魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

統合失調症の人との接し方

今日は、統合失調症の人と仲良くする方法について考えてみたいと思います。

 

現状では、大きくポイントは二つ考えられます。

 

1.なるべく愛を以って接する

2.なるべく欲求不満を生起させない

 

まず「愛」を以って接するのは相手が統合失調症の人に限らずとも、対人関係全般における基盤ですね。統合失調症の人が例外的に異質だということはないので、愛の重要性という指針も揺らぎません。

 

次に、「欲求不満」を統合失調症の人に意図的に生起させるような手法は害悪でしかありません。一般に、欲求というのは虐げられたり、迫害されるほどに肥大しやすく、何らかの被害体験や心の傷を刺激されるごとに、その強度を増します。例えば、自己愛性パーソナリティ(ナルシシズム)のような例を考える場合でもそうで、彼らは確かに周囲の人に迷惑をかけることもあるかもしれませんが、彼らのしていることは、彼らが「今までにされてきたこと」でもあります。つまり、被害者が加害者に対して「復讐」しているだけなわけです。ハンムラビ法典ですね。目には目を、歯には歯を。統合失調症の人の場合でもそれは同じで、例えば何らかの妄想症があるとして、それを単純に「肥大した権力欲によるものだ。そんな人と仲良くなろうとしてはいけない」などと言って、分断を煽り、患者を孤立させることは、より被害者達の妄想を強化することにつながりかねないと思います。妄想のある人には正義や愛を特に大事にする人もいて、そうした人は他者からのコントロールや不正な支配及び攻撃に対して非常に敏感に反応する性質があります。少しでもこちらが相手に敵意を抱いていれば、そうした悪意はすぐに見透かされてしまうでしょう。結果として、妄想による防衛反応が起きてくると考えられます。彼らは被害者であり、妄想によって自分を守っているだけなわけです。ある種の正当防衛ですね。

 

特によくあるパターンは患者の方では特に(妄想などの精神的)武装をしていないのに、医療者の方で「統合失調症の人はこういう人だから」と先入観を抱いて、それを患者に強制的に押し付けようとするパターンです。それによって医療者の方では自分の見識は正しいというふうにその「肥大した」自己愛を満足させようと、患者を攻撃するわけですね。僕もこうした瞬間を見たことはあります。感情の機微やコミュニケーションの機微に悪意をにじませていますので、現時点で公的に立証するのは難しいかもしれませんが、いずれ現行の医療者達のそうした姑息な虐待の数々が明るみに出る日は来るでしょう。神はどんな微妙な不正も正確無比に公平に裁いてくださるだろうからです。仮に僕たち統合失調症者が「弱者」であるとして不当な差別を被っていたとしても、僕たちが正しくある限りは、神は僕たちを捨てないでしょう。それくらいに正義というのは大切なものです。

 

さて、現行の医療組織における査定が公平に行われる可能性は今後も非常に低いと思います。彼らは愛するのではなく、愛を剥奪することを目指し、楽しませるのではなく、苦しませることを目指します。愛のない世界は剣の鳴り響く修羅の世界であり、苦しみの極致は地獄そのものでしょう。

 

以上のように、現行の医療的な状況の場合には、主に、患者の周囲にはオープンダイアローグ的な意味をも含めた「愛」が不足しており、また患者たちは現行の法の網の目を通過できるような患者を欲求不満に陥れて餌を投入することでコントロールや支配を為すことを意図する類の「細かな虐待」を日々受けることで学習性無力感としての一種の無為自閉的な徴候を呈しているように見られる場合もあります。

 

確かに、欲求不満は大なり小なり誰にでもあるものであるし、正義に適った真の愛など健常者でもそうそう得られるものではありません。しかし、少なくとも、「治療のため」と嘯きながら、患者を意図的に欲求不満に陥れてコントロールしようとしたり、意図的に患者から愛が生じうる機会を剥奪することは完全に間違いであると言えるでしょう。

 

まず、統合失調症者達は、以上のような多くの不正な差別と虐待を被っているのだ、ということは確認しておきます。

 

その上で、彼らにどのように応対すべきか? と問います。

 

ここまでくれば、明瞭に理解できるように思われます。不足しているものを補い、過剰なものを剥ぎ取ればよい。

 

つまり、統合失調症者達から奪われている愛や欲求の充足を、少なくとも健常者と同レベルの水準まで回復する(アファーマティブアクションはありえる)。統合失調症者達に強いられている不正な偏見やスティグマ、虐待的なロジックを適宜解除する(適切な弁護者と悪と戦えるだけの知能を統合失調症者の方でも養成し、公益に貢献する姿勢が大切)。

 

簡単に言うと、

 

1.統合失調症を治癒させるのは(オープンダイアローグ的なものも含めた)愛である。

2.現行の治療環境は患者から愛を奪い、患者を欲求不満に陥れることで支配している。

3.精神疾患の患者は感受性が鋭く、治療者の悪意やコントロールに敏感に反応する。

4.治療者が悪意による攻勢を仕掛け、それに患者が応戦する形で妄想などが展開する。

5.先制攻撃したのは治療者である場合が多いが、治療者はそれを偏見で隠蔽する。

6.現行の治療環境は、真の「治療」から遠ざかり、人を支配する方策を醸成している。

7.現行の精神医学には多くの問題があるが、一つは患者を孤立化させる傾向である。

8.対策としては、端に健常者と障害者に機会の平等を提供できればひとまずはよい。

9.例えば、患者から人間関係を剥奪しない、愛を阻まないなど当前の倫理観が大切。

10.当たり前のことを当たり前にできれば、理論的に統合失調症は何らか改善しうる。

 

というようなポイントがあるように思います。

 

具体的な統合失調症者への対人手法としては、「普通に愛を以って接することができれば、一番善い」ということです。その際に、なるべく相手を支配したり、コントロールしようとしないことも大切です。統合失調症の人が基底欠損状態とでも呼べるような状況にある場合には、彼らは心を見通すある種の千里眼のような能力を発揮できる場合があります。かなり些細な悪意でも正確に読み取られてしまう場合もあり、その意味で彼らには「鏡」のような性質があります。彼らの心にはそっくりそのままこちらの心が映っていると考えると分かりやすいでしょう。こちらが悪意に飲まれていれば、そこには悪意が映りますし、こちらが善意で接していれば、そこには善意が映ります。支配欲があれば、支配欲が映し出されますし、下心があれば、下心が映し出されます。統合失調症当事者の自我が消退している場合(自我障害)には、特にそうであるように思われます。彼らにはエゴを消し去り、自他境界を溶かし、相手に同化する一種の心的能力があります。

 

さて、仁者無敵、という言葉があります。

 

本当に相手を愛することができるなら、それこそがどんな治療薬よりも治療的なものとなるでしょう。

 

今日は以上です。

 

 

この身体を受け入れ

共に行こう 名前のない怪物

 

(EGOIST, 「名前のない怪物」,2012 歌詞より引用)