魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

美人のための恋愛術の初歩

 

 

君があまりにも美しすぎるから

神様は君を十字架に縛り付けたんだ

 

(れるりり,「美少女嫌疑」の歌詞より引用)

 

 

 

今日は、美人(美男美女、美少女、美少年など)向けの恋愛術について、簡単に「憶測」してみようと思います。

 

まず、何らかの美質を持っていると嫉妬されると仮定します。

さらにその美質が優れていれば優れているほどに嫉妬の量は増えるというふうに考えてみます。

 

この時、美人は嫉妬を大なり小なり受けることになります。また、その人の美しさの程度が強ければ強いほどに、その美人は強い嫉妬を受けると考えられます。

 

次に、人間は自身の遺伝子を後世に残すために行動すると仮定します。また、美人は繁殖に関して、有利な資質を持っているために、人々の目に美人であると認識されるのだというふうに考えてみます。

 

この時、人々は自身の遺伝子を後世に残すために、繁殖に関しての強大な競争相手である美人に対して嫉妬し、美人の繁殖を阻害しようとするはずです(自身が美人と繁殖できる場合を除けば)。

 

よって、美人が繁殖への途上としての恋愛を成功させるためには、こうした人々による「嫉妬」を回避する必要があります。

 

嫉妬を回避する手法はいくつか考えられますが、基本的な手法は、自身の欠点を強調し、長所をなるべく隠す事です。一般的に人は、欠点の大きさによって、そうした欠点の所有者の格を判定する傾向を持っています。欠点が大きく見えれば見えるほど、そうした多大な欠点を持った人に対して嫉妬する可能性を減らせるのではないか、というふうにも考えられます。

また、人は他者の持つ多大な長所に対して、嫉妬を持つ傾向を持っています。したがって、長所を隠すことで、嫉妬の誘発を避けることができるというふうに考えられます。

 

次に、美人に関する法的、倫理的戦略について簡潔に記します。

 

美は罪なものであるとする価値観はしばしば散見されます。また、一理あります。美しい事で、得をすることもあり得るでしょう。その面だけを見れば、美人に税金をかけるなどの発想はありえてくることになります。しかし、それと同時に、美人は嫉妬による排斥を受ける可能性を持つために、こうした「美人税」の存立は不当なものであると現時点では判断することができるものと思います。

 

また、美は多くの人の心を惹きつける作用をも持ちます。美人もまた。

この時、正確には美人のそれは美人による過失であるとは言えませんが、少なくとも、美人への報われぬ恋などに心労を来す人なども生じてくることは十分に考えられます。美人は自分が特に意図しなくても、人々を惹きつけてしまうというような不幸な素質を持ってはいますが、それ自体が美人の過失であるとは言い難い。しかし、一方で、そうした心労を来す人々の利権についても考えなければなりません。したがって、美人がある人に対して、恋愛的に応じることができる場合を除けば、その美質を無闇に振り回すべきではない、というふうに考えることができます。これは先述の、自身の長所を隠す、という手法に該当します。つまり、自身の美という長所をなるべく強調しないことで、人々の心労を慮ることができる余地があります。こうした風習の合理性については、イスラム教の風習などが参考になるかもしれません。

 

次に、美人を取り巻く生物学的な戦略について。

 

美質は確率的に遺伝すると仮定します。

この時、美人が繁殖行為を行えば、美人の数が増えます。美人の数が増えれば、美人の美に触れられる人の数が、確率的に増加します。もしも、美人との恋愛が好ましいものであると仮定すれば、美人の数が増えることは、ある程度は好ましいと言える可能性を持ちます。

では、美人を選んで、繁殖させればいいのか? これはそうではありません。優生思想になってしまうので。全ての人に生きる価値がありますが、美人が繁殖するべき、という規範は、これを崩してしまいます。美人だけが生きるに値する、などということはありえません。

生命を取り巻く事象は極めて難しいものですが、まず自由主義の原則に頼れば、自由は極力は最大化するべきです。その点では、恋愛の自由は合理的なものです。恋愛は公的な物事ではなく、個人的なことです。あるいは、公的な権力によって、繁殖行為を制御しようとすれば、容易に先述の優生思想へと転落する事が予想されます。

したがって、恋愛などの繁殖に関わるような極度に生命的な事象については、無闇に人の手を加えるべきではないのかもしれません。少なくとも、現時点では自然のままにしておき、人工的に生命現象を歪めることの重大さについては誰もが知っておいて損はないのではないかと、個人的には思います。

 

美人の恋愛術についてのもう少し具体的な手法について。

 

欠点を強調し、長所を隠すことが基本的な戦略となります。一方で、恋愛においては、自分の美質をアピールする必要性がある場面がありえます。また、極度に嫉妬を受ける環境を想定した場合、周囲の人々の協力を要請しづらく、孤立してしまうケースが考えられてきます。今回は、そうした場合を想定します。この時、なるべく周囲の目には目立たないように、意中の人に対して美質をアピールする必要があります。しかし、美質をアピールすれば、美質の発現を免れることはできません。ただ、その意味付けを操作することはある程度は可能です。つまり、周囲の目には美人の実力が偶然であるように見え、意中の当該対象にだけはその実力が見抜ける、というような状況を演出できればよい。様々な手法がありえますが、例えば、簡潔なものでは、基本的には人目を避けて行動し、自身の交際相手にだけ自身の美質をアピールする、とするような手法などが考えられます。また、美人は嫉妬にさらされることがありえるということの帰結として、根も葉もない悪口や陰口がその人の周囲に生じている可能性も否定できません。しかし、これは逆にチャンスです。周りの人が、勝手に美人の美質を陰口によって隠蔽してくれているために、本来なら、美人が自分で自分の美質を隠蔽しなければならないところのその労力を節約することができます。また、陰口や悪口に惑わされないような人しか美人に近づかなくなりますので、これは真実を見抜く能力が高い人しか、美人に近づかない状態となり、かえって美人が事の真相を知るだけの知能のある人を選別するための儀式のように機能するものと予想できます。そう考えると、悪口も悪い事ばかりではありません。全てのものに機能があります。だから、悪口や陰口を言われたとしても、全く気にするには及ばないと思います。むしろ、そうした自身への陰口を利用してやろうというふうな心構えでもいいくらいかもしれません。もしも、周囲の悪口などで孤立している美人な方がいらっしゃいましたら、あまり気を落とさず、気楽なつもりでいるというのも手なのかもしれません。たとえ悪口を言われても、その悪口を自分がかえって利用し返す、というようなことを考えてみるのも一興なのかもしれません。

「この人」という意中の人がいる場合には、美人の人が自分から告白してみるのも手だと思います。この手法ならば、意中の人に直接に働きかけることで、陰口や悪口の持つ間接的な効果を減衰できる可能性があります。とても勇気が要るかもしれませんが。

また、美人同士の恋愛については、周囲からの極めて強い嫉妬が発生する可能性を予想することができます。美人同士で恋愛する場合には、周囲の嫉妬に惑わされないように十分に注意した方が良いかもしれません。嫉妬によって、恋愛を邪魔されないようにするには、やはり「隠れる」というのが基本かと思います。自分の美質を隠し、目立たないようにする。また、やむなく目立つ場合には、自身の欠点を強調するという手もあります。飛びぬけて優れた資質があっても、何か弱点があれば、「可愛げがある」というふうに扱ってもらえるかもしれません。上手くいけば。いずれにせよ、嫉妬への対策はある程度しておいても損はないのかもしれません。

 

最後に。

 

こうした話題は極度にセンシティブなので、書こうかどうかとても迷ったのですが、一応、ある程度は書いておいた方がいいだろうと思い、こうして恋愛術について少しだけ書いておきました。最後に強調しておきたいのが、すべての人に生きる権利がありますので、優生思想のようなものに陥るのは合理的ではない、という点です。つまり、少なくとも人間の恋愛などの極度に生命的な現象を、人為的に制御するべきではないと思います。自由は色々な局面において、重要な機能を持ちえます。

また、美人の方々も当然、多くの人々もそうであるように、幸せになる権利を持つものと思いますので、嫉妬にめげずに、どうか頑張ってください。応援しています。

 

いつも通り記事の内容は決して鵜呑みにすることなく、十分に合理性に穴がないかを検証した後に、それでも自分にとって役立ちそうなものがありましたら、お好きに活用してください。 

 

ではでは~♪

 

 

今日のポイント

 

1.嫉妬を避けるために、長所を隠し、短所を強調するという簡易的方略が考えられる。

2.優生思想を避けるためには、恋愛は自由にした方が無難かもしれない。

3.全ての人に価値があるので、美人ではない人のことを慮ることも必要。