魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

精神病とか人間関係とか学術とかについて。

 はいはーい。

 

 みなさん。こんばんは。

 

 今日も気になったこととか書いてきますね。

 

 精神病について。

 

 僕も精神病(統合失調症)を患っているのですが、割に軽症で済んでいるようです。クスリのみ忘れているときの、集中力が愛おしい(笑) でも、クスリは飲んでおりますよ。それでも、妄想と呼ばれうる症状はきえませんし、僕の文章はもしかしたら全般におかしいかもしれません。連合弛緩とか。

 論理とかの飛躍が多いかもしれませんし。話の飛躍が多いとはよく言われます(笑)

 精神病があると、就職とかも制限が出てきたりすると思いますし、偏見もあると思いますし、結構大変ですよね。

 それに、普通の人(「普通」などと言うことがあり得るとすればの話ですが)と、感性自体がけっこう違っているところとかもあって、結構生きていくの大変な面もあるかと思います。

 細かくは書きませんが、僕もいろいろ大変ですね(笑)

 だからと言って、どうしようもありませんので、できることをしていこうとは思っています。

 精神病でも精神病でなくても、就職難もありますし、学歴社会もありますし、偏差値教育も、イスラム国も、無差別殺傷も、ブラック企業も、貧困問題も、もうありとあらゆるところに問題が山積みですが、なんとか生き残れればいいですね。

 

 人間関係の締結と別れについて。

 

 どんな人同士でも相性はあるものですね。誰かと仲良くしたりするのも相性。誰かと別れるのも相性。多分、どっちかが一方的に良かったり、悪かったりということはないのではないかという気もします。縁は、時の運みたいなところもありますし、一方で、つかみ取るものであるという面もありますね。でも、一度はつかみ取っても、すぐにはなれて行ってしまうかもしれませんし、それは、相性ですね。やっぱり。人は変わるものですし、一所にはとどまっていませんから、出会いも別れも、一期一会の気分でやっていくのがいいかもしれませんね。諸行無常です。

 

 知識人について。

 

 色々な定義がありますよね。気持ちを重視する人もいますし、学歴を重視する人もいますし、そう言ったものとは関係なく知識や研究能力を重視する人もいます。一律な定義はないみたいです。

 きっと、色々なことをご存知な立派な方たちなのでしょうから、がんばっていただきたいな、と思います。

 僕には大したことは何もできませんが、それでも、そっと陰ながら応援しています。

 僕と意見が同じでも、違っていても、分かり合えても、分かり合えなくても、お互に受け入れられなくても、尊敬はしています。

 

 優劣について。

 

 これは、厳密には存在しないと思います。ただ、社会上のゲームというか、社会を回すためにはある程度必要かもしれません。ある程度ルールブレイカー(イノベーター)の存在も必要だと思いますし、逆にルールを保持する人(保守的な人?)も必要だと思います。バランスの問題ですね。ルールブレイカーの人もルールを保持する人も、あまりがちがちにならずに、それなりに上手くやっていけるといいですね。とは言え、時々けんかするくらいないいのではないでしょうか。お互に意見があって、しかも、それを言えるというのは、捉えようによっては、いいことであるとも言えるような気がします。

 

 自殺について。

 

 僕も自殺についてかんがえることありますよ(笑)。僕の悩みなんて巷の悩みに比べたら全然浅いものに過ぎないかもしれませんけど。なんだか、自殺のことを考えていると心が落ち着くことがあります。一種の精神安定剤なのかもしれません。僕にとっては。多分、自殺についてかんがえることも、必要な人にとっては、必要なこともあるのかな、とも思います。それに、僕には、自殺を否定できるだけの論拠も持ち合わせがありませんし(そもそも自分が自殺のこと考えてることあるし(笑))。だから、あんまり言えることはないかもしれません。ただ、ネットを見ていると、自殺を考えている人で、とても魅力的に見える人もいるのは事実ですので、そういうのを見ていると、何とはなしに、反射的に、死んでほしくないな、と思ってしまうことはありますが、それは、僕にどうこうできることではないので、詳しいことについては口をつぐんでおこうと思います。

 

 乱躁滅裂ガールについて。

 

 なんか、乱躁滅裂ガールの解釈が求められている模様。だれか、世の乱躁滅裂ガールにくわしい方々、解釈書いてくださいませ(笑)

 僕は、あんまり詳しくないので、なかなか書けないですね(笑)

 それにしても、いい曲ですよね。すごいノリノリな感じのリズムだし、歌詞もすごく色々と想像できておもしろいですし。

 みなさんの解釈がネットにあがるの心待ちにしております。

 でも、そのうち、何か直観術ならあげられるかも知れませんね。気が向いたら、上げるかもしれませんので、気が向いたら、見ていてくださいませ。

 すごいですよね。この曲。ニコニコで即一位になってたし。ホントすごいと思います。

 

 学術について。

 

 以前、医師と「ドゥルーズは学術ではない」みたいなお話をしたのですが。なるほど、と腑に落ちる今日この頃。とは言え、ドゥルーズを研究なさっている方ももちろんいらっしゃると思いますし、それはそれで全然いいと思いますが。世の中には色々な学術というか、色々な世界があるのでしょうね。それぞれに派閥があるようです。あんまり「排除」というか「いじめ」にならないようにというか、少なくとも、「なりすぎない」ようにしながら、上手く「包摂」していけるといいかもしれませんね。いろいろな多様性を。その路線が、無難なのだろうな、と思います。

 

 統合失調症と「君の名は。」について。

 

 これについては、あまり詳しく書きませんが、例えば、あの映画を、三葉の「妄想」として捉えると面白いかもしれませんね。そして、その妄想が、紆余曲折を経て、現実に「接続」したというふうに見ると面白いかもしれません。現実のレイヤーがあって、虚構のレイヤーがあって、それらが交わった部分に三葉が「たまたま」いた。そして、「たまたま」、「運命的出会い」を果たしたのかもしれません。いろいろと想像できるところだと思いますので、気が向いたら、みなさんご自由にお考えになってみてくださいませ。

 

 オタクについて。

 

 これも色々な意味合いでつかわれる言葉ですよね。多分、ケースによって、結構ニュアンスが違う。

 学者がハイデガーオタクと呼ばれることもあるのかもしれませんし、アニメオタクと呼ばれる人が、アニメの専門家として呼ばれることもあるかもしれません。その辺りは、諸行無常なめぐりあわせというか、色々な要素が絡み合って成立する所かと思います。

 僕は、個人的には、あんまりこの言葉に思い入れはありませんが、非常におもしろい概念なのだろうな、とは何となく思います。

 ただ、それ自体としては、良くも悪くもないような気も。

 オタクであるうえで、どのような行為をするかによって、色々と意味合いが変わってくるのだろうな、と思ったりはしますが、よくわからないです。

 少なくとも、何か夢中になれることがあるというのは、夢中になることがない人からしてみれば、幸せなことに見えるのではないかな、というふうに想像することもあります。

 

 必読書という概念について。

 

 いいとは思います。ただ、社会を回すための機能上の言葉として捉えておくのが無難なのかもしれません(個人的には、厳密な意味で「必」読書というのはないのではないかとは思います)。一般的には、「おすすめの本だよ!」 くらいの意味でつかわれているものと思います。気が向いたら、必読書、どんどんお読みになってみるといいのではないでしょうか。気が向かなかったら、まあ、無理に読まなくてもいいのではないかなと思います。

 

 言論の自由について。

 

 あんまり人を傷つけるのはどうかとは思いますが、でも、深刻な他害がないのなら、基本的には認められてもいいのではないでしょうか。

 とはいえ、ひたすらに人の悪口を言っている人とかでも、なんというか、根の部分? ですごくいい人だな、と感じる人とかもいらっしゃるみたいですね。だから、そういう方のことも、上手く包摂していけると、すごくいい社会になるんじゃないかという気もする。これだけでは、ちょっと楽観的過ぎるとは思いますが(笑)悪口を行っている人が根っから悪人かというと、別段そういうわけでもない印象も受けます。勿論、実際にかかわりを持つかどうかは、相性の問題もありますし、色々なめぐりあわせの問題もありますので、一概には言えませんが。