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「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

新卒制度についての分析

こんばんは。



今日は新卒制度について分析してみたいと思います。



新卒とは、「その年に新しく学校を卒業することです」



大学の新卒なら、その年に大学を新しく卒業すること、あるいはした人のことを示します。



就職における新卒制度とは、「新卒でなければ受けられない就職制度」のことを示すものとして、ここでは考えてみます。



新卒と既卒(新卒でない人)の主な違いは、「年齢」です。



ならば、新卒と既卒を差別する意味とは、「年齢差別」を意味しています。



新卒のみを採用するという制度の場合、その根底の欲望としては、「年齢の若いものほど良い」という価値基準が根付いていると推理できます。



よって、新卒一括制度とは、基本的には、「年齢が若いものほど優れている」という一種の差別思想となります。



つまり、新卒一括採用をしている企業ほど、年齢という要素が相対的に強く重視されるものとして推理することができます。



こうした年齢で強く人を差別する思想傾向を、今回「年齢主義」と呼びましょう。



では、なぜ、こうした年齢主義による差別思想が現れてくるのかについて考えてみます。



まず、年齢主義によって、どのようなメリットが得られるか。



年齢主義によって、企業など組織体は「若い人」を採用することができます。



つまり、彼らが求めるのは若い人であり、つまり、「若い」ということに付随する何らかの特質がこうした年齢主義を助長しているものと考えられます。



若さには主に次の特徴があります。



1.経験が浅い

2.発展途上

3.柔軟性が高い



経験が浅ければ、思想傾向や行動傾向などは確固としたものにはならず、柔軟性が向上すると推理できます。発展途上で人間として成熟しきっていないのなら、成熟しきって完成した個体に比べると発達過程に柔軟性があると推理できます。以上のことから、若さの特徴とは、「柔軟性」であると推理できます。この仮説が正しければ、年を取ると、人格などがしっかりと固まってきて、一種の「頑固性」などが出てくるという推理も成り立ちます。一貫した強い人格は、一面から見ると、頑固であるというふうに見え、頑固というと悪いことに思えるかもしれませんが、思想、行動の「一貫性」という点から見ると、時に一つの優れた資質であると言えます。一貫した行動が求められる局面はそれなりにあるものと思いますので、頑固という特質は時に必要な場合もあろうと言うことができます。



さて、若者の話にもどります。



若さの特徴は、柔軟性です。



では、企業はなぜ柔軟性を求めるのかについて考えてみます。



柔軟であれば、「形を変えられる」と推理できます。つまり、企業は、柔軟な若者を、自分好みの仕様にアレンジすることができます。したがって、若者を自社に適合する形に操作、コントロールしたい企業は、新卒一括採用を強く行うであろうと推理できます。ならば、新卒制度を採用する企業は、比較的他者に対するコントロール欲求が強いであろうと推理できます。



つまり柔軟性を求める企業、若い人を求める企業とは、「自分たちがコントロール可能な人たち」を求めている、ということになります。こうした人物像は、主に、「素直な人」と呼ばれます。



以上のことより、新卒制度を採用する企業の目的とは「素直な人」を採用することであると、言うことができます。



素直な人には、柔軟性という特徴があります。

頑固な人には、どのような形にせよ多様な形での完成性という特徴があります。



柔軟すぎれば、自分の考えがないことになります。

頑固すぎれば、他者のことを考えないことになります。



つまり、新卒制度を採用する企業とは、自分のことを差し置いて、他者のことを考える人のことを採用したい傾向にあるのではないかと推理することができます。



したがって、新卒制度における就職活動を制したい場合、極力素直な人、つまり、自分の考えがなく、他者の考え(例えば、就職活動の対象となる企業に対し適合的な思想)を持った人になることが有効性を持つ可能性が出てきます。



この場合、新卒制度を採用する企業とは、自律的な人は排除し、他律的な人を求めていると推理できます。



こうした組織体には、自律的な人間は少なくなり、主に他律的依存的な人間が集まっていくことになります。



人間は、誰しも、多少なりとも自律的であり、多少なりとも依存的ですが、少なくとも、依存的な人が集まれば、全体のその企業の傾向としては依存的な組織となっていると推理することができます。



よって、次の要望を持つ人は、新卒制度を利用することが有効であろうと推理できます。



1.他者に依存したい

2.自分では考えたくない

3.コントロールされたい



逆に、次の要望を持つ人に対しては、新卒制度は有効に作用しないのではないかと推理することができます。



1.自律的に活動したい

2.自発的に考えたい

3.自由が欲しい



よって、企業は、コントロールしやすい人材が欲しい場合には、新卒制度を利用することにメリットがあり、自発的に考え行動する人材が欲しい場合には、新卒制度(年齢主義)を撤廃することが合理的判断となると推理できます。



他律的な人も自律的な人も社会においては、どちらもそれぞれに有効性があり、そこに優劣はありませんが、その都度の目的に応じて、新卒制度と非新卒制度を使い分けていくと、より適切な選抜が可能になるかもしれません。



まとめます。





1.自発的に働く人が欲しい場合には新卒制度の撤廃が有効

2.指示待ちで働く人が欲しい場合には新卒制度の採用が有効

3.自由が欲しい人は非新卒制度を採用している企業に就職することが有効

4.縛られていた方がいいという人は新卒制度を採用している企業に就職することが有効





P.S.自律的な人と他律的な人の特徴についての簡単な分析。



詳しくは後日またにしますが、簡単に自律的な人と他律的な人の特徴について触れます。



自律的な人は、次の特徴を持ちます。



1.自分で考えて行動する

2.自分で考えて学習する

3.自分で考えて協働する



他律的な人は次のような特徴を持ちます。



1.他人の指示によって行動する

2.他人の指示によって学習する

3.他人の指示によって協働する



以上のことから、自律的な人は基本的に、勝手に行動し、勝手に学習し、勝手に協働します。したがって、相対的に勝手に育っていくと考えることができます。その意味で言えば、劣悪な環境でさえなければ、相対的に言って「勝手に」様々な技能に習熟していくと考えられるので、一緒に行動する際にかかるコストは少なくすむかもしれません。



他律的な人は基本的に、指示によって行動し、指示によって学習し、指示によって協働します。したがって、ケースバイケースに、素早く簡潔に的確に指示を出し続けていなければ、基本的に行動しない傾向にあるであろうと推理できます。この場合、行動するために逐一の指示が必要であることから、指示者の労力はかさむ傾向にあると推理できます。



以上のことより、それぞれ次のメリットがあります。



自律的な人のメリット



1.手がかからず、指示・指導コストが少なくて済む

2.指示・指導コストが大きくかからない分、比較的簡単に技能熟達、および成長を示す

3.指示待ちの時間分が節約されるので、その分の時間が自律的行動に費やされ、独自的な着眼点を発揮しやすい



他律的な人のメリット



1.指示がなければ基本的に動ないので、きめ細かく指示を与えさえすれば、組織内の齟齬が少なくなる

2.自分の考えを比較的強くは持たないので、自然と付和雷同的となり、極端な逸脱行為が少なくなり、行動が予測しやすい

3.他律的な行動を取るので、イノベーションなどの能力は期待しづらいが、逆に言えば、単純なルーチン作業には優れている



以上のことから、次の場合新卒一括採用を行うことが合理的となります。



1.組織内齟齬を少なくしたい

2.組織内の行動を予測しやすくしたい

3.単純なルーチン作業を強化したい



逆に、次の場合には、新卒制度を撤廃することが合理的となります。



1.指導・指示コストにおける費用対効果を上げたい

2.社員や企業における自律的で高度な成長を達成したい

3.他にない独自の新しい着眼点や発想がたくさん欲しい



現在の日本の場合、新卒制度が主なものとなっているようですから、どちらかと言えば、日本人は単純なルーチン作業を重視した戦略をとっているのかもしれません。

したがって、他律的な人の方が比較的生きやすい社会であると言えるのやも。



しかし、自律的な人も決して他律的な人に劣っているわけではないので、その点は念押ししておきます。



「新卒制度」(年齢主義)にたとえうまく適応できなかったとしても、そのことが直ちに、その人の価値を決定するわけではないということはお分かりいただけたかと思います。自律的な人にも他律的な人にも、各々にメリットがあります。



ただ、基本的には、年齢主義は、一種の差別思想ではありますので、それ自体、「悪」であることは注意しておく必要があると思います。理想的には、老若男女問わず活躍できる社会が良いことにはなると思います。ただ、現時点では、企業も全ての人を採用できるわけでもありませんし、万能の検査基準でもって完璧に人を篩い分けることができるわけでもありませんし、絶対の基準もないですし、かと言って、何の基準も設けなければ企業もパンクしてしまうし、という諸々の事情により、一応、たとえ「必要悪」であったとしても、こうした差別思想が必要になることも、もしかしたらあるのかもしれません。



しかし、差別思想は、基本として、非常に危険な思想ですので、いくら注意し過ぎてもしすぎることはないと思います。少なくとも、でき得る限りは、多様な組織作り、というか、多様性を尊重した共同体作りを行っていくことができるのが理想的であるということは言えると思います(この点にご興味おありの方は、当ブログの「分術」という記事をご覧ください)。

多様性の観点からは、組織を作る際にも、多様な人々をコストが多少かかっても理想的には採用するべきだと思いますから、年齢主義に頼りすぎるのは危険だとは思います。理想的には老若男女、さまざまな年齢層の人たちがその企業なり組織に所属しているのが好ましいとは言えるでしょうから。

ただ、それこそ「コスト」の問題があって、どこの企業もなかなかに余裕がないのかもしれません。余裕を持てなければ、逼迫状況は改善しづらいですから、既存の依存的他律的な企業のケースの場合には、なかなか改革は期待しづらいのではないかと、個人的には思います。

既存の他律的な性質の企業にはない、自律的なある意味で、「余裕のある会社」なり組織を作れるといいな、と個人的に考えていますので、こうした「余裕のある居場所作り」にご興味おありの方は、お気軽に、ご連絡ください。コメントでもメールでも。



では今日はこの辺で失礼いたします~