魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

医学とか均衡とか

みなさんこんばんは~。

 

色々と大変な事もある今日この頃だとは思うのですが、いかがお過ごしでしょう?

僕は本を読んだり、楽器を練習したりすることが多いです。

 

医学の本とか滅茶苦茶読みまくってました(笑) ハリソン内科学とか(この本、超分厚いです)。内科学書という本も読んだのですが、ハリソンの方が上手な印象はありました。ただ、どちらもそれぞれの味があるように思うので、可能であればどちらも読んだ方がいいのかもしれません。内科学とか医学とかに興味がおありの方の場合には。人によるのだろうとは思いますけど。

 

免疫学とか薬理学とかのことも調べてましたね。とても面白かったです。生化学とかともうまく作用する類の知識が得られるので、とても良いように思います。例えば、免疫というのも物質の流れとして把握することはできるのだな……という印象は色々と有用かもしれません。

それで、こうした医学知識を調べていて思ったのが、無作為性(ランダム)というのが健康にも大切なのではないかということですね。昔ながらの言葉で言えば、無為自然とかもこれに当たるかもしれません。端的に言ってしまうと、何もしようとせずに流れに合わせて行動するという感じ。ただし、ただ単に流されていくという訳でもないんだと思うんですよね。こういうのって。多分、流されることと抗うことの間に真理がある気がします。大概の場合、バランスが大事で、何かが偏ると不便が生じます(例えば、栄養バランスが極端に偏ると、色々な疾患につながりえると思います)。だから、無作為性とか遊びとか余裕とかで、偏見をババっと相殺してやると、健康に良く作用しえるのではないか……みたいなアイデア。ご参考くださいませ。

 

テロメアとテロメラーゼの関係とか、面白いな、と思って見てました。これは遺伝子の分子生物学とかですね。寿命とか老化とかの問題にご興味がおありの方はお調べになってみると面白いかもしれません。

細胞分裂って不思議ですよね。この機構を解き明かしたいという欲求が生じてきました。細胞分裂が暴走してしまうと、癌みたいな現象になってしまったりするのかもしれませんが、逆にこれをうまく制御できると不老不死とかにつながるのかもしれないな、と思いました。面白い問題です。

意外に六法全書に良いヒントとかないかなと思いつつ法学を調べていて、法学の中の論理構造を生物学に応用してみるというひたすらにハチャメチャな実験的機構を試しまくったりしてました(笑)。結果は……ハチャメチャでした……。

色々とニュアンスとしては、有用な印象を得られるのですが、それを言語化できる段階まではまだ至っていないように思います。六法全書面白いです☆

 

音楽はドビュッシーの練習曲とかリストの超絶技巧の楽譜とか見てました。リストとツェルニーの連関とか考えてみると面白そうです。バラキレフのイスラメイとかもとても良いなと思います。

楽器の練習は不思議で、僕はとてもヘタクソですけど、それでもやっていると少しずつ上達してくるようですから面白いですね。どのように上達しているのかについて考察してみようとしてもできないんですけど、まさに「謎」の機構によって成長は生じるのだな、と思います。

楽曲というのも、それぞれにそれぞれのある種のバランスと言うか均衡のようなものがあってそれが崩れると上手く音楽として構成できない印象はあります。

このお話は医学などの話題にも適用可能なのではないかと思っていて、それと言うのも、栄養にせよ、筋肉の状態にせよ、内分泌系の態勢にせよ、遺伝子の働きの構成にせよ、どれもある種の均衡を保つことで生命体を維持している側面があるように感じるのです。生命は音楽のようなものなのでしょうかね。面白い点です。

 

均衡。

 

謎の概念です。均衡とは何なのでしょう? 謎です。そのうち、機会があれば、均衡論などを考えてみるのも面白いかもしれません。

 

それにしても、文章って書き始める前にはとてもじゃないが書ける気がしないんですけど、いざ書き出してみると何とか書けてしまうものですね。それに楽しいですし。不思議です。やはり「勢い」というのは大切な気がしますね。勢いに依存してしまうとそれはそれでよくないことが起きることもあるかもしれませんけど、何と言うかあまり制御せずに、身を流れに委ね、かといって局地化しすぎないように、大局をも見ながら均衡を保っていくと、なかなかに良い成果が得られる場合が多いような気もします。そのためには、ある程度の「速度」が必要でこれが勢いを生み出しているように感じられます。面白いです。

 

なんか計算して書けないんですよね(笑) 文章を。僕はそういう質なのかもしれません。あまり計算に向かない(笑) 何と言うか、できる限り真心から素朴な文章を書いていたいという気持ちはある気がします。なんでだろう? この辺もよくよく考えてみると心理学とか的に面白いのかもしれません。

 

文章を書いていると、自分が本当に色々な現象から即座に影響を受けているのだな、ということが分かります。スポーツや楽器演奏にとても近い感覚もある気がする。ある種のセンス的な何か……。体の感覚全部で、つまり全身で以って文章を書いているという印象です。不思議です。文章を書いていると、すごく微細なはずの些細な感覚にも身体がよく反応するので、感覚が非常に研ぎ澄まされているのだと思います。ここにも均衡が必要で、流れが速すぎると転んでしまうし、遅すぎると遅々とし過ぎて飽きてしまう。バランス感覚というのは色々な場面で効力を発揮するのかもしれません。

 

先日、作家の村上春樹さんのラジオを拝聴していて、色々と文章作法とかについて考えていたのですが、忘れてしまいました(笑)。僕はかなり忘れっぽいので、思ったことはメモしておくといいのかもしれないんですけど、それも面倒で。何となく思い出せる範囲で書くと、何だろうな……。細かなニュアンスの機制についてのことで、とてもとても小さな機制があって、それを魔法使いみたいに制御する、みたいなイメージですね。そういうのを感じつつ、聴いてました。上手く言葉にできないのですが、とりあえず、とても面白かったです。

 

ふと思ったんですけど、焦燥感って扱いが難しいですよね。焦慮。焦燥感は時間に追われている時に出てくるんですけど、単純に考えてしまうと、人生なんて何をするにも短すぎて、焦燥感から逃れられなくなってしまいそうです。ただ、よくよく熟慮してみると、そうでもなくて、むしろそんなに焦る必要ってないんだろうな、とも感じるんです。それこそ、バランスが難しいところですが。本当に大切なものって、心の中にある気がして、それは神様かもしれないし、仏様かもしれませんが、いずれにしても、焦る必要性をなくしてくれる余裕の産物であるのだろうな、という気もするんですよね。今日は、言葉がとっ散らかっていますが、こういう無方向性も焦慮の産物なのだろうか。

 

色々と考えられますが、とにかく何をするにも体力と時間というのは大切だな、という印象です。疲れていると疲れている文章が出てくる気がします。心と言葉って結構深いつながりがあるのかもしれないですね。

 

余裕を持ちつつ、適度な均衡を保ち、心身を健全なものとする方法について考えると、心と言葉に深い関係がある場合、言葉から心にアプローチすることもできることになるのかもしれません。心理療法みたいなのもこういう経路を利用していると言えるのだろうか。精神分析とか、認知行動療法とか。

 

語学の調子についても書いておきますね。ヘブライ文字が何とかましなレベルで認識できるようになりつつあるように思います(笑)。最初、ただの棒とかにしか見えなかったです。不思議ですね。何となくキリル文字よりも大変だったような気がします。習得が。ただ、それでも語学はちょっとここのところ滞っていたかもしれません。六法全書とか医学書とかを読んでいたのが主でしたね。ここのところは。

語学は、本当に面白いし、楽しいです。ただ、あんまりやり過ぎると、これも飽きてきちゃって、大変なんですよね。ここでも均衡が大切になるようです。バランス。

 

「体調管理は大切」と言うと、あまりにも当たり前ですが、そんなことも思います。そして、それはおそらく、免疫的、内分泌的、メンタルヘルス的、遺伝子的、生化学的、などなどのあらゆる面から「均衡」を保つこととして現れてくるのかなとも思います。皆さんも体調などお気をつけて過ごしてくださいませ。

 

さてさて。超絶くだらない散漫な文章を書き綴ってしまいましたが、こうした文章も視点を多角的なものにするためにはある程度有効なものになれるかもしれませんので一応アップしておきますね。

 

ではでは~☆