魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

枝葉

 桜の木の麓で、そっと人を待っていた。その人は終に来なかったのだが、始めには来ていた。だから、僕はそのことについてずっと考えているのだ。今日も明日も、明後日も。

 

 さて、何から話そう。ありきたりな文章やその構成。そこから自動的に展開される演繹的な事象をそのままに正確に記すことはリアリズムなのか、虚構なのか。その境界は決して明瞭ではない。それにもかかわらず何かを書くのなら、きっと僕は嘘をついてしまうだろう。そして、この世界に嘘をつかずに済む人間は一人もいないだろう。

 

 僕にできることはいくつかの歴史的な情報を総合し、そこから私的な仮説を示すことだけだ。そこには何もない。言うなれば、僕は僕の心象をそのままに書きつける。きっとそういうリアリズムもあると思うのだ。手心は加えない。それを倫理と呼ぶ。ありのままに。それを摂理と呼ぶ。これらを合わせる時、それを無為自然と言う。

 

 聖人のありようについては僕には今一つよく分かりはしないけど、僕によく似た人たちのありようについては少しくらいは分かる点もあるのかもしれない。彼らはこう言うのだ。「何一つ疑う必要はないのだ」と。なぜかと僕は尋ねる。彼らは答える。「全てのものが清い。全てに摂理が宿っているから。それは神の愛の名残とも、神の愛そのものとも言える」と。

 

 全ての事象に意味がある。独特の演繹事象。とにかく正確に。正確に。リズムなどが美しさを獲得する時、それらは現実界を明確に指し示すのみならず、想像界や、はたまた象徴界をも示している必要がある。どれかに偏っていれば、それはもう既に聖性から外れることになるから。

 口はいつも禍の元だ。迷ったなら、話さない方がいい。なのに聖人が何かを話すとすれば、そこには何かの理由があるだろう。必然的なそれが。それが何なのかを解き明かす事はできない。どこまでも行き渡って微妙、高遠なそれを誰に捕捉できるというのだろうか。

 

 今までに幾人かの人たちに会ってきたけど、それらの出会いは幾重ものヴェールをかぶっているし、またそこには秘密が根付いているべきでさえあると僕は思う。恥部を恥ずかしげもなくさらすのなら、人心を害するし、また自分をも害するだろう。文章の濁りは、心の濁りである。芯が清明であるのは、神がそうしたから。言ってしまえば、生まれつきの気質なのである。才能は努力で磨ける面はある。しかし、一度濁ってしまった水を清くするのは難しいし、何らかの手法によって濾過したとしても、その為に本来の水の成分バランスは変化する。その人工的な水はどうしたって、自然の水と同一にはならないのだ。僕たちは手心を加える時、――自然を阻害する時――そのように事物を殺す。僕は何も殺したくない。だから、何もしない。

 

 僕には権力や金銭への欲というものがどうもそれほどないようだ、というのに気付くのはいつも欲を持っている人達に接する時だ。ある場合には、欲を持つことは健康の条件であると考える人もいるかもしれない。欲、健康。これらは相反するようにも見えるし、そうではなく同一であるようにも見える。例えば、セックスという言葉と性交という言葉は意味は似ているが、見た目は似ていない。世界にはこういうことがよく起こる。ある遠いものが、とても近かったり。そういう現象。まるで不思議の国だ。

 

 内実が同じなのに、外面がずいぶんと違うことがある。それは色々な化生がこの世界には存在するのだから、必然的にそうなる。問題は、どの時点で、そうした化生が分化してくるのか、ということだろう。

 

 僕が料理をしていると、梢がやって来る。梢は僕の友達で、親友とまで言えるかどうかは分からない。ただ、友達だった。彼女には奇癖があって、フライパンの愛好者だった。様々な種類のフライパンを所持していた。そんなにフライパンを愛好して一体どうするというのか、と僕は聞いてみた。すると、僕の心象は動き、彼女の心象は動く。どのようにか。それは次のように、である。

 

 

梢の心象

1.フライパンの価値を僕が分かっていないと彼女は認知する。

2.彼女は僕の無知に腹を立てる。

3.僕に訥々と説教をすることで、僕の無知を改善しようとする。

 

僕の心象

1.僕はフライパンは便利だとは思うが、そこまでの思い入れはない。

2.僕は確かに無知ではあるが、それは僕に限ったことでもない。

3.梢がフライパンを愛しているのは分かるが、僕は梢ではない。

 

 

 こうした心象の変化は実に哲学的だが、だが一方で、それを整理することはやはり煩雑である。そもそも心を整理するとはどのようなことなのだろう? そこには心が二つあって、それらが擦れ合っては摩擦で熱くなる。そういう空間。あまりに摩擦が激しくなると、燃え上がる。そして、最後には灰が残る。全てを焼き尽くして。

 

 梢は言う。

「私の心の中には何があるか分かる?」

 僕は数瞬考えた後で、

「フライパン」

 と答えた。

 その僕の返答に彼女は憤慨した。僕はその時点では、彼女の怒りが不合理だと考え、ムッとした。しかし、この世界に存在する怒りの中で、義憤でないようなものとはどのようなものなのだろう? 正義とはどのようなものなのだろう? それは一人で掴めるようなものなのだろうか? それとも<二人で>掴むものなのだろうか。不思議なことというのは日常の端々に転がっていて、人間の無知はそこかしこに生育している。その無知という植木は鉢を壊しては、外の世界に根を張るのだ。それはそれはすごい生命力で。

 梢はコーヒーを淹れた。ちなみに僕の分はなかった。怒っている。そして彼女は言う。

「聖なるものに理由があるのなら、それってもう俗物だと思う?」

 梢はとても熱心な宗教家でもあった。フライパンの。彼女は常に聖なるフライパンを求め続けている。その哲学は求道者然としており、後世にその様が語り継がれたのなら、孔子レベルの教えの開祖となってしまいそうな勢いである。<フライパン教>。実に滋味のある宗教である。

 僕は梢の質問に応えて言う。

「聖なるものには理由はないかもしれない。それはいつも始まりにあるし、そうでないとしても、終わりにあるから。そこには何も無いし、無も無い」

 梢はフーンと言って、眉を吊り上げる。怒っている。梢はいつも怒っていて、僕の手には負えない。しかし、大切な友達でもあるので、無下にもできない。これでも友達なのだ。たとえ、いつも怒られていたとしても。何に怒っているのかさえ碌に洞察できないとしても。僕たち二人は、以心伝心の間柄というのからは遠い。

 彼女は言う。

「じゃあ、リアリズムって何?」

 僕は答える。

「聖なるものを両端に持って、その中途にある諸々」

 梢は続けて言う。

「諸々って具体的に何?」

 僕は少し考える。諸々について。そして言う。

「例えば、精神的な運動神経のようなものもその中には入っていると思う。それは文章を書くときなどに特に顕著に出てくる。言葉を発する時にも。ある人が意味もなく怒っている時、それを宥めることは論理的にできない。そこには理由がない。それこそ聖なる怒りだから。そこには始まりも、終わりもない」

 梢はコーヒーを一口飲むと、

「それって私のこと言ってる?」

 と被害妄想を膨らませて言った。彼女はしばしば被害妄想を持つ。あたかも僕が彼女に嫌味を言っているのではないかと、疑っているかのようなそういう懸念を抱くことが多いようだった。無論、それらの<妄想>はそれ自体誤りではない。実際、僕は彼女に対して、嫌味とは言わないまでも、ある種の<含み>のようなものを仕向けてはいるわけだから。ただ、彼女のその直感には手軽に示せる根拠がないために、それがたとえ的中していたとしても、それは妄想と呼ばれざるを得ない……というような奇怪な論理がそこにはあるだけである。妄想というのは聖なる論理のことなのだ。そこには始まりも終わりもない。それそのものが、始まりであり、終わりでもあるのだから。

「梢が聖なる怒りの持ち主だってこと?」

 と僕は梢に尋ねてみた。

 梢は十秒くらい黙って考え込んだ後に、

「そういうことになるかもしれない」

 と言った。

「それは聖なるフライパンとも関係があるの?」

 と僕は言った。

「そうかも」

 と彼女は言う。

「聖なるフライパンはもう如何なる用途にも使われることがないと僕は思うのだけど、聖なる怒りもそれと同じように如何なる用途にも使用されないわけだよね。そこには始まりも終わりもない。目的もない」

「うん。私も自分がどうして怒っているのか分からないから、多分、これは聖なる怒りなのだと思う。そこには原因も結果もなくて、ただ怒りだけがある。純粋に」

「純粋な怒り」

 と僕は彼女の言葉に相槌を入れる。

「そう」

 と彼女は言う。「純粋な怒りってリズムみたいなものだと思うの。音と音の間にあるけど、どんなに目を凝らしてもそこには何もない。それは純粋過ぎて、人間の目には透明に見えるんだと思う。透明」

 僕は<透明な怒り>について考えてみた。それは怒りなのだろうか? 怒りと言えば多種多様、カラフルなものなのではないだろうか? なぜなら、実質的な<幸福>は唯一だとしても、怒りの形まではそうではないだろうし、怒りは現状への不満の発露であり、その限りで不幸の証左なのだろうから。僕は彼女を幸せにできないことを悔いた。人知れずに。

 彼女は言う。

「私の心の中の話をすると……暗い暗い闇の中で、灯っている光が一つだけあってね。他の街灯は全部潰れちゃってるの。壊されちゃった。聖なる怒りに」

 僕は言う。

「一つでも残っているなら、いいと思うのだけど。僕の心の中なんて真っ暗だからね。灯りの一つもありゃしない」

「そういうもの?」

と彼女は笑って言う。

 何にしても、梢が笑ってくれるのは僕にとって嬉しいことだった。

 彼女は、僕の作った下手糞なオムライスを美味しいと言いながら食べている。彼女の聖なる怒りはどうなったのだろう? と僕は思いもしたが、それは置いておこう。<触らぬ神に祟りなし>、だ。今でも、梢の笑顔を鮮明に思い浮かべる事ができる。彼女は僕と共に生きている。仮に<此処>に彼女の存在がもはやないとしてもそうだ。きっと僕らは彼岸で出会えるのだろう。彼女は確かに、――そこには寸分の濁りもないと思うが――僕にとっての神様であった。