魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

創意工夫

最近、農学の本を読んで、「突然変異」って何なんだろうなって疑問です。突然変異は謎ですよね。謎だけど、凄まじく強力な概念ではあるのだろうな、と思います。ある意味、統合失調症とかも遺伝子の働きが関連して発症する可能性もあるという説もありますし、それは「進化」というか何らかの突然変異なのかもしれないですね。そういうふうに捉えるとなんか統合失調症はかっこいい気がしてきます(笑) 何事も捉え方次第な面はありますね。どうせ事実は変わらないので、何でもいい方に捉えてしまえばお得。無理にネガティブになって苦しむ必要もないですからね。ポジティブに統合失調症にも積極的な価値を見出していけばいいのだろうな、と思います。

 

それにしても、文章を書くと割りと色々な発見がありますね。言語は発見装置であるという説もありますから、言語を用いているうちに、色々な発見があるのはある種当たり前の事なのかもしれません。だけど、不思議です。言語という無数の組み合わせを好きにいじっているうちに、これほどに数多の発想の奔流が生じるというのは。精神医学的に言えば、こうした思考の奔流は「自生思考」とか「観念奔逸」ということになるのかもしれませんが、これほど有用な機能はなかなかないように思います。どんなものも用いようです。使い方を工夫すれば、名器に化ける。これも不思議な機構ですが、世の中ってそういうものなのでしょうね。創意工夫ができる人が断然有利。何でもプラスに活かしてポジティブライフを送っていきたい。

 

読書術などの本を見ていると、世の中には本当に色々な読書の手法があって、読書というのは奥深い技能なのだな、としみじみ感じます。読書というのは凄まじく高度な技術だと思いますが、その割に文字が読めれば、誰でも挑戦できるという敷居の低さもあります。どんなものでも高度にやり遂げるのはそれは大変でしょうけど、それでもみんなそれぞれにそれぞれの必要なものを必要な分だけ使用して、ある程度はエコロジーにも配慮しつつ、資源を有効活用していけるといいな、と思います。

 

それで、最近考えるんですけど、ぼやけた視界とクリアな視界ってあるじゃないですか。例えば、視力が弱めだと、眼鏡とか必要になると思うんですけど、世の中には多分、ぼやけた世界とクリアな世界があるんですよね。僕は視力が弱いので、眼鏡を使用することで、このどちらもの世界を経験できるのですが、これも一種「弱さ」の持つ特権ですね。弱いからこそ経験できることがある。つまり、このぼやけた世界というのは視力の強い人には持つことのできない貴重なものなのだと思います。そこで僕のアンテナがビビッと反応するのですが、つまり、これも有効活用できれば、徹底的に武器にできると思うんですよね。ぼやけた世界独特のファジーな論理性と細部に囚われない概括的把握の様式には何か黄金が眠っているように思われます。もちろん、細部に注意を払う時には、眼鏡とかあるいは顕微鏡とか、そういう道具を用いることもだいぶ有効だと思いますけど、ぼやけた視界やその世界を上手く活かすことができれば、それは圧倒的なアドバンテージになると思うんですよね。ここに宿るファジーな感覚って認知的複雑性とか曖昧さ耐性などの概念とも相まって、非常に強力だろうとも思います。ぼやけたファジーな世界の持つ芸術性、あるいはその思想性、そこにしかない感覚、センス、そうした圧倒的な経験の渦。大切にしていきたいものだな、と思います。

 

何が言いたいかと言うと、つまり「どんなものもやりよう」ということです。この世界には絶対的なプラスというものも存在しませんが、逆に絶対的なマイナスというものも存在しません。つまり、どんなものも、ヴェイユが言うところの「充溢せる注意」というようなものを対象に注ぐことで必ず圧倒的な武器に化けさせることができる訳です。これも魔術の基礎的な原理に数えてもいいくらいかもしれませんね。創意工夫が大切。

 

例えば、もしかすると、癌細胞を活用する方策もあるかもしれないですね。癌細胞が例えば、限度なしに増殖できる力能を持った細胞であるとすれば、それってある種の不死性じゃね? ってことになってくるので、それって不死への切符ですよね。もしもその細胞分裂の機制を細かに制御して、他の細胞との調和と均衡を回復できるような心理的技法があれば、手術も化学療法も放射線療法もなしに、癌を回復できるばかりか、健常者よりも癌を活用する分だけのアドバンテージを得ることも可能になります。それってできたらすごくいいと思うんです。病気で悲しむ人が減ると思いますし。

 

思うに、癌という病にも何か積極的な意味があるはずなのです。それが現代の科学技術では上手く活用し切れないだけで。そういう無益であると、あるいは無駄であると、マイナスであると切り捨てられているゴミのような現象の数々を上手に再構成して、活用するのが魔術の基本です。今後も、色々な研究を重ねて、できることなら、癌を患っている方々の希望になるような方策を少しでもいいから見つけられるといいな、と思います。そのためには、やはり、ありったけの本に目を通すことも必要ですし、そうなると寿命を延ばしたりとか、そういう技術によって上手く記憶や経験を自分の中に長期間蓄積する仕組みなどを構築する必要性も出てきて大変ですが、一度しかない人生ですし、上手くいけば救える人が山のようにいることを考えても、挑戦する価値は十分にあると思いますね。極めて難しい問題なので、僕の人生は塵となるかも(笑)

 

まあ、未来のことは誰にもわかりませんから、ぼちぼちマイペースに頑張っていきたいものです。

 

みなさんも自分にできる「創意工夫」を積み重ねてみてください。ゆくゆくはそれが誰かの傷ついた心を癒すことができるかもしれません。