。

 

ただ、「それじゃあ、何の指標にもならないじゃないか! 合理的に何か考えてくれ!」みたいな方のために、一応、それっぽく考えてみようと思います。

 

まず、配偶者に適している程度のことを、「配偶者資本」と定義してみましょう。

では、配偶者資本には、どのようなものがあると考えられるか。

 

基本的には次のような資本があると考えることができます。

 

1.心理資本(心の豊かさ)

2.経済資本(お金の豊かさ)

3.社会資本(コミュニケーションの豊かさ)

 

これらの資本を大量に所有しており、総合計資本量が多い個体ほど、結婚に適しているであろう、みたいにとりあえず考えることはできます。

 

資本の所有量やそのバランスは多様でしょう。心理資本に卓越している人もいれば、社会資本や経済資本に卓越している人もいるでしょう。人それぞれです。

逆に考えますと、これらの資本に卓越することが結婚への近道となるというふうに考えることができます。

 

つまり、心が豊かで、お金持ちで、コミュニケーションが豊かな人になるのが、結婚への基本的な道筋となると推理することができます。

 

もちろん、どのパラメータにどの程度の労力を払うかは、人それぞれであり、心理資本が得意な人はとにかく心理資本だけは誰にも負けないようにするというのも一つの手になりますし、自分はコミュニケーションが苦手だからその代わりに経済資本だけは磨いていこう、と考えるのも一つの手だと思います。

 

複数の資本をバランスよく保有するのもいいと思いますし、自分の得意な資本に特化するのも有効だと思います。ホントに人それぞれです(その人それぞれの資本保有量のバランスがその人の「個性」にもなるかと思います。個性の豊かな人は素敵ですね)。

心が豊かな人も、お金が豊かな人も、コミュニケーションが豊かな人も、どの人も基本的には素敵ですね。魅力的かと思います。

 

また、どのような資本を好むかは、相手の人の好みにもよると思いますので、その辺は自分のターゲットとなる人のことをリサーチして合わせてみるのも手かもしれません。

 

例えば、相手の人が、心が豊かな人が好きなのだったら、心理資本を充実させてみるとか。コミュニケーションが上手な人が好きな人だったら、コミュニケーション能力をとにかく磨いてみるとか。いろいろです。

 

これらの資本バランスは多様で一向に構わないと思います。それぞれの人にそれぞれの魅力や個性があります。もっと言えば、「普通な人」もとても魅力的ですよね。普通というのも個性です。その意味では、基本的によくよく人のことを観察することのできる目が身につきさえすれば、すべての人が個性的で素敵です。ですので、必ずしも、他人と違う部分を恥じてしまったりとか、欠点と感じてしまう必要はないと思います。もちろん、なんらかの改善を試みたいと「あなた自身が」心から欲望するのならば、それを改善するために乗り出すのはじゅうぶんにアリだと思います。

実際には、これら三つの資本以外にも、この世界には無数の資本が存在します。能力資本もありますし、容貌資本もありますし、ユーモア資本、知能資本、教養資本、家事資本、優しさ資本、愛情資本、魅力資本、創造力資本、他者への想像力資本、配慮資本、礼儀資本などなど。とにかく多様です。

理想的にはこれらのパラメータをすべて網羅したうえで考察できるといいのですが、これは(笑)

本が一冊かけてしまいますね(笑)(一冊で済めばいいけど(笑))

ということですので、今日はこの辺にしておきます。

 

ああ、あと、ふと気になったんですけど、共謀罪(悪事を企んでいると判断されるとそれが罪になるようです)について世間で色々と意見が飛び交ってるじゃないですか。あれって「夫婦」も「共謀」にカテゴライズされたりしないんですかね?(笑) 「結婚」って一種の「共謀」(結婚は愛する人と共にする謀りごとのひとつだと思います)だと解釈することも不可能ではないと思いますし。なんか、罪の対象になる範囲があんまり広すぎて、一体何が「共謀罪」になるのか今一つわからないんですよね。例えば、夫婦で、「最近の日本はダメだよね」みたいな会話して、共謀罪になったりとかね(笑) もしもそうならちょっとヤバいと思います。さすがに。なんか共謀罪について発言すると、僕のところに逮捕状が来るんじゃないかという極度の杞憂に陥ってなかなか話せないんですよね(笑) 笑いごとじゃないけど。怖いですね。法律って、結構拡大解釈みたいなのとかある感じしません? 法律の拡大解釈の手にかかれば、犯罪なんてできない小心者の僕のような一般庶民なんて余裕で有罪にできるんじゃないかと思いますし。ちょっと共謀罪について記事上げてみるのも手かもしれませんね。けっこうほとんどの人たちが、一度は、「日本くそだな」とか思ったことあるんじゃないかと思うんです。すると、社会の趨勢について話し合ったり、日本や政治に文句言ったりしたら、それでもう共謀罪になったりして……とか思うと、ちょっと恐いですよね。共謀罪については、そのうちまた。もしかしたら急いだ方いいのかな? みなさんも気が向いたら、共謀罪についてお調べになってくださいませ。僕もまだよくわからないので、色々と調べてみようかな。政治家の皆さん、テロが怖いのかもしれませんね。それでみんなのことを力で抑えつけたいのかな? 世界でけっこうテロ起こってますもんね。でも、力で抑えつけても基本的には何も解決しないと思うんですけどね。政治をしっかりするしか手段はない気もする。テロは民衆に不満がたまることで起こるのだと思いますので、その不満を取り除かずに、力で抑えつけようとすれば、より一層揺り戻しが強くなって、テロが過激になるのではないかという気がしないでもないのですが、どうなのでしょうね。「無為にして治まる」ということわざがありますね。もしかしたら、今の日本のトップには人徳のある人がいないのだろうか。色々と想像できて面白いところです。とか言いつつ、この「個人的空想」が共謀罪と判断されたりしたら恐いですけどね。「そこのお前! 今悪事考えたな!」とかって(笑) 僕悪事とか考えてないよ。ただ怖いだけだよ。なんて言っても政治家とか官僚の人には分かってもらえないのかもしれませんけど。怖いです。リアルに怖いです。みなさんも、共謀罪にならないために、悪いことは一切考えないようにしたほうがいいかもしれません。国の悪口とか偉い人の悪口とかも言えなくなるのかもしれませんね。全部、上の人たちの言いなりに。そうなってしまえば、個人の自由もへったくれもないですね。みなさんも、ある程度自由が欲しい場合には、共謀罪についていろいろと考えてみるのも一つの手かもしれません。ご参考下さい。こういう共謀罪のような感じの切羽詰まった、民衆のことを力で抑えつける方針が出てくるということは、政治家や官僚の皆さん相当苦労なさっているのかなと、憶測いたします(あるいは外国による日本への分断工作か。規制を強くすると、かえって揺り戻しが強くなったりしますね。麻薬犯罪とか、禁酒法時代の酒とか。テロの規制を強くし過ぎると、かえって民衆にストレスが溜まってテロが増えるやも。そのまま内乱を起こせれば日本は分断されるので、ある種の外国にとってはウハウハなのかもしれません)。なんとか頑張ってほしいと、小市民な僕は思ったりもします。民衆も政治家も官僚も、みんなそれなりに幸せに暮らせるといいんですけどね。うむ。世の中難しいですね。共謀罪については、僕も考えてみますね。みなさんの意見も聞きたいかも。よろしくお願いします☆

 

ではでは~☆