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魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

自殺とか努力とか悪魔の証明とかについて

魔術について

 ネットで見たんですけど、日本のLGBTの人って、リベラル主体じゃないんだ。

 

 そうなのか……

 

 すると、これは、何だろう? 自由主体ではないということは、何らかの退行とか固着というふうに見るのが妥当なのだろうか? でも、うまく芸術的に昇華できてる事例もある気がする……てか、ゲイの方って、女性嫌悪強いんだ(もちろん、全てのゲイの方たちがそうだということではないのだろうとは思う)……ふむ。

 

 保留だな(笑)

 

 世の中は謎だらけでおもしろいですね。ホント飽きないです。

 

 自殺について。

 

 まず、因果則がいかなる場合にも成り立つと仮定しましょう。

 次に、「あなたの世界」を、「意識」と呼びましょう。

 そうすると、自分の意識にも原因となる意識が存在するというふうに考えられます。その今の意識の原因となった意識のことを、「前世」と呼びましょう。

 それで、因果則というのは似た者同士でまとまっていますね。数学の因果則は数学同士でまとまっていますし、哲学の因果則は哲学同士でまとまっています。

 したがって、あなたの意識と前世も似た者同士でつながっているというふうに想定できます。

 この場合、あなたが自殺、つまり、自身の体の損壊を行った場合、あなたの次の意識、つまり、「来世」において、自身の体の損壊が行われることになります。そして、因果則を経るごとに、その傾向は強まっていくでしょう。この現象を、「泣きっ面に蜂」と呼びます。

 したがって、この現世においては、できる限り、自身の身体を損壊しない方(例外はありますが)が、長期的にみて、よりよい生活を送ることができるであろうと想定できます。

 なので、自殺は、個人的にはお勧めしない、というふうにはお伝えはしておきます。一つの意見としてご参考下さい。

 

 努力について。

 これは僕も、けっこう苦手だな(笑)。僕勉強しますけど、これ好きでやってることですからね(笑) 努力ではないかな、と思います(笑)でも、医師とか家族から勉強ばかりしていると頭おかしくなるからやめなさい、って前に言われました(笑)。傍から見ると、努力しているように見えるのかもしれません。

 好きなことなら、努力できるのではないかと思います。堀江貴文さんの『99%の会社はいらない』という本をお勧めしておきます。これから会社はどんどんなくなっていくかもしれませんね。社会が機械化していくことで、労働が無くなっていくというモデル自体は、確かマルクスのころから書かれていることですので、さほど突飛ではない話だとは思います。ご参考下さい。

 僕の場合、親戚の方に読書家の方が多くて、周りにたくさん本がある環境にあったので、たくさん読書をするのかもしれません。なので、例えば、勉強とかであれば(この場合、学校の勉強というよりも、個人的研究かな?)、まず環境から変えてみるのも手かもしれません。大量の本を買ってきて、自分の周りに積んでおくとか。それだけでも結構違うと思います。僕がお勧めしたいのは、超難しい哲学書を、兎に角一度、無理矢理読み切ることです。すると、パッと奇跡が起こる……かもしれません。『純粋理性批判』とか『存在と時間』とか『千のプラトー』とかあたりがいいんじゃないかな、と思いますので、気になる方は、一度お試しあれ。何もわかんなくても大丈夫です。僕も最初、「何言ってんだこいつ?(イラっ!)」ってなりました(笑)ご健闘をお祈り申し上げます。

 

 あと、恋愛について。これどうしようかな。僕とかこの問題、基本的にあんまり詳しくないので、そんなに当てになること言えないかもしれないですけど、理論なら、書いてみることはできるかもしれませんね。ただ、恋愛は、理論ではない、という意見も根強いと思いますので、いささか書くのに気が引ける分野ではあります(笑)

 そのうち、気が向いたら、恋愛カテゴリーを追加するかも知れませんね。みなさんの参考になるかどうかはわかりませんが(笑) これは、何だろう? 多分、呪術になるんでしょうね。カテゴリーで言うと。でも、呪術って直観に比べて、あんまり効率が良くない気がしますし、ちょっとソフィスト的なところが(つまり、本来目指すべきイデア(僕がこの言葉をつかう場合、概ね「直観」のこと)を目指すのではなく、目先の利益に誘導することで人を動かすこと。これを「弁論術」という。逆に言えば、イデアをめざした言説自体はたとえ主客を前提しなくとも、詭弁とは、僕は呼ばない)あります。とは言え、「本来」って言葉もむずかしいですけどね。一体何が本来で、何が非本来なのかとかって、僕にも正直分からんですし(笑)「本来性」の問題ですね。これはすこし間違うと、優生思想に転ぶ恐れもあるかと思いますので、ご注意を。「俺が本来だ!!」「いいや俺が本来だ!!!」……みたいな(笑)

 

 疑似科学と科学の問題について。

 

 これね。科学者の方とかだと、「ほとんど問題はない、これらはほとんど完璧に区別可能だ」、と考えている方が多いのかもしれません。

 とりあえず、僕の意見を書きます。まず、科学は部分だけではダメだと思いますけど(多分、何でもそうなのだと思いますが)、全体としてはおそらく、ある程度理に適っているのだろうとは思うのです。ただ、そのあらゆる仮説は、ある部分を訂正すると、別の部分を訂正して、調整する必要に迫られます。すると、一部を調整するだけで、全体が変質するのです。そして、要素数は無数ですから、これらの全体の変質を逐一くまなく見るのは、多分人間の力では現時点では無理であろうと。だから、おそらく科学は少なくとも現時点では万能ではなく、万能ではない限りにおいて、ある程度、現時点で非科学とされる疑似科学にも居場所を認めなければなるまい、みたいな意見です。ご参考下さい(科学に限らず、「これが絶対の真理だ」と言い張る(言ってもいいのですが、強制はよくないかもしれませんね)のは、ファシズム的危険があるかなあ、と個人的には思いますので)。僕にとっては、なかなか難しい問題です。

 

 悪魔の証明について。

 これは、全知でなければ解けない問題かもしれませんね。ヘンペルのカラスとか。宇宙どころか多世界も全部あらゆる時空間においてあらゆる解釈を用いて探索しつくさなければ、白いカラスの非存在は証明できませんね。これは、何でも同じなのではないかと。個人的には、数理科学だけが、特別なものだとか、絶対の真理だとかは思いません。数理科学が無意味だとは言いませんし、実際役に立つのだろうとは思いますが。それはほかの学問も同じことかと。数理科学が一つの真理なのなら、哲学も心理学も社会学精神分析学も経済学も民俗学も宗教学も神学も、全部それぞれに一つの真理であろうと個人的には思います。少なくとも役には立つのではないでしょうか。

 

 「本音」という概念について。

 

 いつだったか、ある人の話を聞いていて、「ぶっちゃけると他人のこととかどうでもいいよね」とおっしゃっていました。それで、ぼくが利他主義と利己主義は同じものではないか、みたいな話をすると、「理屈はそうかも知れないけど、ぶっちゃけどうでもいい」と言われました(笑)。「ぶっちゃけ」という言葉。超強い(笑)この言葉、万能の概念かも知れませんね。マジヤバいです。一体、このぶっちゃけにどのように対抗すればいいのか、僕には想像できませんし、そもそも対抗するべきなのかどうかも僕にはよくわかりません。彼は彼、僕は僕、ということかもしれません。ぶっちゃけにはぶっちゃけで対抗するしかないのかもしれません。ぶっちゃけ。

 

 今日はこんな感じかな。それでは、みなさん、おやすみなさい。