僕が図書館で本を読んでいると、優奈さんがやって来た。
「何しているの?」
と彼女は言った。
「ここは図書館なんだから、本読んでるに決まってるんじゃん」
と僕は言った。
図書館の中で会話していては、周囲の人に迷惑なので、一度、本を返し、優奈さんと図書館を出た。
「社交辞令だよ。何してるの? って」
「僕も社交辞令だよ? 本読んでるに決まってるじゃんって」
「へえ」
「うん」
優奈さんはどうやら、ケーキが食べに行きたいらしかった。
しかし、一人で行くのは寂しいので、もしも、図書館に僕が居たら、一緒に行こうと思ったのだと言う。
「来栖君、甘いもの好き?」
と彼女は言った。
「好きだよ。優奈さんの方が好きだけど」
「ありがとう」
と言って、優奈さんは笑った。
「ところで、優奈さん、何で、ジャージなの?」
僕は不思議に思ってそう聞いた。
「走ってきたの。ケーキ食べるから」
「どうして、ケーキ食べるときに、走ってくるの?」
「……」
「……」
「……」
「何で黙るの?」
「わかるでしょ」
「何が?」
「……」
「……」
「……」
「ごめん、僕何か悪いこと言った?」
「別に」
そう言って、優奈さんはため息をついた。「それより、早くケーキ食べに行こうよ」
「ああ、そうだね」
僕は今一つ腑に落ちなかったが、とりあえずケーキが食べたかったので、優奈さんと一緒に、喫茶店に向かった。
お洒落な喫茶店で、店の前で古いレコードが売られていた。おそらく、店主が聞いていたレコードなのだろう。古いレコードたちには独特の色合いがあって、見ていてとても気分が良かった。僕は割に、古いものが好きなのだ。
優奈さんは、運ばれてきたケーキとにらめっこしていた。
「どうしたの? 食べないの?」
と僕は聞いた。
「いや、けっこう大きいなと思って」
と優奈さんは言った。
「イイじゃん、お得で」
「……」
「……」
「……」
「何で黙るの?」
「死ね」
「あまりにひどくない?」
僕は思わず、たじろいだ。
「何でもない、忘れて」
そう言って、優奈さんはケーキを口に運んだ。
優奈さんは大きく目を見開いて。
「……美味しい……」
と言った。そして、何か険しい顔をしていた。
僕も、ケーキを口に運んだ。たしかにとても美味しかった。
一緒に頼んだコーヒーも美味しかった。
優奈さんは紅茶を飲んでいた。彼女はコーヒーが苦手だった。
「優奈さん、美味しいなら、そんなに険しい顔することないよ。嬉しそうにしないよ。せっかく美味しいケーキなんだから」
「そうなんだけど。……ねえ、どうして、来栖君ってそんなにスリムなの? ずっとスリムだよね。中学のときから」
「分かんない」
「なんか秘訣とかあるんじゃないの?」
「ねえ、もしかして、太ることとか気にしてるの? 大丈夫だよ。だって優奈さんだって、いつもスリムじゃん。別にちょっとケーキ食べるくらい」
「……」
「……」
「死ね」
「なぜそうなる?」
「ねえ、最近、何の本読んだの?」
「あ、話変えた」
「私ね。ずっとゲーテルの話書いてる本読んでた。面白かったよ。今度、来栖君に貸そうか?」
「あ、無視した」
「踊りに関する本も読んだよ。盆踊りの本。お盆には先祖様が帰ってくるからね。何かと感慨深いよね。」
「まあいいけど」
「それでさ、私、来栖君に相談があるの」
「何?」
「私、世界を変えたいの?」
「一体、どういう話の脈絡!?」
「あなたの中では、脈絡なくても、私の中では脈絡あるの」
「うん……分かったけど……それで、どうして、世界を変えたいの?」
「現実を夢に染め上げたいの。夢みたいな世界に」
「それは素敵な夢だと思うけど、何か具体的なビジョンはあるの?」
「ない」
僕は頭を掻いた。
「じゃあ、例えば、貧困に苦しむ人を失くしたいとか、あるいは、犯罪をなくしたいとか、そういうことなのかな?」
「私にもよくわからないの。ケーキおいしいね」
「うん、ケーキは美味しいよね」
「それで、来栖君には何か、ビジョンとかある?」
「僕か……難しいよね。要は、人を喜ばせればいいということなのかな?」
「それよ。それしかない」
「じゃあ、優奈さんはどういう時に嬉しい?」
「……」
「……」
「死ね」
「はい、『死ね』いただきました~」
「ケーキ食べてるときとか?」
「ということは、優奈さんはケーキ屋さんになればいいのでは? そうすれば、人を喜ばせられるよ、きっと」
「そうね。私ケーキ屋さんになる」
「それで、例によって、比喩的なケーキ屋さんなんだよね? 優奈さんのケーキ屋さん」
「そうなるわね」
「優奈さんって、どこからが本気で、どこからが冗談なのか、今一つわかんないから恐いよね」
優奈さんは傷ついた顔をした。
「私のこと恐い?」
「いや、恐くないよ」
「じゃあ、嘘ついたの?」
「いや、嘘でもないよ」
「どっち?」
「多分、どっちもだよ。両立しているんだよ、きっと」
「両立?」
「そう、ぼくの考えでは、魅力というのは、恐怖から成り立っているんだ。だから、その人が魅力的だということは、ある意味で、その人の中にある『畏れ』が作用した結果なんじゃないかって」
「そう」
優奈さんはそのまま黙りこくっていた。そして、トイレに行くと言って、席を立った。
僕はほっと胸をなでおろした。
危うく優奈さんを傷付けてしまうところだった。口は禍の元とはよく言ったものだな、と思った。
それにしても、優奈さんは、基本的に優しくて大人しい性格をしているのに、唐突に、憎悪を剥き出しにすることがあった。
「死ね、か……」
――でも、まだ、死ぬわけにはいかないわな。優奈さんいるし。
とか思いつつ、コーヒーを飲んでいた。
店内の中の絵で、一つ目に留まったものがあった。
それは、猫の絵だった。猫が三匹いる。
黒猫、白猫、三毛猫だった。
そして、三匹は、絵の真ん中で、みんな丸くなっていた。
そこに、店長がやって来て、何やら絵の話を聞かせてくれたが、絵の造詣がない僕にはその話はよくわからなかった。ただ、三匹の猫が日向でぐっすりと眠っている、そのことがとても印象的だった。
と、優奈さんが帰ってきた。
すると、店長さんは、さっと帰っていった。達人級の素早さだった。
「私、いじめをまずなくしたい」
と優奈さんは言った。
「いじめか。たしかに悲惨だよね。なくせるならなくせるに越したことはない」
「学校に警察置くとかどう?」
「個人的にはやめた方がいいと思うな」
「どうして?」
「だって、常に監視されてる感があってなんか嫌じゃん?」
「まあ、確かにね……でも、いじめがあるよりいいんじゃない?」
「難しい問題だね」
「じゃあ、生徒が自分で自警団作るとか?」
「できれば、その自警団を、上意下達的にでなくつくれればいいよね」
「上意下達……」
「お役所仕事みたいにじゃなく」
「それは言えてるね」
優奈さんは紅茶に口をつけた。「じゃあ、どうしたらいいんだろう?」
「たくさん逃げ場を作ることじゃないかな? 何かあったらすぐ逃げ込める場所」
「どうやって?」
「たくさんの場所を作るとか」
「場所?」
「コミュニティ」
「たくさんのコミュニティ……でも、どれくらいのコミュニティ?」
「大小さまざまだね」
「あんまり、多すぎると、逆に選びづらそう。コミュニティ」
「そういう面もあるかもしれないね。ただ、少なくとも、逃げ場がないから、いじめがなくならないのかな、とは思うよ。だって、逃げられちゃったらいじめられないもん」
「じゃあ、学校を義務教育じゃなくすればいいんじゃない? そうすれば、みんな学校から逃げられる」
「それもひとつの手ではあるよね。でも、義務教育のおかげで、多くの人に知識が伝達されてる面もあるかも」
優奈さんは眉をひそめた。「難しい」
「何をどうやっても、なにかしら問題出るよね」
「どうしたらいいんだろう?」
「多分、優奈さんみたいな人が増えれば一番いいんだよ」
と僕は言った。
優奈さんは目を丸くした。
「私?」
「そう」
僕は頷くと、コーヒーカップをテーブルの上でくるくると回した。
「どうして、私が増えるといいの?」
「一概には言えないんだけど、優奈さんみたいに、色々なことを考える人が増えれば、何か変わると思うんだ。個人的には」
優奈さんは何かを考えていた。唇を真一文字に結んでいる。
――一体何を考えているのだろう?
それがとても知りたかった。しかし、僕には分からない。
「私じゃなくて、来栖君みたいな人が増えればいいんじゃないかな?」
と彼女は言った。
「それは大変なことになるね。日本なくなっちゃうよ」
と言って、僕は笑った。
「確かに」
と言って、優奈さんは大げさに頷く。そして、笑った。ひまわりみたいな笑顔だった。
「ちょっとは、否定してくれてもいいのに」
「だって、本当のことだから」
「優奈さんは正直だね」
「……」
「……」
「死ね」
と優奈さんは言った。
優奈さんの憎悪噴出ポイントが今一つよく分からなかったが、慣れてきたし、僕はそのことについて不問に付することにした。
僕も優奈さんも基本的に目に見えることしかわからないのだ。その善悪に関わらず。
本当の僕も、本当の優奈さんも。
僕にはわからない。
しかし、通じ合うことは、どうやら可能のようだった。
なぜって?
現に僕は、優奈さんと一緒にいて楽しいからだ。
いつかは終わってしまう関係かもしれない。
しかし、今この時の、優奈さんや僕は、やっぱり、本物なのだ。
僕は優奈さんを指さし、ふとその鼻に触れた。
優奈さんは驚いた顔をしたが、優奈さんは僕を指さし、僕の鼻にそっと触れた。
「なんか、ある意味、カップルみたいだね、僕たち」
「死ね」
優奈さんはそう言って、にっこり笑った。
ぼやけて見えるのなら
目を閉じて構わないから
君が思うままに(40mp,『シリョクケンサ』,歌詞より引用)