魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

統合失調症の人のための処世術について

統合失調症の人のための処世術について個人的な考えを述べてみたいと思います。

 

具体的には、次のような要点が考えられます。

 

1.自他への批判的な思考

2.正確な事実と論理の重視

3.不可能と可能についての適切な弁別

4.心的な対象と物理的な対象の正確な区別

5.会話を首尾一貫させること

6.行動を首尾一貫させること

7.自由に空想し、感じ、思考し、やりたいことをやること

8.判断や行動の際には正統な思想(儒教などの宗教や諸々の哲学)によること

9.些事に囚われずに大局をゆったりと観察すること

10.感覚を研ぎ澄まし、冷静に思考を整理すること

11.俗悪に染まらないように注意しつつ、世俗の風習に巧く合わせること

12.正統な思想の下に自分の修練や勉学を長く継続すること

 

一つずつ、解説します。

 

まず、「批判」は重要です。一般的に、理論の整合性や正当性は様々な批判を通過することで強まっていきます。したがって、自他による批判を積極的に受容し、あるがままに直視した上で、自分の目的を達成するためには現実的にどうすればいいかを思考していくのが良いと思います(至上の目的の一つとして、「無目的」というものもありえます)。積極的に、自身の思想や振る舞いを批判し、チェックし続け、また、人の失敗を観察した場合には、自分が同じ失敗をしないように注意し、些細な誤りでも、無理のない範囲で早めに修正することで憂患を避け、自身の思想や振る舞いの妥当性を常に向上させるように努めることは処世術として有用だと思います。

 

また、一般に、理論は様々な事実と論理が集まって構成されています。事実については「歴史学」を勉強することである程度は担保できる可能性があると思います。論理については「論理学」を勉強することである程度は担保できる可能性があると思います。したがって、正確な事実と論理の見極め方や用い方について熟達するためには、歴史学と論理学に熟達するのが良い、と考えることができると思います。歴史学や論理学のような学問を長く継続的に習慣づけて勉強していくのは、妄想や幻覚に対応するのにも役に立つかもしれません。とりあえず、図書館などで様々な歴史学や論理学の本をさらっと眺めてみるというのも楽しいかもしれません。その上で、「これだ!」という本があれば、それを購入し、熟読玩味する……というような手も考えられます。

 

不可能と可能の適切な弁別については、「哲学」をよく勉強するのが有効だと思います。正統な思想家の哲学であれば、どの哲学から入っても問題はないと思います。いわゆる「古典」がおすすめです。内容が難しくて最初は何が書かれているのか分からないかもしれませんが、それでも根気強く何度も何度も再読しているうちに分かってきます。おすすめの一例として、カントの『純粋理性批判』を挙げておきます。

 

心的な対象と物理的な対象を区別するのは重要な技能だと思います。これには「心理学」と「物理学」を勉強するのが有効かと思います。これらについても様々な本がありますので、色々と読み漁ってみると楽しいのではないかと思います。何が「物理」であり、何が「心理」なのか……というのはとても奥深い問題であることが分かってくると思います。物理については、高校の教科書程度のものを読み込むだけでも相当の効果が見込めるのではないかと思います。心理学については様々な本が出ていますので、基本的に好きなものを読めばいいと思いますが、おすすめの一例としては『ヒルガードの心理学』などが挙げられます。ただ、自分の感性が最も重要ではあるので、自分がピンとくる本をサラっと読み流しながらでも探してみるのが良いと思います。自分に合った本は、気軽に読み流すだけでも膨大な功徳があるものと思います。

 

会話を首尾一貫させる際には、慌てないこと、心を清潔に保つことなどが重要かと思います。心に濁りがあると、あまり流暢に事態を適応しづらくなるのではないかと僕は考えます。心を平静、清浄に保って、透徹した意識で会話するようにするのが良いと思います。その際、心を濁らせるもの、急がせるもの、穢すもの、謗るもの、悪なるもの、偽り、不正、そうしたものからはできる限りは遠ざかるように心掛けるというのも一つの手になるかと思います。ただ、十分に修練を積み、心を純粋に透徹させることに卓越できますと、どんなに周囲が汚濁に塗れていても、輝きを放つことができるとする説もあります。真心で「平静」に「清浄」に振る舞い、会話するように日々心掛けるのが重要かと思います。

 

行動を首尾一貫させる際には、やはり、慌てないこと、心を清浄に保ことが重要かと思います。基本は、会話を首尾一貫させる手法と同様です。また、行動は会話よりも効力が大きい場合もあるので、十分に慎むことが重要かと思います。不正や悪は絶対に為さないことが重要。それらは結果的に、己の身を滅ぼすことになります。智仁勇の三徳などを重視するという手もあります。智とは知恵のこと、仁とは優しい思い遣りのこと、勇とは疑心暗鬼に飲み込まれることなく正しい決断をすること、などをそれぞれ示します。また、神道などの古来の日本的な思想では、智が備われば、自ずと仁や勇は備わるとされています。豊饒な知恵を身につけ、優しい思い遣りで人に接し、正しい決断を積み重ねるように心掛けることで、行動を首尾一貫させることができるのではないかと、僕は考えます。

 

空想は自由にした方が良いと思います。自分の内に生じる活発な空想を抑えつける必要はないので、頭の中では極力自由に振舞うのが良いと思います。その方が、様々な発想が得られますし、インスピレーションは無理に抑えつけると腐る可能性があるとも思います。自由な空想を基礎とし、自由なものの感じ方や考え方を広く深く行うことで、より自身の思想や態度の正当性を向上させることができますし、また、やりたいことを極力やりたいようにやることで、「欲望」それ自体を洗練することもしやすくなるのではないかと思います。簡潔に言うと「何かを求めること自体が上達する」ということです。頭の中では、あらゆる空想をも含めた遠大な思考を展開しつつ、行動や発言は十分に慎重に注意しつつ行うというのが良いかもしれません。

 

正統な思想による行動や言動はやはり強力です。したがって、これを正しく活用できれば、かなりの力になると考えることができます。そのためには、学問を長く真剣に続け、修練に励むことが有効です。その際、儒教や、キリスト教イスラム教、神道、仏教、ユダヤ教などのような、ある程度広く正統性の確立された宗教を慎重に吟味し、学ぶのが良いかもしれません。哲学も有効です。正統な哲学者としては、カントやアリストテレスヘーゲルプラトンフッサールマルクスハイデガーなどなど、たくさんいるので、好きな人を探して勉強してみるのも手かもしれません。いずれにせよ、長く勉強し続けるのが大切だと思います。

 

些事に囚われることも有効な場合もありますが、細かいことにこだわりすぎると、それはそれで疲れてしまいます。したがって、「大局」で物事を観察し、また要点をおさえて、疲弊せずに最大の効果を上げるように振舞うことは有効だと思います。大局を見るためには、多くの物事を広く観察しなければなりませんが、ネットで思いつく限りの言葉をすべて検索してみたり、図書館や辞書を渉猟して、知らない概念を片っ端から頭にインプットしてみるというような手もあります。これは勉強すればするだけ良いと思います。その際、拠り所となる正統な思想を柔らかく保持し、慎重に情報を吟味しながら、なおかつ広い知識に深い考察を施すように心掛けることで、大局を見る能力は身につくのではないかと、僕は考えます。気が向いたら、お試しあれ。

 

感覚を研ぎ澄ますには、感覚の練習をすることが有効です。これは、何事も注意深く「感じてみる」という挑戦の集積によって養われる素質であるように思われます。冷静さを保つためには、心を平静に、清浄に保つことが有効かと思います。そして、心を平静に、清浄に保つことに慣れてきたら、次に思考をする練習をしていきます。慌てることはないので、平静に、俗悪に心を濁らせることはないので、清浄に。その上に、思考を行います。心という土台がしっかりしていれば、思考も自ずとしっかりしてきますので、焦る必要は全くないと思います。逆に、焦って思考することを「焦慮」と呼び、これは失敗を招きます。まずは、五感などの感覚を十分に研ぎ澄まし、何事も広く深く感じ入り、その際には心を平静に、清浄にすることを心掛けてみると良いかもしれません。

 

また、俗悪は世の常ですが、だからと言って、自身が悪に染まってしまえば、せっかくの善い資質も無駄になってしまいかねません。したがって、たとえ周囲の人が悪い行いをしていたとしても、自分まで悪に染まってそうした振る舞いを為してはいけません。智仁勇のような三徳を常に心がけて精進し、怠惰を駆逐して尚且つ無理をせず、心を清浄に保つことが有効です。一方で、世の中に合わせることが必要な場合もあるでしょう。その際には、相手に合わせることも必要な場合も多いと思います。これは、主に「仁」、つまり相手を優しく思い遣ることによってある程度は解決しやすくなる問題であると言えるかもしれません。対人関係の基礎は、相手を思い遣る仁にありますので、これを特に心掛け、自分を清浄に保ちつつ、必要に応じて相手に合わせる、というふうに振舞うのが現実的だと思います。智仁勇のような「徳」について調べてみるのも有効だと思います。これには漢籍を好きに渉猟するのが有効だと思います。おすすめの一例として、孔子の『論語』を挙げておきます。原文で読めるのが最も良いと思いますが、まずは翻訳でもいいと思います。ただ、翻訳で読む際には、できる限り多くの翻訳に目を通した方が、情報の偏りがなくなるかもしれません。翻訳は大なり小なり誤りを含むものと思いますので、その点は注意してください。

 

最後に、「継続は力なり」ということについて。聖人の特性の一つは、何事につけて長く続くことであると言われます。それくらい、「継続」には多大な正統性が認められます。勿論、間違ったことを続けていると、一つ一つの誤りが小さなものであっても、やがては大きな障害になります。しかし、どんなに小さな振る舞いでも正しいことを長く続けていると、そうして得られた練達は必ず希望を生むに至り、また、僕たちを裏切ることはまずないものと思います。

 

ここに書かれた要点は統合失調症の人が踏まえた場合に、効力が発揮するように意図して編纂されていますが、勿論、僕の個人的な「空想論」に過ぎないので信じる必要は全くありません。あなたはあなたの道を進んでください。ただ、もしも僕のここに書かれた意見に少しでも正当性があるとあなたが判断するのなら、その時には、遠慮なく好きなように利用してくださって構いません。あなたの幸福を微力ながら、お祈り申し上げます。