魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

魔術的戦術論各論――ブラック企業対処術概論

 今日は、ブラック企業を崩す方法を考えてみたいと思います。

 

 まず、ブラック企業とは何か。

 

 これは、主に、「量」の戦略を取る会社のことです。「質」ではなく。

 

 例えば大量の若者を大量に就職させ、大量に過重労働させるとか。

 

 とにかく、「量」によって、物事を為す戦略であるということができます。

 

 また、この作戦は、ある程度なら、合理的ではあります。何度も言いますが、単純な悪は存在しません。使いようによっては、ブラック企業的な戦略がいつも悪いとは限りません。

 

 ただ、それによって、社員が食いつぶされたり、精神に不調を来したり、病気をしたり、自殺したりするのは問題でしょう。

 

 それにしても、難しいのは、質を上達させるのにもある程度、量をこなすことが必要であるのは事実であるということです。この点が、事情をむずかしくしています。

 

 ですので、ブラック企業を崩すといっても、それは、完全に崩すわけにはいかず、「程度問題」となります。

 

 まず、外側から崩すのは、簡単です。

 

 これが一つ目の方法なのですが、みんな嫌いな仕事をしなければいい。好きなことをしていればいい。

 

 文章にしてしまうと、あまりにも単純ですが、これは戦略としてはそれなりに理に適っています。

 

 なぜなら、みんなが、ブラックな待遇にたいして、否、と言えば、ブラック企業もそのニーズに対応せざるを得ないからです。

 

 したがって、みんなが、ブラック企業で働くことを拒否すれば、それで、ブラック企業の数を減少させることができるようになると予想されます。

 

 これは、簡単ですし、理論上、間違うようなところもないので、この戦略を用いれば、ほぼ確実にブラック企業を減少させることができるのではないかと思います。

 

 もっと言えば、自分がブラックじゃない企業を作ってしまえばいい、とも言えます。

 つまり、自分が人格者になって、会社を作ってしまうのも手であるということです。

 

 とはいえ、起業は非常にたいへんな作業なのだそうです。それこそ、「ブラック」であるように感じられるかも知れないくらいに。

 それに適応できるためには、その仕事が、かなり好きでなければならないかもしれません。好きこそものの上手なれ、とも言いますし。

 大量にこなせるものとは、自分の得意なものですね。

 

 しかし、この考えかたにも限度があって、実際にはどれも大変なのですが、自分に合った理想的な仕事というものを追い求めると、理想が切なくなって、いつまでも、職を探し求める羽目に陥ってしまうこともあります。これを、「適職幻想」と言います。

 したがって、ブラック企業を避けるために、ある程度適職幻想を持つことは大切かと思いますが、しかし、それも度を超すとまずいらしい、ということです。

 

 このように、人間社会は、どうにも白黒では割り切れない面がありますね。グレーに耐える力が非常に重要になるものと思います。

 

 したがって、目標は、ブラック企業を、ホワイト企業にすることというよりも、「グレー企業(起業)」にまで何とかして持ってくることですね。何事も、極端だと、どこかにほころびが出るようです。

 

 次は、ブラック企業を、内側から崩すことについて考えてみようと思います。これは、外側から行くのよりも難しそうです。ですので、できれば、みんなが、「適度な」、適職幻想を持つことが肝要かもしれません。

 

 まず、ブラック企業による抑圧には次の三種が考えられるでしょう。

 

 一、精神的抑圧

 二、肉体的抑圧

 三、社会的抑圧

 

 したがって、ブラック企業で働く際には、これら三つの「攻撃」が常に自分に降りかかるものと認識していなければなりません。

 

 まず、これらの抑圧の影響を極力避けることを考えてみましょう。

 

 まず、精神的抑圧。精神的抑圧は、主に、言葉攻めによって、為されます。つまり、言葉の暴力です。したがって、これらの影響を自分の精神から排除するため、頭の中で徹底的に否定します。相手が上司なのだろうが、何だろうが、もしも、不当なことを言ってくるのでしたら、容赦する必要はありません。しかし、現実的な暴力行為をしてしまうと、正当防衛以外では、法的に負けてしまいますので、正当防衛の状態まで持ち込むか、あるいは、それに至る前の段階で、相手に反抗するか、の二択があります。

 しかし、露骨に反抗すれば、洗脳が強まったり、あるいは、退職に追い込まれることにもなりかねません。したがって、表面上は猫をかぶっておく必要があります。

 とは言え、この表面上、猫を被るというのがまた曲者で、人間、猫を被っていると、ほんとうに自分がそういう人間であるような気がしてきてしまうのです。だから、上司に叱られ続けていると、ほんとうに自分がダメな人間であるような気がしてしまいます。したがって、少なくとも、心の中だけでは、上司にたいして、徹底的な罵詈雑言を言う必要性がある、ということが言えます。洗脳の度合によっては、それでも足りないかもしれません。

 僕が、これに対し、考えている対策の一つとしては、トイレなどで、隠れて、「音楽」を聞くことです。自由を賛美する曲がいいでしょう。あるいは、視点を意図的に色々な場所へ動かす(EDMR参照)。とにかく色々なものを見えるように心がける。絶対に一点だけを見ない。思考的にも、物理的にも。上司に叱られている時も、意図的に視線を動かし(もちろん、不自然じゃない程度に)、自分の思考を拡散させることを心がけ、上司の言葉にできるだけ、耳を傾けず、「馬耳東風」となるように「努力」する。といったような、対策が考えられます。

 とにかく、何とかして、視点が狭くなることと、不当な精神的抑圧、言葉に対する集中力を拡散することを目指していきます。つまり、「脱集中力」です。ブラック企業においては、これは、集中力以上に重要でしょう。真面目にやっていたら、身が持ちません。真面目でいい人ほど、鬱などのリスクが高いのではないでしょうか。なら、ブラック企業には、ブラック社員になって対抗しましょう。

 

 さて、次に、肉体的抑圧。これは、「うまく手を抜く」ことが重要です。なんとかして、仕事から手を抜いてやろうと、いつも、そればかりに頭を使っていればいいでしょう。通常の価値観から言えば、これは、不真面目ということになってしまいますが、ブラック企業は通常の環境ではありませんね。したがって、手を抜く努力をしても、咎めるのは難しいのではないでしょうか。もちろん、うまく手を抜くことができず、へますると、社内においては、叱られてしまうかもしれませんが。だから、「うまく」やりましょう。そして、叱られても、馬耳東風でいましょう。ブラック企業においては、「如何に要領のいいダメな奴であるか」を競うことが重要になります。この点から見ても、ブラック企業の体制はあまり、合理的とは言えませんね。「上へ上へ」ではなく、「下へ下へ」、みんなで向かって行くわけですから。日本もダメになるわけです。そのことを、ブラック企業に身をもってわからせてやりましょう。また、ブラック企業においては、やめさせられたあなたは、悪くありませんね。悪いのは企業でしょう。その場合は。だから、もしも、退職を迫られても、あなたは悪くない、ということを、申し上げておきます。馬耳東風になりましょう。

 

 次、社会的抑圧。

 これを恐れている人は多いのではないでしょうか。

 日本では、仕事をやめることにネガティブなイメージがあるものと思います。「仕事がつづかない奴だ」とか。しかし、悪い仕事が、続かないのはむしろ当たり前であり、このケースで言えば、悪いのは、退職に対し、否定的な解釈しかできない社会的風潮であり、退職するあなたではありません(もちろん、程度問題ではあるのですよ? 過ぎたるは及ばざるがごとし。ただ、退職が単純に悪いということもまた言えないのです)。

 退職を、「仕事の終わり」ではなく、「再出発」と捉えるだけでも大分違います。あなたは、決して、競争に負けたわけではなく、そうではなく、あらたな可能性を模索するチャンスをあたえられたのです。実際、人類の文明はそのようにして、新しい可能性を模索せざるを得ない人々によって、開拓されてきました。だから、あなたが、フロンティアを開けばよい。失敗しても良いです。なぜなら、普通の人よりも、ずっと難易度の高いことをやっているのですから。その失敗を誇りに思いこそすれ、恥に思う必要は何もない。あなたは、失敗ばかりなのではなく、それだけ多くの挑戦をしているのです。あなたは、「イノベーター」なのです。カッコいいじゃないですか、イノベーター。誇りを持っていいと思いますよ。

 あなたが、創造性という重要な気質を大切にし、論理をきっちり極め、世論に対抗していけば、すこしずつ、社会的風潮も変わってくるでしょう。あなたのような人が、歴史を担っているんだと、僕は思います。

 失敗とは、挑戦です。逆も然り。

 ブラック企業で、下に向かうのも戦略的には大切ですが、あなたのように、イノベーションによって上に向かうのもまた大切な戦略と言えるのではないでしょうか。

 

 以上の三つの対策によって、取りあえず、ブラック企業側の攻撃をできる限り相殺しましょう。基本は、馬耳東風。いかにダメな奴になるかの競争です。

 

 一貫した態度は、大なり小なり周囲に伝染します。したがって、あなたがダメな奴に徹すれば、周囲の人もダメな奴になっていきます。

 結果、ブラック企業は、よりブラックになるでしょう。しかし、それでは、もっともっと社員はダメになっていきます。それをブラック企業に身をもってわからせてやればよい。

 つまり、あなたがダメな奴であることを貫くことによって、ブラック企業を崩壊か、あるいは、体質改善せざるを得ない状況にまで追い込むことができると考えられます。

 

 そもそも、どんな大手企業がつぶれるかわかったもんじゃない時代ですので、退職自体は、さほど、恐いものではなくなってくるのではないかとと思います。

 

 また、話によると、AIの発達により、あと十年もすれば、人間は嫌な仕事をしなくてよくなる、という話も聞きます。そうなれば、機械に職が代替されるので、失業はさほど珍しい物でなくなっていくかもしれません。そうしたら、みんな好きなことができます。今のうちから、好きなことをする練習をしておくのも大切かもしれません。

 

 戦略的に、ダメな奴であることが有効である場合があることがお分かりいただけたかと思います。「常識」は、既得権益に有利なように構成されている面があるので、そのことで、あなたが体調を崩してしまうようなら、必要なだけは破壊してしまいましょう(破壊しすぎるのもよくありませんね。適度に適度に)。

 

 つまり、いわゆる「ダメな奴」と呼ばれる人たちですら、社会では、役にたっているのです。ニートや引きこもりのおかげで、ブラック企業の増殖に歯止がかかっているとさえ言えるかもしれませんね。

 

 つまり、ダメな奴は時にはいい奴なのです。

 

 単純な善悪二元論は存在しませんね。何事も、使いようです。人間だれしも、ダメなところも、いいところもあるものです。

 

 どんな人でも。

 

 お互いのいいところを引きたてあい、弱いところを補いあえる社会になるといいですね。適材適所ですよ。みんな、役割があります。意味のないものはこの世界に一つもありませんね。

 

 今回の話を簡単にまとめると、良い奴になって潰れてしまうよりなら、戦略的に駄目な奴になってみるのも時には手だ、ということです。ご参考下さい。

 

 

 

 

 

 P.S.今日、直観術はどうしようかな(笑) 気分で行きます。書くかもしれんし、書かないかも。どちらにせよ、よろしくお願いします。