魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

労力のかかったそれぞれの「作品」

最近よく思うのが、何をするにしても「労力」というものがかかるのだな……ということですね。どんなに些細に見える事柄にも無数の労力がかかっているということを実感することが僕には多いかもしれません。

 

文章を書くのにも労力はかかっていますし、もっと言えば呼吸したり、歩いたり、楽器を演奏したり、翻訳したり、読書したり、スポーツをしたり……そういうことの全部に膨大な労力がかかっていますね。すると「生きる」ということは本当に大変なことなのだろうなと思います。

 

そんなわけなので、生きるということは紛れもなく偉業だと思いますね。だから、今がどんなに苦しかったり、悲しかったりしても、それでも強く生きている人はみんな英雄と云っても差し支えないくらいではないかなと思います。

 

では、不幸にも亡くなってしまった人たちは「英雄」ではないのか? という問いもありえてくるのですが。結論から述べれば、そうした人たちだって必死にこの世と戦い抜いて生きてきた軌跡があるのですから、英雄だと思います。だから、この世界のどんなものも無限に大事なものなのだなと強く感じます。

 

要は無駄なものってなにもないので、すべてのものに無限の労力と言うかエネルギーのようなものが宿っているのだと思うんです。だから、少なくとも基本的な路線としては誰一人取り残さないことを目標にしていく必要があるのだろうなとも思います。

 

今この時にもすべての人が有償や無償を問わず、無数の「労働」をしていて、その中には家事などの給与の発生しない労働もありますし、あるいはとても安い賃金だとしても、本当に過酷な労働に勤しんでいる立派な人たちもいるものと思います。そういう人たちはすごく立派だなと僕などは思います。

 

芸術などの何らかの作品にはものすごい労力がかかっていて、一流のものは集中的に無限とも言える労力が見事に結晶化されています。学術などの場合でもそうで、すごいものは本当にすごいです。バラキレフとかカントとか他にも無数の古典的な天才がいます。

 

それで、そうした「作品」というのは何も芸術や学術だけの「特権」ではないんですね。すべてのものが何らかの労力をかけていて、その限りで何らかの「生産」をしています。今この時にも、誰一人例外なく。

 

例えば、日々食べている料理も「作品」の一種ですね。あるいは歯磨きの仕方やお風呂の入り方、眠りのリズムの構成手法、スマホの扱いの熟達……すべて「作品」だと言えると思います。

 

そして、僕たちの最大の作品というのはそれぞれの「自己」そのものだとも思います。僕たちはどのような労力をかけて、どのような明日の自分を形作っていけるのか……そんなことが問われている昨今なのかもしれません。

 

あなたの明日にそのセルフの輝きが宿るように。祈ります。