魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

大丈夫

「あなたのことがすごく嫌い」

 とユリは言った。

 ウサギは、その言葉にショックを受けた。

 ユリとウサギは友だち同士だった。

 親友と言ってもいい、かもしれない。

 まさか、ユリがウサギのことをそんなふうに思っているだなんてウサギには思いもよらないことだった。

 ウサギは泣いた。

「私の何が嫌い?」

 とウサギは言った。

「優しい振りしてるところ」

 とユリは言った。

 たしかに、ウサギはすさまじく猫かぶりだった。むしろ、猫そのものなんじゃないかというくらい猫かぶりだった。

 ウサギはそんな自分を恥じた。

「鏡を見て」

 とユリは言った。

 ウサギはユリから手渡された鏡を見た。

「何が見える?」

 とユリは言った。

 鏡に映っているのは、ただのウサギの顔だった。特に何の変哲もないようにウサギには思えた。

「私の顔」

 とウサギは答えた。

「そうだね」

 とユリは言った。「すごく不細工だよね」

 ユリのその言葉が、ウサギの胸を突き刺した。

 ウサギは、自分が美人だとは思っていなかったものの、せいぜい普通くらいの容姿だろうと思っていた。

 しかし、ほかならぬ親友――あるいは親友だとウサギが思っていた――ユリから不細工だと言われたことは、とてもショックな出来事だった。

 ウサギは、すごく悲しい気持になった。

「私って、そんなに不細工?」

 とウサギは言った。

「もちろん」

 とユリは言った。ユリはなんだか満足そうだった。

 ウサギは、なんとか気を取り直そうとした。

 まあ、不細工だとしても、なんとか生きていくことはできるだろう、とそう前向きにとらえ直してみた。ユリがウサギのことを嫌っていることはとても残念だったが、でもそれもしょうがないことだ。ユリがそう選択したのなら、ウサギはそれを受け入れようと思った。

「私は、不細工かもしれないけど、それでも、ぼちぼちやっていくよ。多分、不細工だとしても、それなりに楽しく生きていけるはずだから」

 とウサギは言った。

 ユリはなんだか不安そうな顔つきになった。

 ウサギはそのことをとても不思議に思った。

「どうしたの?」

 とウサギはユリに聞いてみた。

 すると、ユリは泣きだしてしまった。そして、

「私、あなたのことが好きなの」

 と言った。

 ウサギはきょとんとしていた。ユリはウサギのことを嫌いと言ったり好きと言ったりする。とても不思議な娘だな、と思った。

「でも、私不細工だよ?」

 とウサギは言った。

「そんなのただの私の主観よ。私はあなたが好きなの」

 とユリは言った。

 ウサギにはユリの言っていることが今一つよくわからなかった。しかし、ここは、論理的に相手を問いただすような局面ではないようにも思えた。

「ユリが私のことが好きだって言ってくれて、私は嬉しいけど」

 とウサギは、ユリに微笑みかけてくれた。

「でも、大嫌いなの」

 とユリは言った。

 事態がこうなってくると、もはや、ウサギには何が真実なのかさっぱりわからなかった。ただ、とりあえず、ユリに対してできる限りの応対はしようと思った。

「つまり、ユリは、私のことが大嫌いだけど好きだと?」

「そう、ダイキライ。だけどスキ」

「なんか複雑な感情なんだね」

「そうだよ。どうして、あなたみたいな不細工な人のこと好きになっちゃったのか、自分でもわからないの」

「でも、不細工な私のことが好きって、なんかうれしいよ。容姿じゃなくて、私の中身が好きってことでしょ?」

「そうだけど。そうじゃない」

 とユリは言った。

 どうも、ユリの言うことは、ウサギにとって、難しすぎた。ユリが何を言いたいのかが、どこまでもつかめない。ユリは続けて言う。

「あなた、美人よ。どうしてわからないの?」

 ウサギの頭はますます混乱した。ウサギは、不細工と言われたり美人と言われたりしたことで、どっちが正しい自己イメージなのかがわからなくなった。もしかしたら、正しい自己イメージなんてものはありはしないのかもしれない、そんな気がしてきた。何が何だかさっぱりわからなかった。

「つまり、私は不細工で美人で、ユリはそんな私のことが、嫌いで好きなのね?」

「そういうこと」

 とユリは言って、紅茶を飲んだ。

 ウサギもつられて紅茶を飲んだ。

「それは、矛盾ではないの?」

 とウサギは言った。

「とても、難しい」

 とユリは言った。

「矛盾かもしれないし、矛盾ではないかもしれないということ?」

「すごく簡単に言うと、そうなる。多分」

 ユリはなんだか自信がなさそうだった。

 ウサギは個人的に、ユリが何か言いたいことを隠しているのではないかという気がした。しかし、ウサギとしては、ユリのプライバシーを詮索するつもりはなかった。それは、ユリに対して、失礼な行為になってしまうかもしれない。

「言いたいことがあるなら、言ってくれてもいいし、言いたくなければ、何も言わなくてもいいよ」

 とウサギは言った。

「どうして、聞いてくれないの?」

 とユリは怒った。

「何を?」

「私のこと知りたくないの?」

「もちろん知りたいけど」

「知りたいのに、何で私に素直に尋ねないの? 何でなんでもそうやって自分一人で解決しようとするの? どうして、一言私に尋ねてくれないの? 私って、あなたにとってただのお飾りでしかないの? 友達じゃないの?」

「ごめん。ユリがそういうふうに思っているなんて知らなくて。確かに、私は何でも一人でやろうとしすぎる傾向はあるのかもしれない」

「私、もっとウサギに頼ってほしいの」

「じゃあ、頼るよ。今度から」

「ホント?」

「ホント」

「それで……」

 とユリはもじもじとした。

「どうしたの?」

 とウサギは尋ねた。

「私、ウサギにお願いがあるの」

「何?」

「私を殺してくれない?」

 ウサギは、ユリのその言葉に、絶句した。

 文字通り、どうしていいか分からなかった。しかし、動揺している場合でもないような気がした。

「ユリは死にたいの?」

「そう」

 ユリは頷く。「私死にたいの」

「それはどうして?」

 ウサギは、慎重に言葉を選んていこうと努めるが、何が正解かなんてもちろん、全然分からなかった。ただ、自分の精一杯の気持ちで、ユリを受け止めようすることしかできなかった。

「分からない」

 とユリは言った。「でも、あなたに殺してほしいの。すごい迷惑なのはわかるし、こういうことお願いする私が人でなしなのも分かってるの。でも、ダメなの。どうしてもダメなの。自分でもどうしようもないの。悲しくて悲しくて、しょうがないの」

 そう言って、ユリは泣き崩れてしまった。

 ウサギの頭はパニック状態だった。しかし、それを表に出してしまえば、そのことがユリのことを傷付けてしまうかもしれない。

 平静を装いながら、ウサギはそっとユリを抱きしめて、取りあえず髪をすいた。

「私には、ユリのこと殺せないよ。わかるでしょ?」

 とウサギは言った。

 ユリはただただ泣いているばかりだった。

 ユリの心は『何か』に致命的に傷つけられていた。しかし、その何かが一体何なのかは、ウサギには全く分からなかったし、おそらく、現状でわかっている人間はいないのではないかとさえ、思われた。それくらい謎に包まれていた。何もかも謎だった。ユリは、ひとつの『秘密』だった。その秘密は今や、誰にも暴くことはできない。

「大丈夫」

 ウサギは言った。自分で言っておいてなんだが、ウサギには、一体何が大丈夫なのかは分からなかった。それでも、自然に口を突いて出た言葉は、「大丈夫」という言葉だった。

 

 大丈夫……大丈夫……

 

 その言葉が、ユリに届いたかどうかは分からない。

 ユリはウサギの腕の中で眠る。

 辺りには花が咲いていて、とてもきれいだ。

 ユリもウサギもとてもきれいだ。

 

 ウサギは、その後、ユリが精神科に通っている話を聞いた。

 ウサギはその話を黙って聞いていた。

 ユリは、統合失調症というものに罹患しているという話だった。

 ウサギにはそれが一体どんなものなのかは分からなかった。しかし、ユリの精神が、極度に追い詰められていることだけは、手に取るように分かった。

 

 大丈夫……大丈夫……

 

 何の根拠もない。空虚な言葉だ。しかし、そんな言葉が力を持つこともあるのだ。たとえ、それが、砂上の楼閣のような脆弱な論理構造しか持たなかったとしても。

 

 大丈夫……大丈夫……

 

 ユリ、大丈夫だよ。大丈夫。私がいるからね。大丈夫。大丈夫だよ。きっと大丈夫。何とかなるよ。きっと大丈夫だよ。何が恐いの? 私のことも恐い? 大丈夫。私も恐いよ。自分のことが。でも、大丈夫だよ。ユリが一緒にいてくれるから。大丈夫。

 

 大丈夫……大丈夫……

 

 

 

 大丈夫……大丈夫……

 

 ユリが私のこと嫌いになっても、大丈夫。ユリが私のことを好きになっても、大丈夫。私が不細工でも、美人でも、そんなことはどうだっていい。大丈夫だよ。大丈夫。ユリが好きなように考えたらいいよ。誰もバカにしないよ。好きなこと考えて、好きなこと信じていいんだよ。ユリの感じていることは妄想なんかじゃないよ。大丈夫。大丈夫。絶対大丈夫だよ。ユリは誰よりも、命に真剣に向かい合っているよ。すごく純粋だよ。私が保証する。だから、死にたいって思うこともあるよ。それでもいい。大丈夫だよ。大丈夫。私は無責任で馬鹿な人間だけど、ユリのことは大好きだよ。大丈夫。きっと大丈夫。ユリの言葉は、きっとユリに届くよ。そうしたら、綺麗な百合の花が咲くよ。

 だから、もうすこし一緒に生きてみない? きっと楽しいことあるよ。大丈夫だよ。私が保証するし、何度だって断言するよ。どんなに無責任だって、何回だって。大丈夫だよ。本当に、絶対に大丈夫だから。今はゆっくりお休みなさいな。

 

 本当は、ウサギは恐くてたまらなかった。自分の言葉が確かなものだという確信もなかった。しかし、ここで自分が折れてしまったら、一体ユリはどうなってしまうのだろうと思うと、それがもっと恐かった。ウサギには人の人生に責任なんて持てる器はなかった。ただ、思いのままに、そっとユリのことを抱きしめることしかできなかった。

 

 大丈夫……大丈夫……

 

 そう呟くことしかできない。ウサギには、それしかできない。