魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

統合失調症とprofoundly giftedについて

何を書こうかと考えていたのですが、時間がもったいないので思ったことをそのまま書いていこうと思います。

 

連想に身を任せて。

 

まず統合失調症について。この症状がストレスにより生じるのなら、ストレスの調整によってこれを治療できる可能性は当然考えられるように思います。ストレスとは何か? というのも極めて難しい問題ではあるのですが。

 

それにしても、色々な経験をすることは有用なのだろうな、と感じます。そして、様々な経験を積むことから生じる有用性は統合失調症に対しても効力を発揮するようには思われます。あらゆる情報、あらゆる試行錯誤が統合失調症の活用を助けるように思います。統合失調症というある種、高性能なレンズ? のようなものから見て取れる視野には無駄なものは一つも存在せず、あらゆるものが財宝として光り輝いています。少なくとも僕の場合には。どんなものを見ても、観察しても、聞いても、嗅いでも、とどのつまり、どのような感覚も有用です。勿論、何事も、過ぎたるは猶及ばざるが如し、というのはありますが。

 

YOASOBIの「三原色」はいい曲だな、と僕は思うのですが、これは特殊な感覚と言えるのか? と問われた場合、皆さんはどう答えるでしょうか? この曲は普遍的であるから、特殊ではない、と答える、あるいは、特殊であると言ってもいいのですが、では、こうした特殊と普遍の交錯には何が根本的に関わっているのでしょうね。不思議です。統合失調症が普遍であるか、特殊であるか、という問題にも、こうした意識は適用可能であるようにも思われます。つまり、特殊な感覚を通して得られた知覚であっても、その全てが特殊とは言えないし、逆に普遍的な感覚を通して得られた知覚であっても、その全てが普遍であるとは言えない、というような感じです。どのような特性を持った感覚を基礎に据える場合でも、あらゆる概念は複雑に交錯し、互いにこすれ合っては火花を散らします。情報のスパーク。こうしたスパークからある種のひらめきのようなものが生じることもあるかもしれません。

 

統合失調症というのは火花のようなものです。辺りに光を散らしては、一瞬のきらめきが空間に広がります。そして、それはしばしば連続的に生じ、または、どんなに連続的に見える点滅も実のところ離散的に捉えることが可能であると言える位相であったり、とどのつまり、種々多様な世界観の間の交錯によって生じた摩擦による火花。その光は本質的には美しいものだと僕は思います。

 

最近よく考えるのが、本当に急性期的な症状を呈している統合失調症の患者さんにどのようなアプローチが考えられるか? という問題です。オープンダイアローグはいいな、と思うのですが、では、自分には何ができるか? と考えると、思考は泥沼なので、そこで止まらずに歩みを進み続けるというのは大変なことだな、と思います。

 

書きたくない時は書かなくてもいい。そのように割り切ることでかえって文章が書けるようになります。あるいは、こうでなければならない、という先入観から自由になることも書くためには有用だと思います。例えば、殺人はダメとか、そういう最低限の枠は必要かもしれませんが、ある意味、人生は意外に自由な面も多いように思います。そして、こうした自由は寛容なもので、十分に統合失調症の概念を包摂可能であるようにも思われます。

 

統合失調症の人にも色々な人がいて、同じ人はいないのですが、その能力も個性も様々です。

 

そして、個人的に、僕がより困難だと思うのは、むしろ、能力が高い人の人生ではないか、というか何と言えばいいのかわからないのですが、僕が貢献するべき領野は能力が高めであるがゆえに困っている人達に向けた援助ではないか? と自問することがあります。

 

能力が低いことにより、様々な辛さが生ずることはありえますし、それを軽んじるべきではありませんが、自分の使命というのものを真剣に想像すると、やはり自分にできるのは、能力が高めの人達のために何ができるかを考えることくらいかな、とも思うのです。ギフテッドとか。

 

これには様々な理由があるのですが、例えば、ギフテッドへの援助は、多くの人達への援助につながると思うから、そのように書いているわけなのです。つまり、ギフテッドの概念には高い倫理意識も含まれていますから、そうした人たちを援助することは、回り回って、多くの困っている人達への援助に繋がる……そのように僕は思っています。

 

また、僕にできないことでも、僕より能力の高い人にならできます。つまり、僕に助けられない人でも、僕より能力が高い人になら助けることができます。個人的には、この機構に賭けているのかもしれません。だから、僕自身は、ギフテッドへの援助には好意的です。

 

しかし、そこにも多くの問題があることもまた自明であるようにも思います。だから、当然、ギフテッドの概念への批判があってもいい。

 

そうして、互いに切磋琢磨しつつ、未来を切り開いていければ良いのかもしれません。

 

ギフテッドに特徴的な高い感受性である過度激動にせよ、あるいはそうした人たちのアンダーアチーブメントにせよ、色々な問題があるのですが、僕の方法論は、そうした人々に投資しがちな面はあるかもしれません。良きにせよ、悪しきにせよ。また、ギフテッドはしばしば精神疾患に誤診されるリスクを持つとされてもいます。過度激動や高度に繊細な感受性の挙動が精神疾患に似ているというか、同じものだというか、その辺も詳しく考えると難しいのですが、とりあえずそういう複雑な事情があるようです。

 

ギフテッドにも種類があって、最高度のものはprofounldly giftedなどというふうに呼ばれることもあります。そして、こうした分類の機能は重要だと僕は思っているので、統合失調症にもこれに似た分類がありえるのではないかとも思います。profoundly schizophreniaみたいな。深遠な統合失調症

 

 

Characteristics of profoundly gifted individuals may include:

  • Rapid Comprehension: An advanced ability to learn and process information rapidly, combined with a need for constant mental stimulation; profoundly gifted students often work at a different pace than neurotypical peers–going far ahead or pausing to dive deeply in areas of interest. 
  • Intuitive Understanding of the Basics: Difficulty concentrating on tasks that are not intellectually challenging, including repetitious materials or rote tasks; profoundly gifted children often need less practice to master an idea or concept. 
  • Tendency toward Complexity: A need to understand the “big picture” of what they are learning; they may ask endless “why” questions or prefer to learn whole-to-part rather than part-to-whole. 
  • Need for Precision: An appreciation for nuance and a need for precision in thinking and expression; they may often respond to questions with “that depends…” and they may struggle with multiple choice assessments that ask them to make definitive decisions without an extensive contextual background to questions. 
  • High Expectations: A tendency to hold themselves and others to high standards, which can sometimes present as perfectionism or a very defined sense of justice; this may lead to challenges when understanding rules set by others or interacting with same-age peers who don’t hold the same standards.  
  • Divergent Interests: A vivid imagination and niche interests may make it difficult to connect with same-age peers; profoundly gifted students may seek out older children or adults who share their interests, or they may connect with younger children who are flexible in their thinking and engage in imaginational pursuits. 

Characteristics and Traits of Gifted Children | Davidson Institute

https://www.davidsongifted.org/prospective-families/gifted-traits-and-characteristics/より引用。

 

迅速な理解、基礎の直観的理解、複雑さへの傾向、正確さの必要性、高い期待、多様な関心。

 

ざっくり言ってしまうと、理解が凄まじく速くて、多くのことをパッと理解してしまい、複雑な問題について考えることを好み、強力な正確さへの志向を示し、自他に対し極めて高い水準を要求するような資質を持ち、多くの物事に様々な関心を向けているような人。profoundly giftedの特徴群。

 

では、僕の提唱するところのprofoundly schizophreniaの特徴をどのように考えるべきなのか……。難しい問題だな、と思います(笑)

 

そのうち、その辺についても考えていけると良いのかな、とも思います。

 

今日は、こうしたギフテッドの特徴群と統合失調症の症状を対比して考察してみます。

 

まず、迅速な理解。これはおそらく統合失調症に認められるように思います。例えば、妄想。普通の人が考えないようなことを考えるためには、普通の人よりもたくさんの思考を積み重ねることが必要です。置かれた環境が大体同じなら、後は独創性は思考速度によって培われるはずです。より多くの思考を瞬時に行うことができるから、普通の人とは異なる思考を展開することができます。

 

次に、基礎の直観的理解。統合失調症の妄想はこれに相当通じるものがあると思います。妄想は訂正不能の不合理な信念と呼ばれますが、要はこれは直観であるとも捉えられると思います。ただ、その理解の仕方が普通とは違うというだけです。独創性。

 

複雑さへの傾向。これも統合失調症にはあるように思います。というか、持論としては単純で退屈な作業は統合失調症にはあまり良くないように思います。むしろ、複雑で強度のある様々な問題に触れることが高度なデータ収集の契機となり、視野を広げることに繋がり、妄想の制御を生み出すように思います。

 

正確さへの必要性。これも統合失調症には大切であると思います。推論が不正確に陥ることで妄想が生じるとするなら、正確さを誰よりも切実に求めているのは統合失調症の患者でしょう。

 

高い期待。これも統合失調症の人に見られると思います。誇大妄想などはこれの契機であるとも考えられるように思います。要は、適切な考察によって誇大妄想を妄想でなくしてしまえばいいだけのことです。そうすれば、後には、甚大なモチベーションだけが残ります。それは莫大な精神的エネルギーとなって、統合失調症の人のバイタリティを支えてくれるのではないか。そんなふうにも思います。

 

多様な関心。これも統合失調症に対し有効に作用するように思います。なぜなら、誤った意見は偏見から生じ、偏見とは偏り見ることであるから、つまり、偏ったデータ収集によって妄想は生じると捉えられるからです。つまり、多様な関心はかなりダイレクトに統合失調症の回復、あるいは統合失調症という才能の活用に貢献するのではないかとも思います。

 

このように見ると、精神疾患とギフテッドの誤診の問題というのは難しいものであるとともに、両概念は互いに密接に関わってもいるということが見えてくるのではないかと思います。

 

簡潔に捉えれば、積極的分離に高度に成功しているのがprofoundly giftedであり、何らかの事情から社会からの分離が破滅的になってしまい、否定的分離が起こっている状態が統合失調症などの精神疾患であるとも言えるかもしれません。つまり、それらは素質としては同様のものであるか、少なくとも近いものであるが、環境との相互作用の中でプラスに開花したり、マイナスに損なわれたりする、というような感じ。

 

色々考えられて面白い点ではないかと思います。

 

さて、今日はこの辺で。

 

ではでは~♪