魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

流れ

 夕はノートにたくさんの図形を描いて遊んでいる。その図形は、魔法の発現のために使われる。彼女は人の体に宿る記憶の流動的な性質に焦点を当てて思考している。大体、いつもそんな感じで、そうした思考に認知のリソースを取られているがために、彼女は周囲の人から、ボウっとしているというふうに見られている。情報をインプットしたり、アウトプットしたりすることを何度も繰り返していると、記憶が流動して、変化していくというようなイメージ。そうしたイメージを夕はとても大切にしていて、彼女によれば、嘘というものも真実が流動した結果としての形態の一つで、それ自体が広義には真実なのだ、ということであった。

 夕はひとしきり図形をノートに羅列し終えると、キッチンに行き、ホットケーキを作ってそれにハチミツをたくさんかけた。ホットケーキを作るのに魔法は使わなかった。手間をかけた方が料理は美味しいというふうに彼女は考えている。椅子に座って、テーブルの上にある大量のハチミツ&ホットケーキを見つめる夕。ホットケーキを見つめていると、彼女は不思議な心持になってきた。何か前にも、そうした光景を見たことがあるような気がした。それがどこでどのように生じた現象なのかは分からない。しかし、彼女にとってはそれは紛れもないデジャブであったので、気になって気になって仕方なかった。夕のような<魔術師>はデジャブにとても豊かな意味づけを与えることがある。こういう時には、ホットケーキとデジャブの間にある因果関係や相関関係を整理し、分析する……というのが<普通の>魔術師の手筋である。しかし、幸か不幸か彼女は普通ではなかった。そうした彼女の異常性の形跡は、ホットケーキにかかった尋常でない量のハチミツが明瞭に示している。彼女は、因果を用いない。むしろ彼女は、偶然の諸事実にその拠り所を持ち、そこから幾多の自前の装置を展開していくことを好んだ。普通、魔術師は、因果を大なり小なり用いる。因果に最大の価値を置く魔術師すら存在する。しかし、彼女はそうではなかった。彼女にとっては、全てが<偶然>であった。彼女は偶然を重んじる。そんなことで一体毎日の生活をどのように彼女が送っているのか……それは僕にも謎である。

 とにもかくにも、夕は、ホットケーキを食べ始めた。ハチミツで極度にべたべたしたそれを、である。彼女は天使のようにくかわいらしい笑みを浮かべる。ホットケーキが美味しかったのだろう。そして、彼女はその糖分過剰のホットケーキの断片をフォークに刺して僕に差し出してきた。問題は数点あった。

 

1.甘すぎるだろ、そのホットケーキ

2.夕が使ってるフォークで僕がホットケーキを食べた場合……それって間接キス?(ぽっ……)

3.彼女によるホットケーキの贈与を僕が断った場合、彼女の好意を無碍にすることになる

 

「詰んでる……」

と僕は言った。

「ん?」

と夕は言う。僕の態度に疑問を抱いているのだろう。しかし、そう、何せ彼女の世界に因果は存在しない。つまり、僕の態度からの帰結を、彼女は決して、これっぽちも、推理する事がない。驚くべき女子である。

「恐るべし……」

と僕は言う。

「ん?」

と夕は言う。またしても、僕の態度に疑問を抱いているのだろう。しかし、……以下略……。

 

 

夕が魔法の練習をしている。とても真剣なご様子。

僕はその様子を見ている。彼女はたびたび、こちらを向いて、

「今の演算子どうかな?」

とか聞いてくる。この世界の魔術師は、魔術の概念と演算の概念の接続に成功している。それによって幾多の数式からたくさんの魔術の形式を抽出する事ができた。魔術は本来的に独創性に重きを持つものであり、普遍性を志向するような数式とは相性が悪いとかつては考えられていた。

 夕は数学というよりも、博物学的な魔術の使い手であった。彼女は様々な使い魔を同時にたくさん使役する事ができる。そして、とても博学だ。ただ、その<博学>の中にはもちろん数学も含まれていたし、彼女の好奇心はとどまることを知らなかったので、文字通り、大概の事は<何でも>それなりに深く極めていた。そうした事は魔術師の間においてでも、とても珍しい現象である。通常は一つの分野を極める事すらも、なかなかにままならないものなのだ。その点の状況は彼女の才能なども関係しているのかもしれないが、彼女にその事を尋ねると、例によって、

「偶然だよ」

との事であった。

 夕は狐の使い魔を召喚して見せた。狐は尻尾が九本あって、青白い火があたりに漂っている。召喚魔術の練習だった。彼女は、その九尾の狐の武術の稽古の相手を務めてほしいと僕に頼んだ。

 狐は変化して、人の形になった。その容姿は夕に似ていて、全身の様態としては小柄だった。体の大きさというのは武術にある程度の影響を及ぼすファクターだが、魔術師の戦いの場合にはそうした因子の分析は極めて困難なものとなるのが普通である。考慮すべき要素が多すぎるのだ。そればかりか、分析の手法自体が多様だった。魔術の体系の全分野を知る者がこの世界に存在するのかどうかで言えば、絶対に存在しないだろうと直感させるほどの多様性を称えていた。

 僕はひとまず素手で構える。

 狐は、例の青白い炎を僕の方に向けて飛ばした。

 炎の移動速度自体はさほどのものではなかったが、それはたびたび分裂して増殖するので、対処しなければならない者にとっては厄介な魔法だった。気付くと自分の真後ろに火炎が迫っていたりしたので、その魔術の核となっているものを見極めて破壊することなしには、対策がとても難しい。

 僕は心に一本の剣の姿を思い浮かべた。それは物心ついた時から、ずっと僕の中にあるイメージだった。心の形。それは幸せに似ている。誰もがそれと分かるのに、誰にもそれを説明する事はできない。

 次の瞬間には僕の手には剣が握られている。先ほどまで、自分の心の中にあったはずの<あの剣>だ。この剣には特性があって、一般にはそれは不可視の剣だった。常に流動しているのに、その柄は僕の手の中に綺麗に収まっている。その剣は、万物を流転させる剣だった。構成された物質の間の関係性自体を切り裂くことができる。

 僕は狐による青の火炎を心の目で見る。心にその火炎を構成している物質の様態が映じる。どこの構成をどのように破壊すれば、どのように火炎が流動するかが手に取るようにわかった。そうした直感の発達もまた、この剣の作用であるようだった。

 剣は、それが作用する一瞬の間だけ、その姿を現す。姿は表れる時々によって違うが、そのどれもが同一の剣なのであった。

 剣を揮うと、火炎は切り裂かれて姿を消した。狐の火炎は現実的なものというよりも、想像的な性質を基盤にした魔術の様式だったようで、物が何か燃えた形跡もないし、場に焦げ跡が生じているというようなこともなかった。僕の見立てでは、その火炎は精密な呪詛のようなもので、狙われた対象だけを正確に焼き尽くす類のものであった。

 夕にとてもよく似た少女姿の九尾の狐は、困ったふうな表情をして、夕の方を見た。夕はいつも通り、ボウっとした様子だった。ただ、狐と目が合うと、歩み寄り、狐の頭をよしよしと撫でた。狐は嬉しそうに目を細めて、夕に抱きついた。

 僕はその光景のあまりにもの美しさに目をやられた。

「ま、眩しい……」

 と僕が呟くと、

 夕と狐は同時に、

「何が?」

 と言った。

 

 

 僕は夕と二人で夜の散歩をしている。空には月が浮かんでいる。半月。なぜ半月なのかを考えた。夕なら「偶然だ」と答えるだろう。

「碧(僕の名前)」

 と夕は僕を呼んだ。

「何?」

 と僕は応える。

「……何でもない」

 と夕は言う。

 またしばらく二人で歩く。

 そして夕は偶然にも再び、

「碧」

 と僕の名前を呼ぶ。

 さらに僕は偶然にも、

「何?」

 と応える。

 夕は一瞬目をそらした後に、偶然にも、

「……何でもない」

 と再び応える。

 二人は公園のベンチに座り、夜桜を見上げた。

 今この時、僕と夕が過ごしている時間はもう二度と戻ってはこない。再現性がない。偶然にも。

 夕が狐をおもむろに召喚した。何も詠唱することも、魔方陣を組む事もなしに魔物の召喚を行っていて、当人は何でもないようにしているが、実はすごいことだった。<神業>というのはしばしば、周囲の目には簡単な技に見える。狐は公園の中を散策し始めた。

「碧」

 と夕は言う。

「何?」

 と僕は応える。

夕は言う。「まだ世界が嫌い?」

 僕はそれには応えず、近くの自販機に二人分のコーヒーを買いに行った。

 それは夕の問いに返答するのが難しかったために生じた、一種の代償的な行為だった。ただの時間稼ぎ。根本的な解決にはならない。

夕は僕からコーヒーを受け取ると、ありがとう、と言う。そして、そのコーヒーを何も言わずに飲み始めた。ただ、コーヒーを飲んでいるだけだったが、それでも夕には立派な風格のようなものがあって、絵になる光景だった。

「応えたくない?」

 とおもむろに夕は言った。

 僕はボウっとしていたので、一瞬、夕が何の話をしているのかが分からなかった。

「そんなことないよ」

 と僕は応じる。「相変わらず、世界は嫌いだよ」

「……そう」と夕は言う。「私も嫌い?」

「いや」と僕は言う。

「私がいても、世界が嫌い?」夕はそう言いながら、俯いて、ベンチの上に座り、細い両脚をふらふらと揺らしている。

 僕は考えてみた。<世界を否定することは、夕のいる世界そのものを否定することになるのだろうか?>

 夕は僕の返答を待たずに、言葉を紡ぐ。「私には色々な世界があるの。でも、その世界のどれにも、碧はいない。碧はこの世界にしかいない。だから、私にはこの世界が大切なの」

「世界が醜いものを続々と作り出してしまうことと、世界そのものが醜いということとは違う」と僕は答えた。

「……いいよ、それでも」と夕は言う。そして、残っていたコーヒーを飲み干すと、「碧」と僕の名前を呼ぶ。

 僕は気恥ずかしかったので、ボソッとした声で、

「何?」と応える。もちろん、そうした挙動は全て偶然で構成されている。全て偶然だ。特に意味はない。

「碧は私の事、好き?」

 と夕は言った。無論、そこに意味はない。夕は、ただただ偶然に、僕を好きになってくれた。彼女は、理由があって僕のことを好きなわけではなかった。容姿でも、経済でも、権力でも、地位でも名誉でも、性欲でも、もっと言えば、愛でもない。彼女はどのようなものにも依拠することなしに、ただただ<偶然>、僕のことを好きになってくれた女の子だった。

 夕はとても不思議な子だった。何せ、僕のようなポンコツを好きになってくれるくらいだから。

 正直、僕にも、夕が何を考えているのかは分からない。まったく。行動も思考も隅から隅まで実に奇妙だった。しかし、それが彼女の魅力でもあった。

 もしかすると、僕もまた、彼女のことがただただ偶然に好きなのかもしれない。こんなことを考えることにも特に意味はない。僕の抱く、人知れぬ懊悩もまた、ただの偶然なのだろう。

 狐が鳴いた。狐は僕と夕の間に割って入ると、九本の尻尾もろとも綺麗に丸まって、気持ち良さそうに目を閉じる。狐の体はふさふさとしていて、触り心地がとてもよかった。

 夕と僕は目が合うと、お互いに微笑んだ。

 夕は、狐を撫でている僕の手を握ると、

「結婚しよ!」

 と臆面もなく、唐突に言った。

 僕は顔が一息に熱くなるのを感じた。その様子を夕に見られたくなくて、目を逸らした。

 夕はクスクスと笑っていた。

 多分、僕の顔が赤かったのだろう。偶然にも。

 

 

P.S.直観術は比喩です。