魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

魔術的「同盟」について

 魔術師は、同盟によって、個々の魔力を発動するようです。ここで、魔力とは創造力、それまでなかったことを為しえる力のことです。

 なぜか。

 魔術師は、創造のため、既存の枠組みにはまらないように逃走します。

 すると、逃げた先々の点と点がつながってやがて線となります。これを逃走線と呼びます。

 また、地層に階層が存在するように、おそらく世界や社会にも階層が存在します。例えば、定住民的階層(一般の人たち)と魔術師的階層(いわば、ADHD傾向)があるだろうと考えられます。

 これら二つの階層の違いは、前者が通例であるのに対し、後者が異例を目指すということです。

 一般の人たちの場合、興味の範囲が、ADHD傾向の人よりも限局しています。その分、専門的技能に優れ、応用は効きづらくなりますが、狭い範囲の出来事を効率よく言われたとおりこなす能力には長けています。

 一方、魔術師は、常に型にはまらないようにとがんばっているので、専門的技能よりも、分散性が目立ち、結果、汎用性の能力が向上します。

 専門分野を持つ人たちのその土壌で戦っても、ADHD傾向の人は勝利できませんが、しかし、その他の多くの局面、つまり、定住する人たちそれぞれの専門外の局面においては、ことごとく魔術師の勝利となると考えられます。

 通例は、専門を持つ人々は自分の専門だけをやっていればいいのです。しかし、異例の場合、そうした、専門外の仕事が飛び込んでくることになります。こうした、アクシデントに強いのが、魔術師です。なぜなら、魔術師は、異例についての専門家だからです。

 つまり、魔術師は、部分においては、一般の人々に後れを取るように見えますが、全体を通して見ると、汎用性が高い分、狭いテリトリーしか持たない人々よりも、広い視野を持ち、結果として、通例の視野には見えないものが見え、見えないアイデアが浮かびます。創造。

 例えば、C言語だけ出来るプログラマの場合、これは、定住民的ですが、もうすこし魔術師的、つまり、遊牧的発想に切り替えますと、C言語どころか、JAVAPythonAPIも何でもござれな人が想定されてきます(分散性により汎用性、応用能力が高まることが予想されるため)。ここに至って、人は初めて、その人を魔術師として認め、ウィザード級ハッカーと認識します。無論、ウィザード級ハッカーは異例のことです。

 熱量とは、分散の力のことです。あっちこっちに分子が飛び回っている状態。そういうふうに捉えるなら、熱エネルギーの高い人が、魔術師なのかもしれません。

 そして、これらの魔術師たちが逃走線の上で出会うことは偶然ではありません。地層が礫の形状などによって、同じ層に集合するように、魔術師もまた、同じ層に堆積するようになるからです。とは言え、分散の能力が強いので、なかなかいわゆる群れにはならないと思いますが。このようにして、魔術師の同盟は生じます。

 そして、魔術師の出会いによって二つの動力がぶつかることにより、今度はまた異なった作用が生まれてきます。マイナーなもの同士の結合です。ここからは何が起こるか分かりません。そして、そこに突破口があります。なぜなら、そうした同盟自体が既に異例のものだからです。互に異例のフィードバックをあたえながら、魔術師は、戦士としてファシズム的、あるいは上意下達的な、定住民性に相対します。

 世界の魔術師たちに、nightcoreの「angel with a shotgun」を送ります。nightcoreの事例は、魔術的「伝染」の一例として非常に参考になるところがあります。

 

 if love is what you need,a sodier I will be.