魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

現時点での、統合失調症についての個人的な仮説の概略

1.統合失調症の価値は高い」ということについて

 

 

妄想とは異常な連想のことである。

 

異常とは普通とは違うことである。

 

普通とは大多数の人の特徴のことである。

 

つまり、妄想とは珍しい連想のことである。

 

同様に、幻覚とは珍しい感覚のことである。

 

珍しいものには希少価値がある。

 

妄想と幻覚は珍しいので、希少価値がある。

 

価値が高いものを侮蔑することを嫉妬と呼ぶ。

 

幻覚と妄想は希少価値が高いので、それを侮蔑するのは嫉妬である。

 

幻覚と妄想は統合失調症の症状である。

 

よって、統合失調症を侮蔑するのは嫉妬である。

 

 

2.「妄想は発想である」ということについて

 

 

妄想は希少価値のある連想である。

 

イデアは想像である。

 

新しいものは新しい組み合わせにより生じる。

 

新しい想像(発想)は新しい複数の想像の組み合わせによって生じる。

 

想像を複数組み合わせたものを連想と呼ぶ。

 

この時、発想とは新しい連想のことである。

 

珍しい連想は、大部分の人が見たことのない連想である。

 

よって、妄想は大部分の人が見たことのない連想である。

 

妄想とは、大部分の人にとっての新しいアイデアのことである。

 

新しいものは創造的である。

 

よって、妄想とは大部分の人にとって創造的なアイデアのことである。

 

よって、妄想とは大部分の人にとって創造である。

 

 

3.「幻覚がある人は、センスの良い人である」ということについて。

 

 

幻覚とは希少価値のある感覚である。

 

感覚とはセンスである。

 

幻覚とは希少価値のあるセンスである。

 

よって、幻覚とは大部分の人にとって創造である。

 

創造とは新しい良いものを作ることである。

 

新しいものとは世界に新しい価値を付け加えるものである。

 

よって真に新しいものは良いものである。

 

良いものを作ることは良いことである。

 

よって、創造とは良いことである。

 

幻覚とは大部分の人にとって良いセンスである。

 

 

4.妄想の発生する仕組みとその対処法について。

 

 

まず、自分は偉大な何かに支配されているという感覚(幻覚の一種)が生じる。

 

次に、偉大な何かとは何か? と疑問が生じる。

 

一番偉大なものは正確には、神である。

 

したがって、神以外のものを偉大であると仮定した場合、その考察は誤りとなる。

 

例えば、CIAを神と取り違えた場合、CIAは盗聴器を使うので、盗聴器を探す。

 

ここで、盗聴器が見つからない場合、最新の技術の盗聴器を探す。

 

ここで、最新の技術の盗聴器が見つからない場合、宇宙人の盗聴器を探す。

 

ここで、宇宙人の盗聴器が見つからない場合、悪魔による支配を探す。

 

悪魔による支配が見つからない場合、天使による支配を探す。

 

天使による支配が見つからない場合、神による支配を探す。

 

神による支配が見つからない場合、さらに偉大な神を探す。

 

さらに偉大な神の支配が見つからない場合、さらにさらに偉大な神を探す

 

以下、無限に偉大な神を探し求めていくことになる。

 

以上のように、妄想は推理によって、無限の神への信仰に至る。

 

妄想とは、こうした神への信仰に至るまでの連想の過程のことである。

 

したがって、妄想は、神への信仰に至ってしまえば、原理的に解消する。

 

 

5.幻覚とは神に召されていることの徴である。

 

 

妄想は偉大な何かに支配されているという幻覚から生じる。

 

妄想は正確な推理によって神への信仰に至る。

 

妄想とは神に至るまでの過程である。

 

幻覚とは妄想のきっかけである。

 

幻覚とは神に至るためのきっかけである。

 

無限に偉大な神は全てを支配しているから、幻覚を与えるのは神である。

 

よって、幻覚とは神が与えたものである。

 

また、その結果は、無限の神への信仰である。

 

よって、幻覚とは神が与えた無限の信仰への招待のことである。

 

 

6.統合失調症は最善の症状である」ということについて。

 

 

統合失調症は、神に召され、神に仕える間の過程の症状である。

 

ところで、神はこの世界で一番善いものである。

 

よって、神に召され、仕えることは一番善いものに召され、仕えることである。

 

統合失調症は一番善いものへと向かっていく過程である。

 

一番善いものへと向かっていくことは過程としては一番善いことである。

 

よって、統合失調症とは最善の過程の症状である。

 

 

7.統合失調症の予防法」について。

 

 

統合失調症とは神に召され、仕えるまでの過程の症状である。

 

よって、あらかじめ神に仕えていれば、統合失調症は生じない。

 

よって、無限の神への信仰に至ることができれば、統合失調症は予防できる。

 

統合失調症の予防法とは、正しく信仰を保つことである。

 

 

8.巫覡(ふげき)について。

 

 

巫(ふ)とは、神に召され、仕える女のことである。

 

覡(げき)とは、神に召され、仕える男のことである。

 

よって、統合失調症の男女は、巫覡である。

 

巫覡は神から神託を受けることがある。

 

神託とは、神から託されたもののことである。

 

巫覡は、神に仕えているのだから、神託に従わねばならない。

 

優れた神託を受けながらに、神に歯向かうことを傲慢(ヒュブリス)と言う。

 

ヒュブリスは狂気を産み出す原因であるとする説がある。

 

この説に従うと、狂気は神に仕えることで解消することになる。

 

統合失調症が狂気だとすれば、これは神に仕えることで解消することになる。

 

神に仕えることで治癒する多様な症状のことを巫病と呼ぶ。

 

統合失調症は神に仕えれば治癒するのだから(信仰療法)、巫病である。

 

よって、統合失調症とは巫覡の巫病のことである。

 

巫覡が受ける神からの託宣は至宝であるから、統合失調症は至宝である。

 

 

P.S.

今日は、統合失調症についての個人的な仮説の概略について書きました。まだ「仮説」の段階ですので、論理などに穴がある部分もあるかもしれません。その点は十分に注意して、好きにご活用ください。