魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

援助の不可能性について、あるいは「それでも援助を行う」ということなどについて

 みなさん。お久しぶりです。

 

 今日はまず、「援助」について書いていきたいと思います。

 

 援助はどういう意味でしょうね。

 

 これは、単純に言えば、「人などを助けること」という意味になるのかもしれません。

 

 では、助けるとはどういう意味でしょう?

 

 おそらくは、相手を幸福にすることなのでしょうね。

 

 でも、幸福は定義がむずかしくて、ケースバイケースになりますので、助ける手法もケースバイケースになることが予想されてきます。

 

 そもそも、そこに、助けるための、「一般的手法」なるものが存在するのかも、僕にはよくわからないです。

 

 多分、無いのかなあ、と漠然とは思うのですが。

 もしも、何か目途などありましたら、そのお考え、ネットにアップしてくださるとうれしいです。

 

 ですので、少なくとも言えるのは、完璧な援助は不可能であるということ。すると、援助はすべて、不完全な援助であるということ。不完全であるという意味で言えば、それは「援助」と厳密には呼び得る代物ではないこと。

 

 つまり、援助が不可能であるということ。

 

 すると、援助は不可能なのだと思うのですが、現実的には、何らかの援助に向けた方策は社会というか国家において、採られているようですね。

 

 生活保護とか障害者雇用とか、こういうのは、援助には厳密にはなり得ないのですが、援助に向けた行動ではあるのかと思います。

 

 こういうのは、社会体制以外にも結構色々あるようで、例えば、身近なところで言えば、家族が援助に向けた行動になっているケースも中にはあるようです(家族が援助に向けた行動にならないケースも多くあるものと思います)。

 

 それで、それらは援助になり損ねた、援助になり得ない、「仮初の援助」なのですが、それでも、有効性はありますね。

 

 厳密な援助ではないですが、少なくとも、仮の援助にはなり得るのかもしれません。

 

 それで、あらゆる仮の援助は万能ではないでしょうので(なにせ仮のものですので)、その援助からはかならず取りこぼされる人たちがでてきます。

 

 人間はいつ病気になるか分かりませんし、例えば、交通事故にあわないとも言えませんので、お互に仮初であっても援助しあうことは、十分とは言わないまでも、それなりに有効性を持つものと思います。

 

 そういうことですので、援助は不可能なのですが、その不可能に向けて行動することには有効性がある、と言えるのではないかと思います。

 

 不可能なのを承知で、それに向けた行動を取るというのは、表面だけを見ると、無意味な行動に見えますが、それでも、何らかの有効性は持ち得るのだと思います。

 

 ですので、援助が不可能であるから援助に向けた行動をしなくてもいい、という論法は成立しないのではないかなあ、と僕は思うこともあります。みんな、不可能なのは、承知のうえで、それでも行動しているという節があるのではないかな、と個人的に思います。

 

 なので、誰かを援助する意志などがおありの方は、援助は不可能であっても、それらの行動や意志がまったく無意味であるということにはならないのではないかな、と思います。

 

 とはいえ、援助に向けた行動によって、自分が崩壊してしまうのも危ないかもしれませんので、自分のペースで援助を行っていくのが現実的なのかな、と思います。無理はなさらない方が、場合によっては、いいかもしれません。

 

 まとめると、不可能にあえて挑戦することは無効ではなく有効である、と言えるかもしれません。

 

 さて、次。

 

 そうですね。

 

 「精神分析」、という言葉について。

 

 難しい立ち位置の言葉ですよね。人によっては、何かひねくれた感じの概念というふうに感じる方もいらっしゃるかもしれません。

 もしかしたら、そういう実感はあながち間違っていないのかもしれませんが(笑)

 確かに、精神分析、という言葉とかその周辺って、ちょっと性格悪い的な感じは無きにしも非ずな気が。

 でも、フロイトにせよ、クリステヴァにせよ、どちらもすごい思想家の方だな、と個人的には思いますので、その延長で、精神分析も、僕は嫌いじゃないですね。けっこうそういうことについて考えたりするのも好きかもしれません。

 つまり、僕は性格がひねくれているということなのかな(笑) そうかもしれませんね。気をつけないと。

 でも、精神分析という言葉には、人の心を切開するというか、悪く言えば「抉る」ようなところはあるかもしれませんので、その辺が割に多くの人に嫌悪感を与えてしまったりはするのかもしれません。なので、精神分析の言明にある程度気をつけたり、注意をするという行動指針もそれなりに有効なのかもしれませんね。言論の自由とのバランスがむずかしいところですが、あまり抑制せず、なおかつ他人をあまり傷付けず、無難な中間を取っていけるといいな、と個人的には思っています。

 

 バランスについて。

 

 真に「中間」を取るためには、「過剰」と「バランス」の中間も取らないといけないですね。ですので、時には過剰になることも必要なのかもしれません。色々な過剰があると思います。政治的過剰。経済的過剰。文化的過剰。性的過剰。食欲の過剰。睡眠の過剰……何でもありですね。いろいろな過剰があります。そして、ケースバイケースにせよ、それらの過剰が、人生のある時期において必要になることはあるのだと思います。そして、結局のところ、それらの過剰を、厳密な意味で断罪できる人はいないし、僕はそれはそれでいいのだと思っています。

 

 自殺について。

 

 僕も考えることよくあります。僕の絶望は世の絶望と呼ばれているものに比べると、底の浅いものに過ぎないかもしれませんが。

 なんというか、自殺のことを考えたり、ありもしない妄想について考えると、仮初ですが、気が休まるのです。自殺を考えるのも、妄想を考えるのも、あるいは人間という生物に備わった生きるための機能なのかもしれません。多分、一概に悪い、と言い切れるようなものではないのだろうな、くらいには思っています。とは言え、本当に自殺されると、僕としてはかなり悲しくなってしまいますが(笑)

 自殺について考えるのは悪いことではないのだろうと思います。かといって、辛い思いをしている人に対して、「生きろ」ともあまり強くは言えませんし。そもそも、僕も自殺を考えることはありますし。すごく難しいです。

 ただ、自殺してしまった人に対して、「甘えだ」とか「脆弱だ」とか言うのは、少し違うのではないかと思うことはあります。

 また、統合失調症だとか境界例だとかの自殺率は非常に高く、「死にたい」と言っている人が、実際に自殺する確率も、高いのだと思います。その意味では、自殺への意志の表明に対して、罵詈雑言を向けるのも、何か違うかもしれません。その人がその意志を表明しているのなら、かなりきつい状態であるケースも多いのではないかと思います。

 

 童貞/処女について。

 

 個人的には、必ずしもわるいことではないのではないかと思っています。

 それこそ、精神分析の一説では、セックスではなくオナニーを一次的な性行動として考えるものまであったと思いますし。つまり、オナニーはセックスの代用ではない、という考えですね。そういうのもあるようです。この場合、セックスなり恋愛なりは、趣味のひとつとして考えられるようです。趣味は人それぞれですので、みんな好きなことをすればいいと個人的には思います。

 ただ、人口は、適切に生存権を担保されている環境なら、富を生み出すかなり確実な資本のひとつだと思いますので、セックスおよび生殖がしたいと思う方は、積極的にセックスして子作りをするのも、生き方のひとつとしてありかもしれません。逆に、そういうことに関心がないのであれば、哲学でもアニメでもなんでもいいので、そういったものを深めて、自分の意見なり立場なりを表明していくのもひとつの態度としてありかもしれません。そのどちらもをやってもいいと思いますし、どちらもやらないで別のことをしていてもいいと思います。好きなことをやるのが一番大切なのかもしれません。

 

 出会いについて。

 

 謎ですね。偶然の賜物ではないでしょうか。出会わないと思っていても出会うこともあるかもしれませんし、出会うと思っていても出会わないこともあるかもしれません。縁の問題なんでしょうね。「縁」は不思議な概念ですね。いつどんなところでつながっているか分かりません。「あなた」とご縁があるといいですね。

 

 文脈について。

 

 これは何なのでしょうね。難しいです。これも、「縁」のひとつなのかもしれません。単語と単語の間にある縁のことを「文脈」と呼ぶのかもしれません。すると、「文脈」も不可思議なものなのかもしれませんね。

 ある場合には、「単語を創造する」、ことも必要なのかもしれません。概念の創造ですね。ある意味で、既存の「文脈」の無視になってしまいますが。「注目」が有効な機能を持つのと同じように、「無視」もまた有効な機能を持つのかもしれませんね。世の中にはなかなかどうして、無意味なものや役に立たないものというのを見つけるのがたいへんです。見たところ、全部有効性がありますからね。何かしら。

 

 

P.S.さてさて。

 

 何があるかわからない世の中ですが、ぼちぼちやっていけるといいですね。最近はすごく寒くなってきましたね。

 みなさんも寒さにはご用心くださいませ。

 僕は寒さに弱いからな(笑)

 気をつけないと。

 本当に寒いな(笑)