魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

機械と生物の「言語」に対するシステム上の差異について

今週のお題「大発見」

 

はてなブログで、最近の「大発見」についてのお題を募集していたので、僕も少し書いてみようと思います。

 

僕の最近の大発見は、パソコンの「キーボード」についての知見がその契機になりました。それについて書いてみます。

 

パソコンって色々な言語インストールすると、色々な言語のキーボードで色々な国の文字が打てるんですよね。それで僕は語学が好きなので、どんどん色々な言語のパッケージをインストールしていくわけですね(笑) すると……「キーボードの切り替えが面倒くさくなったぞ!」ということに気づきました。当たり前ですね。無計画に言語をインストールしまくってた僕が悪いのですが、この話には続きがあって、これは言語の勉強の話なのですが、つまり言語をたくさん勉強していくごとに、言語が混ざったりしてくるんですね。言語ごとの切り替えが難しくなって、ある種の「クレオール化」とでも言うべき現象が生じていることを発見して、「これはすごい……」と一人で感動していました。僕はもともと統合失調症があるので、いわゆる言語新作のような新しい言語を創り出すような症状はあるにはあったのですが、その様子が以前よりも鮮明に見えるようになった気がしました(有名な人だとウィリアム・ジェイムズ・サイディズなどもオリジナルの言語を創っていましたね。ちょっとシンパシーです)。

 

ここにはいくつかの気づきのポイントがあって、次の三つの論点に集約できます。

 

  1. 複数言語を勉強するとそれらが混ざることがある。
  2. 言語間の混淆が起きると、新しいクレオール化した言語が生成されてくる。
  3. そうした新しく生成された「言語」は目下のところ自分にしか解読できない。

 

それで、僕の頭の中ではそういうオリジナル言語の生産が生じていますが、デジタル機器の中ではそうした混淆的な創造が起きていない……わけなんですね。これも面白い気付きだと思います。おそらくここにはAIに対する人間の優位性というか、一つの特徴があるのだろうな……というのも僕なりの大発見でした。言語は面白いですね。とてもとても。