魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

統合失調症の人のための読書案内

統合失調症の人向けに、個人的におすすめな文献をピックアップしてみました。気が向いたら、好きにご参考ください。

 

統合失調症の人にまず目を通して欲しいと思う文献。

 

1.『ヤコブの書』(新約聖書

2.『箴言』(旧約聖書

3.『中庸』(儒教

4.『十地経』(仏教)

5.『コーラン』(イスラム教)

 

以上は、熟読玩味するのがいい文献かも。楽しく自分が好きなように文章を見るのが良いと思う。視線がさまよう場合はそれを阻害せずに、成り行きに自由に任せるようにするといいかも。なるべく自我の働きは無に帰して、無為自然の境地で、心を澄ましながら文章を心身に浸透させるイメージ。一回で理解できなくてもいいので、自分らしく読む。何回も読んでいいし、拾い読んでもいいし、好きに読んでいい。自分なりの解釈や独自の感想などを大切にしつつ、何度も何度も丁寧に読むとよく、また、再読の回数はおそらく多いほどよいものと思われる。統合失調症の集中力の欠如によってさまよう思考回路や視線の動きというような現象を上手く活用するイメージ。体の力を抜いて、とにかくリラックスし、一日一行でも構わないので、無理を決してせずに「好きに」読むことが最も重要。

 

統合失調症を活用する際の基礎を養えるように思われる文献。

 

6.『アンチ・オイディプス』(ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ

7.『千のプラト―』(ジルドゥルーズ、フェリックス・ガタリ

8.『失われた時を求めて』(プルースト

9.『純粋理性批判』(カント)

10.『君主論』(マキャベリ

 

基本的な読書の方針は上記の通り。あえて付け加えるなら、大作を読む際の統合失調症的な読書法について。通常の人は集中力によって一行一行読むことが多い。統合失調症の場合、集中力が欠如する場合があるので、その場合は逆にその「欠如」を肯定し返し、活かす方針を取るのがいいように思われる。例えば、一行ずつ読めないのなら、マルチタスクに全ての行を少しずつ読めばよい。体質として集中力が欠如していれば、こうした読み方も可能になりえる。とにかく自身の個性を少しも無駄にする事なく、活かし切ることが大事。集中力の欠如と言えば、一見デメリットだけのように見えてしまうが、実際にはまずもってデメリットだけのものは存在しない。必ずどんなものにもメリットはあるはずなので、それをゆったりと自由に探していけばいい。大作を読む場合には、特に集中力が仇となる場合が多いように個人的には思われる。それよりも、意識を均等にバランスよく文章全体に分裂させ、分散的に情報を摂取するのがいいと僕は思う。おそらく統合失調症の人は感受性が普通よりも強力であり、普通の人が感じることのできない事象を感じ取ることに長けていると予想できるので、普通の人が感じられない、その独特の<意味>を感じ取ればいい。自分の感じ取ったその<意味>を一般の人たちに分かるように説明するというのもまた難しい技能になるが、その点に自信がなければ、沈黙を守るのが無難だと思う。おそらくあなたの読解をほとんどの人は理解できないし、理解しようとも思わないはずなので。学んだことについて言葉を発するのは、十分に勉強し、研鑽を積んで、言語性の技能が高まってきてからでも遅くはないようにも思われる。基本的には、口は禍の元。劣等感に飲み込まれずに、できることを自分なりに好きなように着々と継続的に積み重ねていけば、やがて自身の才能に気付ける可能性が高いと思う。短所だと思い込んでいたものが長所に転換するという瞬間に辿り着くことができるかもしれない。

 

統合失調症を応用する際の種々の障害を取り除くために有効と思われる文献。

 

11.『DSM』(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disordersの略)

12.『六法全書

13.『分裂病と人類』(中井久夫

14.『天才と分裂病の進化論』(デイヴィッド ホロビン)

15.『天才の精神病理――科学的創造の秘密』(飯田真・中井久夫

 

前述の統合失調症的な読書法を使用するのが基本的な路線ではないかと思う。いずれにせよ大切なのは、「自分の読み」を見出すこと。自分を極めれば、やがて、自分は自分でなくなる瞬間に立ち会うことができる。その時、自分とは非自分であり、非自分とは自分である。何もしなくても<他者>(霊と言ってもいいし、イマジナリーフレンドと言ってもいいし、付喪神と言ってもいい)が全てを勝手にやってくれる。自分はその流れに従うだけでいい、というようなイメージが湧いてくるかもしれない。そのセンスはとても重要で、全てのものに根付いた意志を直感することができる。ものにはそれぞれ独自の流れがあって、それらを阻害せずに、自然のままにしてやると、それらのものはあなたに恩返しをしてくれるようになる。どんなものにも命は宿っており、どんなものも歌を歌っている。僕たちはそれに耳を澄ますだけでいい。簡潔に言うと、無理をせず、好きなように読書するのがもっとも大切。人に馬鹿にされても、自分の信じた道を貫くのが大切。

 

上記の本にある程度知悉してもまだ余力がある場合のおすすめ文献。

 

16.『広辞苑

17.『古事記』(神道

18.『種の起源』(ダーウィン

19.『資本論』(マルクス

20.『精神分析入門』(フロイト

 

辞書類を大雑把に眺めるのは有効だと思う。上記の統合失調症的な読書法を使用してもいい。固定観念に囚われずに、自分の気質の細部までもを正確に読み取り、それに合った読み方をするのが大切。そのためには、仏教的には「空」など、聖書的には「神」など、儒教的には「聖」など、道教的には「道」などの概念を体得するのが最もいいように思われる。とにかく、執着を手放し、意識を透徹させ、やがて何もなくなり、全ての偶像が虚しいことを知り、また<虚>そのものがそもそも極めて遠大であることを知り、虚実について変幻自在であり、何よりも大きく、全てであり、一つであるような<それ>を感得することが有効。ただ、それについてはここでは書き切れないし、どんな分厚い本にも収まらないようなものなので、自分で着々と勉強していくしかない。あるいはもう既にそれを分かっている場合には、ここに書かれたことに囚われる必要も全くない。

例えば、究極的に言えば、理解しようと思うことも執着であり、読書をしようとすることも執着である。だから、そうした執着を手放していき、「理解できなくてもいい」、「別に無理に読書をしなくてもいい」というふうに持っていく。すると、かえって理解でき、読めるようになってくる。おそらくは執着が目を濁らせ、例えば理解などを阻害しているものと考えられる。

 

読書はとても奥深く、難しい技能だと思う。ここに書かれた一例があなたの役に立てると良いな、と僕は思いますが、どうなるかは神のみぞ知る、というところかもしれません。微力ながら、あなたの幸せを祈っています。