魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

少年および少女という概念とかについて。

 今日は、少年や少女とは何なのかについて、考えましょう。

 

 単純に言うと、「年が少ない」のが少年で、「女が少ない」のが少女、ということになるのかもしれません。

 

 ここで、一律の時間軸を設定しますと、「一律の少年」や「一律の少女」ができてきますね。

 

 例えば、「カレンダー」とか「時計」とか「日付」と呼ばれるのは、この一律の時間軸に当たります。

 

 一律の時間軸は、一律の時間感覚しか認めないのですが、実際には、僕たちの主観における時間はその時々場合によって、様々な濃度を持っていますね。一律な時間においては同じ時間であっても、実際に僕たちが感じる時間は、長くなったり、短くなったりします。

 

 つまり、実際には、「時間というのは一律ではない」、というふうに考えられるかも知れません。

 

 この考え方によれば、人の数だけの時間があり、感覚があり、また、多様なレベルでの「少年」、「少女」があるということになります。

 

 つまり、一律の時間でもって見られる一律な人間性とは別に、その人その人の時間感覚に応じた、少年少女が生じるであろう、と考えられます。

 

 なので、多様な少年少女が多様な世界に存在しているというふうに言えるかもしれません。

 

 このように考えてくると、刻一刻と状況が変化することによって、なにが少年であるかとか、なにが少女であるか、という概念は変化するのであり、ある一定の特徴としてはとどまっていません。つまり、少年とか少女とかいうのは、一定した特徴というよりも、その都度、生成され、変化するものとして考えることができます。これを、「少年(子供)への生成変化」あるいは、「少女への生成変化」というふうに仮に呼んでみましょう。

 

 すると、僕たちは、「子供である/少女である」のではなく、「子供に生成変化する/少女に生成変化する」のだ、というふうに言えるかもしれません。

 

 つまり、子供が子供である、少女が少女であるのではなく、僕たちはその時々でその都度、「子供になる/少女になる」ということになるかもしれません。

 

 それで、生成変化というのは、絶えず動いていて定まりませんから、少年少女の定義も絶えず動いて定まらず、場合によっては、80歳の少年少女というのもあり得るのかもしれません。その辺りの判断は、個々人の感じ方、つまり、「時間感覚」に依存するかも知れません。

 

 感覚としては、とても若々しいおじいちゃんおばあちゃんはいますね。少年少女のような。ですので、一口に少年少女と言っても、様々な少年少女がいるのかもしれません。

 

 巫女の踊りについて。

 

 詳細な研究が必要な点だと思います。すごく興味があります。そのうち、暇とかあったら、フィールドワークしたいくらいです。

 ここでは、トランス状態における踊りについて記します。

 これも、基本は印を結ぶのと同じで、自分が心地よい体の動きをさぐっていくのが基本ではないかと思います。つまり、空を観想して、それで自由に身体を動かして遊んでいるうちに、何時しかそれが踊りのようなものに発展する、というような感じではないかと。

 おそらく、巫女の踊りなどは、その流派によるんでしょうけど、それぞれのトランスを引き起こしやすい運動をしているのではないかと思います。

 これ、本当におもしろいだろうな。調べたら。

 

 人権について。

 

 たいせつですね。世の中はなかなかきれいには回りませんが、それでも人権を志向するのはとても大切なことではないかな、と思います。そして、適度な息抜きも忘れないのがいいかもしれませんね。

 

 死刑制度における被害者の心理への補助処置について。

 

 被害を受けた人のこころを癒すのは極めて難しいことだと思うのですが、何もしないわけにはいきませんね。とは言え、国家的にできるのは経済的援助で、宗教的にできるのはその心理への寄りそいと、あとは「カタルシス」ですよね。なんらかの。「喪の作業」とかに通ずる感じの。場合によっては、犯罪を犯してしまった方と被害者の方との間を取り持つことも有効かもしれません。

 しばらくして、心が立ち直ってきた後なら、芸術などもある程度は有効性を持つかもしれません。

 

 エリートという概念について。

 

 色々ですよね。政治的エリート、経済的エリート、文化的エリートetc……いろんなエリートがいらっしゃるようです。エリートの皆さんは、たぶん、日本とか世界を引っ張っていかれる方なのだと思いますので、何というか未来?とか世界とかをよろしくお願いします(笑) エリートの方とかって、普段どんなことなさってるんでしょうね。やっぱり官僚のお仕事とかなさっているのでしょうか。あとは社長とか芸術家とかもそうなのかな? ちょっとわかりませんが。以前に、エリートというか高知能児のことは大分調べてたんですけど、忘れちゃいましたね。どっかに印刷した資料はあるはずですが、発掘するのが大変(笑)ちなみに、読書型の高知能児は性的に早熟なのだそうですよ(たしか) おもしろいですね。読書ばっかりしてる高知能児を見つけたら、エロイんだなと思うといいかもしれません。・・・・・・・もちろん、冗談ですよ? そっとしておくのが一番ですね。大体の場合。何でもそうですね。触らぬ神に祟りなし。

 でも、「知能」って言葉もむずかしいですよね。いろいろなご意見あるところかと思います。なにを知能とするかというのはとても難しいですね。知能もいろいろな知能(多重知能理論)があるのかもしれません。すると、適材適所なのかな、結局は。優劣じゃなくて。難しいところですね。

 

 教養という概念について。

 

 僕は曲りなりのも魔術師(見習い)を標榜していますので、あんまり、必須の物とかは設けたくない気もするのですが、そうだな?(笑) 何だろう? 『千のプラトー』おすすめです!