魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

色んな術とかサイコメトリーとかについて

 こんばんは~

 

 今日も気になったこと書いてきますよ。

 

 生成術について。

 

 生成術というのは、生成する術です。まんまですが(笑)。例えば、多世界生成術なら、色んな世界を生成する術、という意味です。このブログに書いたやつは、特に、「想像世界」を創造する術式です。「記憶の宮殿」という概念がありますので、あわせてみてみると面白いかもしれません。

 世界生成術の他に、人格生成術や、人格よりも創造性の欠ける形の、プログラム上の何かを生成する術もあります。

 

 自我肥大術について。

 

 これは書かないことにしていますが、ちょっとだけ。

 みなさん、どんな時にがんばるでしょうか? 多分、自分に関連していることについてはがんばり、関連していないことについては頑張らないのではないかと思います。では、もっといろいろなことについてがんばるためにはどうすればいいだろうか? と考えるのです。その場合、「すべてのことを自分に関連づけてしまえばいい」と考えられます。大体、こんな感じが自我肥大術です。ただし、全てが自分に関連するので、どんな罵詈雑言もすべて自分への罵詈雑言として知覚されてしまい、結果、傷つきやすくなってしまうのではないかな、と思います。自己愛性パーソナリティの人は傷つきやすい自己愛を抱えていると言われていると思いますが、そんな感じです。普通と呼ばれる人の場合、適度に他者を自分とは無関係のものとして切りすてて、自己の安定を図っているものと思います。人間の能力には限界があるので、或る程度そう言った、切り捨ては有効となります。他者の評価ばかり気にしている、といえば悪い性質に見えますが、ある意味、それだけ他者の存在に重点を置いているわけですので、かなりつらい生き方だと思います。どんな人も切り捨てないわけですから。普通は大切な他人の評価しか気にしないかもしれません。後は聞き流すスタイルとか(笑)

 

 サイコメトリーについて。

 

 多分、誰でもある程度は情報自体は、読み取れるのだと思います。個人差はあると思いますけど。ただ、その読みとったものを、この世界において、曲がりなりにも有効な形に序列化する能力に差異があるのではないかと思います。古いものに触っていると、何となく感慨深い気持になったりすることってないですかね? そして、その気持ちをさらに有効な形に変換することができると、いわゆるサイコメトラーと呼ばれる人になるのかもしれません。

 あと、最近ちょっと考えてることも書きますと……

 何か情報があって、それで何か質量をもった媒体があるとしますよね。すると、その媒体に情報が触れると、情報が媒体に刻印される、というふうに考えます。これは、媒体が柔らかいほど刻印されやすいですが、柔らかすぎると流動性が強く、いろいろな場所に刻印された情報が拡散されるとかんがえます。ですので、固体、液体、気体で言ったら、一番刻印されやすいのは気体だけど、流動性が高過ぎて情報の混線が多すぎる。個体だと情報の混線は起きないけど、刻印されるために必要なエネルギー量が大き過ぎる。そう考えると、サイコメトリーの能力を最も発揮しやすいのは、おそらく、液体なのだろうな、と思います。水には、さまざまな者たちの記憶が眠っているのかもしれません。

 

 テレパシーについて。

 

 これは、サイコメトリーの延長です。この場合、「気体」の情報を読みとる能力と考えます。ですので、情報の混線が多く、有効性を持った形に、その情報なり、「記憶」を序列化するには、かなりの知能?(この知能なるものが一体何なのかは不明) が必要なのではないかと考えます。

 

 呪術に必要なことについて。

 

 基本的に、何でもだと思います。一体何が役に立つか分かりませんので。というか、普通の人が見過ごしている、「ガラクタ」に意味を見いだし、結果として、他の人にない効力を上げることを目指すのが、呪術というか、魔術だと僕はかんがえていますから、人によって、何を呪術としてもいいのではないかな、と僕の流派?(笑)では考えます。

 強いて言えば、千のプラトーをお勧めしますが、読みたくなければ、別に必須ではないと思います。

 あとは、ひたすらに語学に手を付けまくるのも面白いかも。すると、言語の共通性が見つかって来るじゃないですか。その共通性を、非言語として見落とされるものに適応した場合、それを、「霊視」と僕は呼びます。あるいは、そこから得られる独特の様式の言語の音に似た知覚を、「幻聴」と僕は呼びます。これが視覚になれば、「幻視」、感覚になれば、「体感幻覚」と呼びます。

 なので、この場合、基本は言語で考えています。ただ、非言語と呼ばれているものも言語のカテゴリーにいれているので、とても特殊な言葉の使いかたはしているかもしれません。

 

 コードの人格へのトレースとその適応手順について。

 

 何やら、難しい感じの見出しになってますが、何のことはない、ただの「読解」です。本を読んで、通底している論理を読みとり、それを記憶し、後は、その記憶に従って、体が動くように、無意識に身を委ねる。

 楽器とかって、最初は意識的に手とか動かすじゃないですか。それで、やっているうちに、無意識に自分ではない誰かが勝手にやってくれるようになると思うのですが、それを、日常生活に応用した感じです。

 「文体模写」という概念について、考察すると、何か有益な情報が得られるかも知れません。あるいは、文体とは何か? この場合も、基本は、「言語」となります。このブログで言えば、「言語術」ですね。

 

 neruさんのマイネームイズラヴソングについて。

 

 だいすきな曲です。「愛のなる方へ」

 ただ、難しいですね(笑)愛は難しいです。難題です。

 

 れるりりさんの乱躁滅裂ガールについて。

 

 これもすきですね。

 「援交」とか調べてみると、いろいろな解釈ができて面白いかもしれませんよ。

 出会い系とか。調べてみると、とてもおもしろいのかもしれませんが、しかし、「性」の問題ですので、何分、慎重にならざるを得ませんが。少なくとも、僕には無理ですね。

 

 思考流出について。

 

 これ、統合失調症の症状なんですけど、僕にもありますよ。なんだか、自分の思考が人に漏れている気がするのです。

 ただある方が皮肉を利かせて、「統合失調症者がAといった後、私がAを少し言い換えると、それで、彼/彼女にとっては私が思考を読んだことになるのだ」とおっしゃっていました(笑)。

 例えば、このブログを、著名人の方々が見ているような気がしたりとかね。そういう妄想知覚? とかが生じます。

 あまり気にしすぎると、体に毒ですので、注意が必要な点ですね。

 これも掘り下げると、おもしろいですよ。僕の個人的な考えとしては、おそらく、「本当に」思考は流出していると言えるであろう、みたいな感じです。Aにしても、言葉というかたちでAが漏れていて、それを言い換えることができたということは、その言表以上のものが相手に伝達されている、つまり、言表以上のなんらかの目に見えない精神体としての「思考」が流出していると考えられるのではないかと。すると、この話は、テレパスとかに繋がって来て、とてもおもしろいです。

 みなさんも気が向いたら、いろいろとご想像なさって見てくださいませ。

 

 魔術師と専門家について。

 

 どちらも、各々に味があって面白いのではないでしょうか。それなりに、上手くやっていけるといいですね。

 

 嘘について。

 

 嘘は多分、世の中からなくなることは当分ないでしょうからうまく付き合っていきけるといいですね。

 

 不安について。

 

 僕も、不安になることありますね。そんなときは、紙に自分の思考を書いて、それを少しずつ前向きな方向にシフトさせたりします。他人には見せられないけど(笑)

 

 神秘について。

 

 世界は結構神秘的な所もありますよね。少しずつ科学が解明しているようですが、まだまだ分からないことだらけ。僕たちが生きている間には、神秘が無くなることはないかもしれませんね。

 

 合理性について。

 

 神秘があると、なかなか合理性に徹するのは難しいところもあるのかな、と思う事もあります。

 合理性にも力はありますが、ある程度、神秘にも力がありますし。

 神秘と合理性。

 一体どっちが正しいのかはわかりませんが、今のところは、上手く折衷していくのが重要かもしれません。

 とはいえ、新興宗教や疑似科学にも問題はあるのでしょうから、なかなか難しい所だろうと思います。

 合理的すぎると危険だと思いますし、神秘的すぎると危険なのかな、と。

 うまく中間を縫っていけるといいのですが。非常に難しいことだとは思います。