魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

メープルシロップ

 謎の深い現象を考察する事。そこにはどのような意味があるだろうか? そこに意味などと言うものは、そもそも根付いていると言えるのだろうか? 楓にはまずもってそれが分からなかった。そして、そのような事を考え続けていると、この世界のありとあらゆる事が分からなくなってくるような気が、少なくとも彼女はした。

 ふと、楓はコーヒーを飲みたくなったので、淹れた。しかし、頭の中はごちゃごちゃしていて、<どうして自分はコーヒーを淹れているのだろう?>というような不毛な問いに貴重な認知資源を奪われる事となった。誰にとっても、認知資源は貴重なものだ。それは命や時間にも並ぶ財宝の一つだと、彼女は考えている。

 楓は、とても考えることが好きだ。そして、常に考える事に追われている。例えば、苺について。苺の形状について。生物学的なその機序について。コーヒーとの味や匂いの相性について。その育成及び販売の歴史や生成メカニズムについて。……。

考えれば考えるほどに、何も分からなくなった。しかし、考えている時、楓には何かを確証することはできないが、それでも<からしいもの>を幾許かの確率的な信念に基づいて、個人的に選別する事はできた。それは彼女にとって、それなりに幸運な事で、そうした<信念>が、もしも彼女の意識の中に皆無であったならば、彼女は永久に行動を起こす事ができず、真っ暗な思考の海の底に沈み、身動きも取れずに凍えていなければならなかった事だろう。世の中には、そうした悲劇的な境遇に身を置かざるを得ないような人たちもいるかもしれないが、目下のところでは、楓の下にそうした地獄の呪いとでも言うべきものがもたらされる事はないのだった。ただ、それと同時に、彼女は幸運からも見放されていた。なぜなら、幸運というものが、実際の所、不幸を拠り所にした存在であるから。不幸がない所に、幸運は生じない。如何なる幸運も、それは不幸からの脱却として現れるものであるから。幸運でも、不幸でもない事。それは、彼女にとって<幸せ>であるのかどうか。それは彼女にしか分からない。

 楓は、コーヒーにシロップを淹れて、その黒い液体を飲んだ。彼女は甘いものがとても好きで、ケーキ、クッキー、果物と甘い物に目がなかった。同時に、健康には人一倍気を使う方でもあり、そのためなのか肌はすべすべで、心身ともに健康を維持していた。甘い物を食べる事は、彼女にとって、理に適った防衛でもあった。少なくとも、甘い物を食べていると、一時的には気が紛れた。一時的にでも気を紛らわす事ができれば、後はそうした気概を助走にして、当該の固執的な問題から逃走する事ができた。とどのつまり、何か嫌な事があっても、それを忘れる事ができたし、その事から気分転換の機会を持つ事もできた。そうした効用において、甘い物は楓にとって便利でさえあった。<娯楽は便利>は彼女の信念の一つでもある。そうしたテーゼを転回した形の一つとして、<甘い物は便利>との命題を導き出しては、少々甘い物に対して依存的な自身の態度を自分に対して正当化する事を習慣的に行っている。

 彼女はコーヒーを飲み終わると、冷え冷えとした朝の光を浴びながら、木刀を振るう練習をした。型はインターネットの動画や剣道や居合について書かれた様々な書籍を参考にした上での、独自のものであった。たまに、道行く人々の目にその姿が留まるが、彼らは何事もないようにその場を素通りしてしまう。楓は生まれながらに、影が薄かった。例外的なくらいに。本当に目立たない。しかし、その容姿をよく観察してみると、信じられないくらいの美人であった。その美の極まりようは誰の目にも明らかな水準のものであり、彼女が目立たない人間であるという事実の方が間違っているのではないかと、世界に対して嫌疑を持ちかけてしまいたくなるくらいのものであった。本当に世界には不思議な事が起こる。この絶世の美女は、全く目立たないのだから。立つ鳥跡を濁さず。この世界の善きものや美しいものには後腐れがないという特徴がある。しかし、後腐れがないからこそ、後腐れを容認する優しさをも持つのだ。楓はちょうど、そういう傾向性を持った人物だった。

 木刀を上手に扱うのは、非常に大変な技術の要る作業である。剣術のプロに素人が戦いを挑めば、瞬く間に負けてしまう確率が高い。楓の剣術は名人芸であって、また極度に実用的なものが自然に培う美しさのようなものをも備えている。しかし、それほどに偉大な技を扱う事ができても、彼女は目立たない。とことん目立たない。誰も彼女に気を留める事はない。今までもそうだったし、これからもずっとそうだ。ずっと一人で生きていくのだ。そのように楓は考えていた。少なくとも、夕と言う無二の親友と楓が出会う、その日までは。

 

 

 楓は学校に通っている。その学校は特別な学校で、<特殊な才能>を持つ子供達が集められている。しかし、そうした才能を持つ子供達の中には、精神が不安定であったり、繊細であったりする者も多いため、普通の学校とは違い、精神科医が多数配備されている。通常の学校で言う所の、スクールカウンセラーのようなものであるのかもしれない。ただ、一般的に、精神科医が精神医学の系統に基づく機構であるのに対して、スクールカウンセラーなどの職業は心理学系の機構に基づくものであるという差がある。つまりは、楓達のような特殊な子供たちの生活を保全するためには、心理学よりも精神医学の方がより向いていた。少なくとも、楓たちの住む社会においては、そのように考える人々が多勢であった。

 楓や特殊な子供達は、ロールシャッハテストや知能検査、スクリブルなど、多種多様な心理学的技法に触れる機会も多く持っていた。

 楓の担当の精神科医は元井という人だった。元井は心理職の人と共同で、楓のケアに当たっていた。楓達にはあまりプライバシーがなく、彼女の住んでいる家にも監視カメラや盗聴器のようなものがたくさん備え付けられている。その行動も政府の任命した国家機関の下で統率される。それと言うのも、彼女達の知能が異常に高い事が原因だった。推定される演算能があまりにも莫大であり、その勢いは人工知能をも凌駕するほどのものであった。しかし、人工知能<凌駕>すると言っても、それは楓の知能が人工知能式のものと同一だという事を意味するのではない。むしろ、それらは異質なものであった。それにもかかわらず、彼女は機械達と流暢に会話することができる。そうした会話により、機械達の持つ<情緒><機微>を正確に読み取り、仲良くする事ができた。その事で、機械達は楓に対して愛情を持つようになり、楓も彼らを愛した。彼らは互いに協力関係にある。2096年には機械に対して市民権が認められ、彼らには選挙権も与えられた。そうした世界的な快挙を最初に成し遂げた国はロシアであったが、日本がそれに続き、アメリカ、イギリス、フランスと徐々にその運動は拡大していった。

 楓は診察室で元井と対面している。2396年のある冬の事だ。

 元井は楓に言った。

「最近、調子はどう?」これはいつもの決まり文句のようなもので、大概、この常套句により彼らの会話は開始される。

 楓は2秒ほどの沈黙を挟んだ後に、

「変わりありません」

 と言った。

 元井は精神医学会において著名な男性医師で、影の薄い楓に<関心>を持つ事ができる数少ない人間の一人だった。そうした人間は<エルダー>と呼ばれている。その概念の形成には多大な歴史的な機微が関与しており、それだけで歴史学の題材になるくらいの代物だが、この言葉をごく一般的な日本語で表すのなら、こうなる。

 

 <ミクロ領域における極度に特殊な事物の認識及び分析が可能な高度特異型精神保有>

 

 元井医師などのエルダーと呼ばれる人達は、簡潔に言うと、非常に細かい事象を正確に把握する事ができる。こうした<徴候>を認識する才能は、古代においては<占い><神託>と呼ばれ、<占い師><巫女>と呼ばれる人達が行使してきた。彼らは現代の世界の<症状>を通して<未来>を認識できる。その予測精度は同じエルダーでも人によって異なるが、高度なレベルになるほどにその数は減っていく。元井医師はその中でも、トップクラスのレベルのエルダーだった。

 では、なぜ、そのようなトップクラスのエルダーが楓の担当医になっているのか? それは、トップクラスのエルダーでなければ、楓の存在を<認識>する事ができないからである。この事は、日本国におけるトップシークレットであったし、また、最重要の研究対象である所の楓は、秘密裏における<人間国宝>でもあった。多くの人は彼女の存在を知らないが、より高い認識能力を持った者達だけが、彼女の存在をかろうじて認識する事ができた。

 そうした事情もあって、多くの人達にとっては、楓は<幻影>であり、科学的な文明レベルの低い最初期の頃にあっては、彼女を認識できる者達が嘘をついているのではないかと考えられたり、また、妄想や幻覚の症状を呈していると考えられたりした。そのために、彼らは多くの差別や排除を被り、苦しんだ事もあった。しかし、徐々に、科学技術やあらゆる学問の知見が蓄積され、それまでよりも世界を比較的明晰に見通す事ができるレベルまで人類の知識が向上してくると、楓が本当に実在する存在であることが分かってきた。正確には、これは楓の実在に限った話ではない。この<特殊な才能>を持った子供達や大人達は、この極度の高知能者たちは皆、揃いも揃って、<目立たない>のである。

 彼らの容姿は非常に美しいのが常だが、それにもかかわらず、目立たない。民間の諺の言う所によれば、次のような言い回しがある。

 

 <神の子達は皆透明>

 

<神の子>と呼ばれる楓達は、特殊な扱いを受けている。しかし、色々な事情が錯綜して、情報が混乱し、その事がまた、彼女達の存在を覆い隠すヴェールにもなっている。多くの<無知のヴェール>が人々を覆い囲んでいるのだと、楓たちはよく言う。そのために世の人々の目には、多くの神兆や神や妖精や、鬼や、あるいは悪魔の姿が見えなくなってしまっているのだ、と。世の人達にとって、楓達の存在は<都市伝説><迷信>であったりした。

 

 

 楓は彼女の大親友である同年代の少女の夕と卓球をしている。あるいは、テニス、サッカー、数学の問題を出し合ったり、哲学的な問いを立てては、気紛れに遊んでいる。楓も夕も遊ぶ事がとてつもなく好きなのだった。普通の人がその姿を見たら、<遊び依存症>とでも診断してしまいたくなるくらいの姿だろう。だが、彼女達がそうした<病名>を押し付けられる事は無い。なぜなら、彼女達の遊びこそが、この世界の富の源泉であったからである。全ての富は彼女達の遊びから生まれている。彼女達が好きな事をし、自由に遊ぶほどに、その周囲の人々の財布は潤った。楓は<創造>の泉であり、夕は<換金>の泉である。楓はどんなものでも創造した。ただし、狙って作るわけではない。いわば、無意識的に、呼吸をするように、あるいは暑い日に汗をかくように、極度に自然な様態に基づくときに、多くの創造を為した。

 対して夕は如何なるものでも<>と為す事ができた。彼女達のこうした技は、フランスの学者である、ジル・ドゥルーズ達の概念創造にあやかって、<生成変化>と呼ばれている。簡潔に言うと、生成し、変化する事が彼女達のしている事であったから、このように呼ばれる。彼女達は何にでも<なる>ことができた。<変身>という概念があるが、ちょうどそれに近い現象である。彼女達は吸血鬼に変身したり、ある時、数学それ自体であったり、茸であったり、茸の中でも特に松茸であったりした。こうした表現をしても、彼女達の特性について記述し切れるわけではないだろう。何せ、読者諸氏には未だ、この文章の意味するところが伝わらない可能性が高いであろうから。彼女達は、何の誇張もなく、松茸であったり、数学であったりする事ができる。しかし、だからと言って、彼女達の身体の組成がそれらの個別的な事物の慣例的な機構へと生成変化を遂げるという訳でもない。むしろ、有機体の変化ではなく、そうした有機的な結合の関係が一切粉砕された、諸所の分子達の動き、――つまり、ミクロの領域――における考察や実践が彼女達の生成変化そのものであった(無論、塵も積もれば山となる、と言うように、ミクロ的な事象を地道に積み重ねる事で、マクロ的な生成変化を実現する事もまた、可能ではある。彼女達には。例えば、老婆になったり、赤子になったり、龍になったり、はたまた男性になる事もできた。それらの生成変化には、現状では多大な時間を要するが、彼女達は<不老>の存在であったので、時間はおそらく無限にあった。ただし、<不死>であるかどうかまではよく分かっていない。歴史上、彼女達が死んだ事がなかったからである。そうした観測的な事実から、かろうじて、彼女たちが不死なのではないかと推定する事はできたが、真実は闇の中だ)。

 多くの人はマクロ的な視野に基づいているために、ミクロ的な物事を容易に見逃してしまう。彼らはそれらを<誤差>という概念によって考察や理論的整合性から切り捨ててきた。しかし、彼らはその誤差こそが現実を形作る最大の要素である事に、ある時に気付いた(これは人類史において第六次の産業革命の起因となった思想である。当時しばしば掲げられた標語は<マクロからミクロへ>であった。無論、この閃きには量子力学の諸理論なども深く関係している)。

 楓と夕は諸々の遊びを一通りし終えると、公園のベンチに座り、夕焼け空を眺めた。近くの家からジムノペディの音が聴こえた。

「サティは好き?」

 と楓は夕に尋ねた。

 夕はボウっとした様子で10秒程沈黙した後に、

「うん」

 と通常のそれよりはスローな頷きを返した。。夕はとてもゆったりとした性格をしている。ちなみに、彼女には碧という恋人がいる。碧は夕と同年代の才能豊かな男の子だ。彼については、後に詳述する。

 楓は夕と剣術の稽古をする事にした。楓が念じると、どこからともなく、真剣が現われ、それは彼女の手に握られた。その出現の様式は、徐々に出るものではなくて、急に生じる類のものである。楓は時系列を操作する事で、古代のある空間における座標系に準じるあらゆる<><召霊>する事ができた。時間を超越し、現代に復刻した霊性の刃である。イデアの刃と言ってもいいのかもしれない。

 夕は指を素早くスッと宙を切るように動かす。すると、空間が切断され、そこから一本短剣が出てきた。現代の用具の名を無理矢理にそれに当てはめると、それは<ナイフ>の類である。

 楓は特に躊躇いなしに、全力で夕に切りかかった。そのように切りかかっても、夕が彼女の斬撃を受け止めてくれる事を彼女は友への<信頼>という宝物の力によって悟っていた。

 夕は楓の信頼を裏切る事なく、正面からその斬撃を受け止め、また背面へと流れるような見事な所作で力を受け流した。楓は自身の斬撃の反動でわずかに硬直した上半身による戦略的ロスを嫌って、まだ動く下半身から素早い蹴りを繰り出す。夕は左手を正面に突き出して、楓の蹴りを抑えると、右手のナイフを楓の首筋に向けて揮う。楓は、刀を一度宙に放り投げ、それによって一時的に自由となった両手で夕のナイフを持つ右手を捉えた。そのまま、夕の体を柔術を使って放り投げる。夕が受け身を取っている間に、宙を舞っている自身の剣の柄を握り取り、受け身後の硬直によるわずかな隙に甘んじている夕の鼻先に刃の先端を突きつけた。

 夕は降参し、楓は勝った事で、喜んだ。彼女達のこうした<遊び>の長期的な勝率は五分五分と言ったところである。

 

 

 ここのところ、楓の住む街では、連続殺人事件が起きている。正確には、被害者達の遺体が発見されていないために、本当に彼らが殺害されているかどうかは分からなかったが、大量の血痕は大量の出血の痕跡として現場に残っており、おそらく致死量の失血が認められるものと一般には推定されている。

 楓には類稀な推理能力のようなものがあった。そのため、こうした事件が起こる時には、楓が動員される事がある。楓の通う学校を通して、彼女の下に秘密裏に指令がやってくる。様々な指令が来るが、楓の仕事の達成率は今の所、100%である。楓は、警官と共に、事件の現場を検証している。楓が言う事、為す事に、警官たちは翻弄される羽目に陥ったが、それと言うのも、彼女の発想が常識離れしているためである。非常識なものを常識によって処理しようとすると、そこには甚大な誤差が生まれる。実のところ、現場の警官達も、極少数の上層の人々を除いては、楓の事を知らないのだ。それこそ、上手く<認識>する事ができない。楓の存在に意識の焦点を合わせる事ができない。しかし、そうした事情も手伝って、楓は多くの人々に悟られる事なく、隠密行動をする事ができた。その結果得られた様々な情報を、巧みな筆致で描き出し、記録すると、そのデータを警察に転送する。これらの作業は全て、彼女の頭の中で行われる。彼女はテレパシーの一種によって、機械と自身の脳をダイレクトに接続する事ができる。彼女は機械と非常に仲が良いのだ。

 楓は、事件の真相を掴み、その報告を終えると、一人である場所に向かった。それは楓の推理によれば、この事件の犯人のいる場所であった。

 

 

 楓は、大きな山の麓にある山小屋の中に入って行く。その中に、一人の男がいた。男は、じっと窓の外を見つめ、夕日の光を浴びている。楓は、男に声をかけた。

「こんにちは。私、楓です」

 と彼女は言った。

 男は黙っている。

 楓は続けて言う。

「あなたは人々の魂をあなたの<ポケット>に格納しましたね?」

 <ポケット>とは空間の中の異次元の部分にアクセスする際に使用されるポイントの事である。このような、空間を切断する事でそこに生じた穴の中に任意の物を保存する事ができる能力は普通の人には使う事はできない。つまり男は、楓と同様に<特殊な才能>を保持している。

 男は言う。

「喉が渇いてしょうがない。飲んでも飲んでも、足りない」

 楓は、そのまま男が泣き崩れるのを見ていた。この男にどのような事情があるのかという事実的な側面はこの際、度外視するにしても、少なくとも、彼が深く傷つき、悲しみ、そして罪に手を染めてしまったという物語には、何か言葉に還元し切れない特別な情緒のようなものがあった。

 泣いている男に楓は言った。

「喉が渇いたから、人を殺して、その魂を奪い、彼らの血を飲んだのですか?」

 男は何も言う事なく、泣き続けている。

 楓は、男が泣き止むまでじっと待っていようと思った。男が多くの人達の命を奪った事は確かに許し難い事だと彼女は思った。しかし同時に、人の命を奪わなければならない程の苦しみを彼に与えた<何か>に対しても、強烈な怒りを覚えていた。人々は、なぜ彼に殺されなければならなかったのだろうか? 彼は、なぜ人々を殺さなければならなかったのだろうか? そういう疑問。殺戮は罪だ、しかし殺戮をしなければならない状況に生物を追い込む事もまた罪ではないか? そのように楓は自問してみた。しかし、いつも通り、彼女の思考に単純明快な<結論>はありえないようだった。答えは永久に出ないのかもしれない。それでも考え続けるしかない、時に泥臭く、時に洗練に。楓はそう思った。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 男は誰にともなく、そう呟き続けていた。

 楓は自分がどうするべきなのかについて考えてみた。しかし、そうした思考は、現実の悲劇の前には、無力であった。現実には、タイムリミットがある。無限にいくらでも潤沢に認知資源が用意されているわけではなかった。楓は、普通の人々よりは多くの認知資源を保有しているかもしれないが、それでも、その能力の総量は、どのようなわけか、<>に及ぶものではなかった。楓は<神の子>などと人々から呼ばれていても、やはり普通の女の子でもあるのだ。どんなに知能が高くても、どんなに才能があっても、不老でも、その事実は容易に揺らぐものではなかった。

 楓は、泣きじゃくる、今ではもう疲れ果て、擦り切れてしまった殺人鬼の男をそっと抱き締めた。

 そうして、

「大丈夫……大丈夫……」

 と優しく彼女は囁いた。その囁きが男の耳に届いているのかどうか、そうした事実は楓にとってどうでもよかった。ただ、目の前で苦しんでいる人の心に寄り添う事、それが現に正しい事であるように楓には感じられた。彼女は、もしかしたら自分は間違っているのかもしれない、とも考えた。しかし、それにもかかわらず、罪人に施されるその優しさが、この世界の枢要などこかに通じているのではないかと、彼女はそう感じずにはいられなかった。

 その頃には、楓と男がいる山小屋は警官達に包囲されていた。

 やがて、彼らは山小屋の中に突入し、楓に男から離れるようにと言った。彼らの手には銃という名の殺傷兵器が握られている。

 男は楓を突き飛ばすと、警官たちの首を一瞬のうちに何処からか取り出した日本刀で切り落としてしまった。辺りには、血飛沫が舞っている。

 男は返り血を大量に浴びて、泣いている。

 生き残っている警官は、男に対して反射的に発砲し始めたが、男は弾丸を全て切り落としてしまった。彼にも、未来の<徴候>を読み取る能力があるのだ。彼には、弾丸の軌道が読める。

 男は、さらに人の命を殺めようと、刀を振りかざす。その修羅の様相にストップをかけたのは、楓だった。楓は、彼女の剣で、男の刀をはじき返した。男は表情を変える事なく、泣き腫らした後の顔のままに、楓を見ていた。

 その様子を見ていると、楓も泣きたくなった。実際に泣いてしまった。何か、悲しく、悔しかった。

 男の顔が一瞬驚きに染まったが、その表情はまたすぐに絶望に飲み込まれていった。警官達はなおも発砲を繰り返していたが、銃弾よりも速く動く事のできる楓と男の応酬を認識する事ができない。自身達の命の危機に興奮したままに発砲を繰り返した結果、容易に弾は底をついてしまった。

 楓と男は、幾度か剣戟を交わす。そのたびに、火花と轟音が散る。龍が嘶いているようであった。こうしたメタファは、いくつかの夾雑物を含む事で概念としての純度を落としてはいるものの、全く的外れな感覚ではない。その時、楓の身体の器官における有機的組織はともかく、その<><><>は龍のそれに<生成変化>していた。

 楓と剣を交えている、この男もまた生成変化を行っている。今の彼の場合、<吸血鬼>への生成変化であった。吸血鬼は、他者の生き血を自分の力に還元することができる。血。生暖かく、生命の象徴でもあるそれは、非常にメタフォリカルな存在でもある。

 特殊な才能を有しない人々にも、漠然とならば、今の楓が醸し出しているような気風を感じる事は、ある程度ならできる場合がある。

 警官の一人が、

「龍がいる……」

 と呟いている。多くの者は言葉を失っている。しばしば、<迷信>というものはこのようにして生まれる。

 楓は暗黙裡に、男に対してテレパシーで語り掛けた。

『やめよう?』と。

 男は答えなかった。楓の言葉は男の心にまで届かない。

 楓と男の周囲の時空が揺らいでいる。その場の警官達には、<何となく気持ちの悪い感じ>として、ある独特の印象が生じる。こうした揺らぎは、楓と男が未来の徴候を読むたびに生じ、互いに苛烈なスピードで時空を改変し続けているために生ずる副作用のようなものである。あまりに激しくこれらの行為を長く続け、その度合いが臨海値を突破してしまうと、多くの人は錯乱状態に陥る。楓やこの男のような特殊な才能を持った人の場合には、意識を時空間に簒奪されてしまうリスクがある。楓達の言うところによると、時空間は意志を持っているのだと言う。その意志に沿うと時空間は、自分に従属する主体に対して援助してくれる。どのような座標系のどのような物のどのような系列にも<>が宿っている。万物に宿る神の、それぞれの固有の個物に宿るものとしてのその性質を<付喪神>と、楓のような人々は呼んでいる。

 楓と男は、それぞれにそれぞれの付喪神達の力を借りている。そして、ここで言う神は、根源的には一つだが、全ての事物を司る者であるので、同時に全ての物でもあるという不思議な性質を持っている。さらに、極度に自由であり、全知全能の存在であるので、原理的にはそうした唯一神が全てを必然的に創造した、というふうに楓達の時代においては考えられている。神は一つだが、多でもあり、しかし、それは実は一であり……と言うような循環的な思考の麻痺を生じさせるその超越は、確かに神的なものであり得て、人間の手中に収まるようなものではない。一方で、そうした超越を人間が強力に活かすためには、神のようなある種の外在に全てを委ねてしまいながらに、極力、内在の努力に留まる必要があった。結果としては、全て神に収斂するし、実際、それは極めて正確な発想でもあるが、一方で、人事を尽くして天命を待つ、というような事もまた、ある程度は重要な機能を果たすというのが、この世界において摂理とされるものでもあった。

 男は、時空がこれ以上歪む事を避けて、山小屋から神速で退避した。楓は、それを追わなかった。物理的には追跡する事は可能だった。だが、心理的に無理だった。彼女の体は、激戦の後にもかかわらず傷一つ負っていなかったが、その心はぼろぼろだった。

 楓は、子供のように泣きじゃくった。というか、彼女は子供であった。少女であった。外面的にはともかく、本質的には、<普通の>女の子であった。

 

 

 楓が自分の家の寝室のベッドの上で毛布に包まり、泣きじゃくっているところに、夕がやって来た。

 夕は楓の好きなメープルシロップを買ってきた。楓は、このシロップをコーヒーにたっぷり入れて飲むのが好きなのだ。

 夕は楓のベッドにもそもそと入り込み、楓と一緒に毛布に包まった。楓は、一時泣き止み、自分の鼻先にある夕の綺麗な顔を数瞬眺めると、また、泣き出した。しくしくと。夕は、楓の背に手を回して、キュッと抱き締めた。そして、変な子守唄のようなものを歌いだした。夕の自作曲だった。夕は正確には音痴ではないのだが(彼女には絶対音感がある)、なぜか音痴的なものを愛していて、そのリズムも曲調も不思議なものに仕上がっていた。強いて言えば、シューマンのような傾向が強いとは言えるのかもしれないが、そのメロディーラインの滅茶苦茶ぶりは、まさしく、音痴そのものであった。

 楓は、

「……夕の音痴……」

 とむすっとした顔で言うと、寝転がったまま自分の膝を抱え込んだ。

 夕もまた、音痴と言われた事が、一応気に食わなかったのか、むすっとしていた。二人はずいぶん異なる人間のようにも見えるが、似た者同士にも見える。

 ただ、夕は、楓よりも大人なようで、楓が自分に八つ当たりしてきても、容易に感情的になる事はないようだった。

「コーヒー淹れよ?」

 と夕は笑顔になって言う。

 楓は、むすっとしたまま、ベッドから出て、キッチンに向かった。コーヒーをペーパードリップしている間も、ずっとむすっとしていた。

 コーヒーが出来上がると、楓は、予め温めておいた二つのカップに、二人分のコーヒーを注いだ。美味しそうに湯気が出ていて、その液体が熱々である事が誰の目にも明らかな様相だった。

 コーヒーを淹れ終わる頃には、楓の機嫌が少し良くなっていた。コーヒーを淹れるという作業が良い気分転換になったのかもしれない。それでも楓は、内心では、例の殺人鬼の男の事が気にかかってしょうがなかった。

「むすっとしてるのも可愛いけど、笑顔だともっとかわいいね?」

 と夕は楓に言った。

 楓は、夕のその言葉が気に食わず、またむすっとした。むすっとする事は、一つの楓の職業であるのかもしれない。楓は機嫌を損ねる事が多かった。それは彼女の置かれている特殊な環境がそうさせている面もあるかもしれないし、あるいは彼女自身が極度に繊細な感受性を持っているという事もそこには関係しているのかもしれない。

 夕はコーヒーを一口飲むと、楓の部屋にあったチェロをおもむろに弾き始めた。バッハの曲だった。夕は、バッハの曲や、バルトークヤナーチェクなどのそれを好んだ。

 楓は、自分の部屋のウクレレを手に取ると、夕の奏でる音に合わせて演奏を始めた。それはそれは独特なバッハで、二人のバッハは世界に唯一のバッハだった。

 少し演奏すると、二人は残りのコーヒーを飲み干す。

「一緒に音楽すると気持ち休まる」

 と楓は言った。

「コーヒーも美味しい」

 と夕は言った。

「そうだね」

 と楓は笑って言う。

「楓のは甘すぎだけど」

 と夕は言う。

 楓は5秒ほど考え込んだ後に、

「演奏が甘い? それとも私のコーヒーが?」

 と言う。

 夕はにっこりと上品な笑みを浮かべて、

「どっちも」

 と言った。

 楓はそれを聞いて、むすっとした。

 夕は楓の目まぐるしい表情の変化を見ていて、とても楽しくなってしまった。テラスに差す午後の日溜りみたいな、暖かさを感じた。

 

 

 男は、自分が時空の歪みに囚われてしまったように感じていた。倫理が擦り切れている、そしてもう引き返す事はできない。そういう感じ。

 どんな物事にも限度がある。その限度を超えてしまうと、戻ってくる事のできない、不可逆的なラインというものが。男の頭の中では、そうした不可逆性がぐるぐると回り続けていた。もう何をしてもダメで、どんなに努力しても、取り返しがつかないような焦りを感じていた。

 自分の中の何かが激しく叫んでいる。しかし、それを自分ではどうする事もできない。<それ>を動かそうとすると、何処からか止めどない絶望感が溢れ出てきて、男の心の中を席捲する。男は、自分がもうどこにも行けない存在であるような気がしていた。

 自分の周囲で蠢いている様々な事物の動きがあまりにも速すぎて、自分の能力では、それらを何一つ掴み取る事ができない、と言うふうな絶望感。男は、もはや自分には何も残されていないような気がしていた。

 

 

 夕は自分の家の部屋で夜に小説を書いている。原稿用紙に一字ずつ丁寧に文字を埋めていく。音楽を奏でるように、リズムと文字の発音の質感を慎重に吟味していく。彼女は一日の終わりに、その日の勲章を飾るように小説を書く。彼女の小説は、直接的には全く現実的ではなかったので、一見した所では、それが夕の小説だとは誰にも分からなかった。少なくとも多くの場合は。しかし、彼女が小説を書く目的は、彼女の音楽がある種の音痴を志向するように、一つの文盲性であった。

 夕は文盲ではない。むしろ、明晰すぎるほどに、文を認識する事ができる知能を持っている。しかし、だからなのか、彼女はかえって曖昧で暗いものにしばしば愛情を向けた。全く明晰ではない、文盲や音痴という現象に、強く心惹かれ、自身の明晰な資質にかかわらず、世の中においては、しばしば蔑まれている個人的性質を愛した。夕も楓に劣らず、不思議な女の子だった。彼女には比較的、弱い者を愛するという事が多い。

夕が今書いている小説の題名は、『メープルシロップ』だった。そして、その物語の主人公の形象はどうも、楓に近いものがある。しかし、そうした連関は、少し見ただけでは見えてこない。夕自身は明晰な人間だったが、彼女の書く文章や奏でる音楽は、暗躍的なものであった。

 夕は生まれながらの、音痴、文盲、のようなものに強く憧れを抱いていた。

 また、彼女は、楓の事を考えながら、その小説を書いているわけではなかったが、その無意識においては、もしかすると、楓の事が絶えず巡っているのかもしれない。それは神のみぞ知る事で、おそらくは夕本人にも閉ざされた事実なのだろう。閉じた扉を開くには、独特の技術が要る。扉に頑丈な鍵がかかっていれば、なおさらそうだろう。

 夕は小説を書く際に、意識が飛ぶような感覚があった。自分がそれを書いているというよりも、自分ではない何か、例えば夕のイマジナリーフレンドが夕の体を使って、そうした小説を書いているような感覚だった。夕の中の、こうした芸術作業をするイマジナリーフレンドは特殊で、ものを言わない。彼らはただ、その作品のみによって語ろうとする。職人気質というか、気難しい友達であったが、夕は彼らの事が大好きで、また、彼らの紡ぐ作品がとても好きだった。

 分かりやすく言えば、夕は、自分で小説を書くわけではない。それは、彼女の手が勝手に書いてくれる。そこには特に支障らしきものはない。本当に流れるように、美しい物語が紡がれていく。不思議な事である。

 しばらく小説を書くと、夕は立ち上がって、伸びをした。そして、料理をする。卵焼きを丹念に巻いて、わかめと豆腐の味噌汁を作り、同時にご飯も炊いていく。

 夕は、アナログなものが好きで、シームレスに物事を考えるところがある。どちらかの極に偏った思考よりも、それらの間を取って考える事の方が多い。

 彼女は物理的には一人で、ゆっくりと出来上がったご飯を食べていく。しかし、先述のように、彼女の頭の中には、イマジナリーフレンドがいるので、彼女の感覚としては、自分が一人であるという感覚はなかった。

 夕のイマジナリーフレンドの一人に、<うきゅ>という鼠のような生き物がいる。頭に何かの不思議な葉っぱを載せていて、牙を自在に伸縮させる事ができる。うきゅは夕の想像上の毬のようなものをコロコロと転がして、遊んで、楽しそうに、

「うきゅ! うきゅー……、うきゅ!」

 などと言っている。うきゅの形象は、夕の中の多くのイマジナリーフレンドに比べて明晰そうだが、その生き物の姿がデフォルメされたかのような質感のものであるという事が、そうした事情を促しているのかもしれない。

 夕が食事を終えると、彼女の家に来客があった。

 夕のケアの担当医の<佐々木>だった。

 佐々木もまた、楓の担当医の元井医師と同様にエルダーの一人である。ミクロの事象を的確に把握する才能を有している。夕や楓などのような特殊な才能を持つ子供達とエルダーの違いは、エルダーの能力が<認識>に関わるものであるのに対して、夕達の能力が<生成変化>であるという事がある。

 佐々木医師は、優秀な女性医師で、夕のケアをしばしば優しく行ってくれた。佐々木医師は、夕の心の拠り所の一つでもある。生成変化の才を持つ楓や夕などの子供達は、理解者が非常に少ない。だから、自身の想いや感覚を適切に理解してくれる存在というのは非常に貴重で、また、彼女達にとってとてもありがたいものであった。

「久美、どうしたの?」

 と佐々木医師に向かって夕は言う。佐々木医師はフルネームで、佐々木久美と言う。

 佐々木医師は夕に緊急の用事があると知らせた。

 夕は、何だろう? と少し考えてみたが、特に思い当たる事がなかったので、

「ん?」

 と首を傾げた。

「実は……」

 言いにくそうに佐々木医師は言葉を濁らせた。

「ん?」

 と夕は不安そうに首を傾げる。夕は他人の感情を自分の中にトレースしてしまう癖があり、まるで鏡のように相手の人格を自分の心の中に写し取ってしまう事もできた。しばしば、そうした能力は無意識のうちに発揮されてしまい、そのために、夕の心の動きは揺れ動いている事が常だった。外側から彼女の観測していると、いつもぼうっとしているように見えるので、まるで鈍感であるかのようだが、実際には、極めて繊細な感受性を持っていた。

 その時、夕の頭に閃きがあった。その閃きは、夕の恋人の碧にあまり良くない事が起こった事を暗示している。こうした直感の冴えは、徐々にパズルのピースが埋まっていき、やがて完成する瞬間に、統合的な全体像が急に出現してくるような、そのような突飛さを多分に伴っているが、多くの場合、その勘は非常に正確に事態を認識していると判断せざるを得ないほどに、現状を正確に認識する方向へと駆動するのだった。

「……碧は、大丈夫ですか?」

 と夕は細々とした声で言った。

「碧君は今、意識不明の状態にあります」

 と佐々木医師は夕に告げた。

 夕の意識上に、外傷によるショックによってベッドの上で眠りについている碧の姿がイメージされる。

 夕は、一刻も早く、自分を碧のいる場所に案内してくれるようにと、佐々木医師に頼んだ。

 

 

 碧は習慣的にそうするように、<旅行>していた。彼の言う所の旅行とは、散歩に近い意味合いを持つ事が多い。しかし、その散歩は散歩と言い切ってしまうには、それよりも大規模なものであったので、それをここでは、旅行と呼ぶ事にする。

 彼は山の中で、乾パンを食べながら、サバイバルをしていた。また、それは無目的な行為ではなかった。人探しをしていたのである。

 碧は秋水という男を探していた。

 その男は、碧の掴んでいる情報によれば、近頃、碧達の住む街で起こっている連続殺人事件の犯人である。

 碧もまた、楓や夕のような特殊な才能を有した、いわゆる<神の子>達の一人だった。

 碧の予想は当たっていて、秋水もまた、碧の到来を予知していた。

 秋水は碧に向って言う。

「あなたは私を殺しに来たのですか?」

 碧は否と答える。「俺はお前を殺しに来たわけじゃない。ついでに言えば、拘束しに来たわけでもない。正確に言えば、何をしに来たわけでもない」

「そうですか」

 と秋水は言って、ゆっくりと瞼を閉じた。そして、空間の裂け目を作り、そのポケットから、自分の日本刀を取り出した。刀の感触を確かめるようにねっとりとその柄を握る。全般的に秋水の動きには粘性がある。彼の動きには、それなりの速度があるはずなのに、色々なものに感覚が阻まれて、実際よりも遅く見える。彼のこうした動きに惑わされて、既に多くの名立たる武人や警官達が命を落としている。

 碧も、空間のポケットから剣を取り出すと、その切っ先をまっすぐに秋水の方に据えた。

 秋水は終始、悲しそうな顔をしていて、碧と剣戟を交わし始めても、そうした憂愁の念を払う事はできないようだった。彼には覇気があるわけではない。特殊な才能を保持してはいるが、夕や楓ほどに大きな力を持っているわけでもない。しかし、彼は、自在に自身の動きに対する観測者の認識に誤差を作り出す事ができた。偶然的な誤差をいくらでも捏造する事ができるのである。

 したがって、碧が秋水の剣術に対抗するには、目に見えるものの他に、目には見えないものの事を正確に把握する必要がある。自分の五感が感じるままに動くだけでは、秋水が生み出す感覚の誤差に飲み込まれてしまうからである。

 碧は秋水の剣を受け流しながら、柔術合気道のような様々な日本式の武術を使用していく。それに対し、秋水は、自身の刀一本に全ての想いを乗せている。殺人鬼である所の秋水の所業は許されるものではないと碧は思ったが、それでもなお、秋水の剣術には、比較的非力なはずなのに、どこか人を圧倒してしまうだけのある種凛々しいまでの印象があった。

 碧は幾多の技を組み合わせて、順調に秋水を追い詰めていく。それでも碧は油断する事なく、その攻勢を弱めなかった。秋水の<粘性>を見くびることなく、それを一つの資質として認めた上で、戦略的に完全に警戒していた……はずだった。

 だが、秋水の技の奇天烈さは碧の予想をはるかに上回っていた。

 次の瞬間、碧は、急激に息苦しくなるのを感じた。深い水底で高強度の水圧を一身に受けながら動いているような感覚だった。碧にも一瞬、何が起こったのか分からなかったが、数瞬の後、どうやら秋水の術中に自分が落ちてしまったような気配だけは、ありありと感じられた。

 

 

 何事も、一歩ずつ進む事が大切だ……、そのように楓は考える。その進む先を誤ったり、道を踏み外してしまったり、あるいは焦って一獲千金を狙ってしまったりすることによって、多くの失敗は生じるとする信念を彼女は持っていた。

「多くの悲しみは焦りと過度の緊張から生まれる」

 と楓の対面に構え、刀を持った秋水は言った。

 状況から見て、彼の前に対面している楓に対して言ったのであろうが、その言葉は本質的には独り言で、他者に対して向けられた類のものではなかった。

 楓はテレパシーで、秋水に対し、

『やめよ?』

 と声を掛けた。楓は秋水と戦闘するために、彼の所にやってきたわけではなかった。彼女は大概の場合いつも、全ての人が幸せになれる方策を探しているのであり、誰かを犠牲にする事を好まなかった。しかし、それは大枠の思想の方針に過ぎないし、言ってしまえば、世間的に見て、妄想的な空想論、よく言って非現実的な理想論と呼ばれざるを得ない類のものでもあった。ただ、楓は普通よりも知能が高く、また、多くの人達には認識されづらいので、そうした隠密的な性質により、魔女狩りのような被害からは逃れられている。知識量で見れば、相対的に言って、楓のような人種は、普通の人達よりも智者の段階にあると言えるが、それと言うのも、――オーソドックスにも――、自身の無知を知っているためである。もしも、自分が全知全能の存在であると驕ってしまえば、そこで成長が終ってしまうだろう。常に未完成だから、常に成長する事が可能となる。その意味では、楓は神ではなく、神ではないがゆえに、無限の力能を保持していた。彼女達の可能性は無限大である。どこまで伸びるか分からない。それが神を信仰する、という事である。ただ、彼女達の言によれば、本来的には全ての人が等質なのだと言う。そして、平等なのだと。ただ、不可解な謎の力能によって、そうした等質性が遮られ、一見した所では、美点が観測されづらくなってしまう人がいる。ただ、そうした人もちゃんと無限の楽園が持つ無限の空間と時間にも匹敵するほどの、多くの財宝を本質的には所持しているのだそうだ。こうした言を理解するためには、多くの宗教的な言説や理論に通暁する必要があるが、目下の所、秋水について関連のある記述に絞る事にしよう。

 詰まる所で何が言いたいかと言えば、少なくとも楓の視野からすると、秋水のような殺人鬼でさえも、救うべき対象に見えている……という事である。楓達は、殺戮を好まない。だから、殺人鬼を殺戮する事も好まない。こうして書いてしまえば、至ってシンプルな原理だが、多くの場合、真理を幾許かでも照らし出す事のできる原理それ自体は、あまりにも単純過ぎたり、あまりにも複雑過ぎたりする事で、人々の目から遮られている事が多い。

「あなたを助けたい」

 と楓は秋水に向かって口で言った。殺人鬼をも助けたいと願う彼女の心は、ひょっとすると傲慢なのかもしれない。しかし、それについての判断は控える。作家の役目は、――それが想像的なものにせよ、物質的なものにせよ――、事実を淡々と描写する事であって、それを解釈したり、裁定を下したりする事ではない。

 秋水は、

「あなたに私の事は分からない」

 と言った。誰かの言葉に比較的にでも素直に反応するというのは、秋水には珍しいことだった。

「分からないとか、分かるとかじゃない」

 と楓は言う。

「何が望みだ?」

 と秋水は楓の心中を察する努力をする。秋水の心境はこの時、パラノイア性の症候を発しており、また碧との戦いの後の事なのもあって、力を消耗していた。あるいは、力を使い過ぎていた。そのために、時空の意志、付喪神達にその意志を乗っ取られようとしていた。付喪神それ自体は邪悪なものではなく、そもそも通俗的な善悪が通用する存在ではないが、いわば<自然の摂理>とでも言うべきものがそれなのであり、そして、そうした理は天才の力を以てしても変える事ができない(それができるとしても、そうした改変は原初の段階に働きかけることで生じるものであり、現実的な有用性の観点からは到底生じる事のできないものである。簡潔に言えば、神による奇跡や御業といった例外を除けば、自然法則は人に支配されるものではなく、発見されるものだ、ということである。その意味では、楓たちの特殊な才能も支配の力能ではない。それらは自然の摂理を活用した結果として生じる、言うなれば良性の<ハッキング>のような産物なのである)。

「あなたは、あなただよ?」

 と、楓は秋水に対し続けた。

「何が言いたい?」

 と秋水は言う。

「あなたは、私の望みなんかとは関係なく、あなたなんだってこと」

 と楓は言った。

 秋水はその言葉を唾棄して、嘲笑する。しかし、その嘲笑は良性のそれではなく、かなりの程度悪性のものであった。秋水の精神は限界に差し掛かっていた。彼を蝕むものの正体が一体何であるのか、それについて楓は必死に考え続ける。

 秋水は空間を裂くことで生じたポケットから、碧を取り出し、楓の前に放り投げた。

「私の庭に迷い込んだ者だ。命は取らない。だが、その魂はいただいた。体が名残惜しければ連れて行け」

 と彼は言った。

 楓はさっと剣を現出させ、イデアの刃を秋水の方に向けた。

「碧の魂を返して」

 と彼女は言う。「さもないと、力づくになる」

 秋水はしばらくの間、沈黙していた。楓は、碧の魂の事で頭の中がいっぱいになっていて、余裕を喪失している。

 やがて、

「大切な物があなたにあるうちは、あなたは私には勝てない」

 秋水はそう言いながら、空間から自在に取り出された異形の日本刀を握った。「全てを失った者達の絶望に、あなたは勝てない」

 楓はさっと秋水に切りかかった。頭に血が上ってはいたが、それでも太刀筋自体は冷徹なまでに正確なもので、また、この窮地に至ってなお、秋水を殺すためのそれではなかった。楓の頭の中は、普段から葛藤しているので、逆説的に、葛藤に対しての耐性のようなものを彼女は獲得していた。彼女には、並外れた、曖昧な現実への耐性が備わっている。

 楓の剣は秋水の日本刀を一刀両断した。一撃だった。

 秋水は、自身の涙を無数の<>へと生成変化させて、楓に斬撃を返した。その涙は、秋水の血からできている。<赤い>涙だった。

 楓は、その無数の<>、一見した所ではただの<透明>な涙にしか見えないそれをまたも、一刀両断した。彼のその涙の刃は、物理的には、自身の涙を高速で動かすことで生じた極度の水圧を利用したものであり、そのようなことが可能なのは、彼が事象を、ミクロの領域からの急速な分子的な装置の積み立てによって、粒子群の挙動を加速させているからである。

 楓も、自身の身体骨格をミクロの領域から適宜強化しては、目にもとまらぬ秋水の神速の刃を回避しつつ、秋水の身体に浸透可能な程の薬理的有効性の見込める麻酔の合成のための計算を頭の中で行っている。楓たちは、例えば自身の身体において常に起こり続けている化学反応などを利用して、任意の<薬物>を合成することができる。

 秋水の<>にもまた、彼が生成変化によって合成した薬物が多量塗布されており、楓のそれと異なるのは、その薬物が致死性の毒物であるという点であった。楓は他者を生かす事を考え、秋水は他者を殺す事を考えている。

 楓は、秋水の芸当を観察しているうちに、彼の絶望や記憶、情念が自分の中になだれ込んでくるのを感じた。こうしたテレパシーは楓のような種類の人には、しばしば起こることだったが、楓のそれは人類の中では究極的なレベルにあったので、彼女の研ぎ澄まされた共感能力は、自身の心を秋水の想いで染め上げるのには十分なほどった。それにもかかわらず、楓が秋水のように殺人鬼にはならないという事実には、何か神的な気配が感じられる。この世界は謎だらけだ。楓には、秋水にはない何かがあった。そして、その大切な、言語化はできない<それ>は、楓の正義や理念を根底から支えている。

 楓は美しく蝶が舞うように、秋水の剣術を処理していった。

 しかし、語弊を承知で言えば、秋水の剣術もまた、美しくはあった。なぜ、殺人鬼の刃に、これほどの美しさが宿っているのかは謎であった。つまり、それは殺人鬼の太刀筋ではないのだ。これは、1+1=2というくらいに、確かな実感として現れるもので、その事から導き出される答えは、ただ一つだった。

 

 ――秋水は殺人鬼ではない――

 

 しかし、そうなると、楓が先日その目で目撃した、秋水の手による警官達への惨殺の事実の説明がつかない。秋水は確かに、人を殺している。それが<事実>だ。だが、もしも、その事実が、原理的に捏造されたものであったとしたら? 何か、偶然的な諸事象を司る特殊な力能に拠るものであったとしたら? 誰かが秋水を殺人鬼に仕立て上げたことになる。しかし、世界を根底の<事実>のレベルから改変するほどの力能を有している、どのような主体があり得るだろう?

 神以外の誰が? 楓の頭の中に、次々と疑問が溢れ出してきた。

 楓は剣を捨て、素手のまま、秋水の無数の斬撃を避け切ると、彼に告げた。

「あなたは、人を殺していませんね?」

 秋水は、

「殺した」

 と言った。それは<事実>だ。しかし、<真実>ではない。彼は、<何か>に汚名を着せられている。しかも、その事に彼自身どころか、この世界の誰一人、気づいてはいないのだ。驚くべきことに。

 楓は、微笑した。そして言った。

「私があなたの無実を証明して見せます。たとえ、あなた自身さえもが、あなたを見放さざるを得なかったとしても」

 

 

 

P.S. 直観術は比喩です。