魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。連絡先アドレス:「mmaazzyyuu@gmail.com」 何かありましたらまずはお気軽にご相談ください。基本的には何でもどうぞ。できることには無論限りはありますが。

経済術(お金の生成のタイミング)

 秋は辛い季節ですね。

 そろそろ秋がやってきます。 

 僕は寒いのが苦手なので特に注意しないといけないなと思っています。防寒対策をあらかじめしておくのは大切なことですね。人生、春ばかりとはいかないです。まったく、生き物の運命とは世知辛いものですね。

 

 さて、今日は、何の話をしましょう。一応、今日はもう一つ既に、小説? みたいなのを投稿したのですが、これだけだと寂しいので、魔術についても何か書きたいと思います。

 

 今日は簡単に経済のことについて少し考えてみたいな、と思っています。一応、補足知識として、『経済術』という記事がこのブログにあるので参考になさってください。

 

 今回取り上げたいのは、いったい、価値はどの時点で通貨になるんだろう? という話です。

 

 僕は色々とこれについて考えているのですが、なかなか答えが出ません。難しいです。

 

 まず、金銭と呼ばれるものが、いったいどの程度、「価値」と呼ばれるものを体現しているのか、というのがとても難しい問題だな、と思っていました。

 

 それとも、お金のことを価値と呼ぶ、という説もあり得ます。この場合、お金が基準となるので、お金にならない事は価値がなくなります。しかし、これは、どうもあまり現実的な考えではないのではないか、といった感がぬぐえません。

 なぜなら、僕たちは、価値という概念をお金になる前のものにも適用しているように見えるからです。

 とはいえ、この場合でも、お金に将来なり得るものだから投資をしている、というふうに言い換えることもできますから、すると、やはり、お金が価値なのでしょうか。そもそも、価値とは何なのでしょう。

 

 少なくともわかるのは、お金に変わる価値というのは、計測しやすいということですね。そういう価値は目に見えやすい。しかし、だとすると、ボランティアに意味がないのか、というとそれもまた暴論かも知れません。すると、直接お金にならない活動にもそれなりの価値はあるのだろうとは思います。

 

 しかし、ボランティアは間接的にはお金になるように思います。なぜなら、ボランティアをすることで、援助される人がいて、その人の労働力が回復したり、社会貢献が回復すれば、社会全体では、生産能力が上がっていると考えられるからです。つまり、お金になる。

 

 そう考えると、やはり、お金が価値の基準ということになるのでしょうか? お金とは交換の手段ですから、交換が成立した段階で、価値は生じる、ということになるのかもしれません。

 

 少なくとも、価値が証明されるのはおそらく、交換が成立した瞬間ですよね。それまでは、その商品なり、物品に価値があるかわからないし、どの程度の値段がつくかも今一つ証明性には欠けるところがあるのかもしれません。

 

 すると、価値の証明はお金によってなされます。しかし、その前にその物品に価値があるかどうかは証明されておらず、証明困難なものの存在についてどう考えるかによって、次の立場が考えられてくるのではないでしょうか。

 

 一つが、証明困難なものは、存在しないものである、という立場。

 もう一つが、証明困難だが、存在する可能性がある、という立場。

 

 もしも、前者の立場を取るなら、いったい、どのように、価値が生成されているのかが非常に気になるところです。

 

 僕たちが、「交換」という行為をおこなったその瞬間に、「価値」なるものがどこからともなく生成されてくるとすれば、これは、まさに神秘と言うしかありません。

 

 もしも、後者の立場を取るなら、では、そのもともとあった価値が、どのような変化の過程を経て、お金となるのかがとても気になります。

 

 どうやって、変化してんだろう?

 

 お金とは何なんでしょう?

 

 お金とは信用だ、という説がまずあります。

 お金は確かに、未来の約束をする面がありますから、約束という観点から見ると、確かにお金とは信用なのかもしれない、と思います。

 

 あと、お金とは、労働である、という説もあります。つまり、お金の価値は、労働によって決まる。

 これも一理はありそうです。労働しないとお金は生じませんから(基本的には)。

 

 あと、お金とは、使用である、という話も聞きますね。つまり、お金の価値は、それを使用する段階で決まるという説です。この場合、お金は使用する前まで、価値が変動し続けていることになり、つまり、いつ買い物するかによって、損得の度合が違う、ということも考えられます。

 

 どの場合でも、おそらく、価値は可変的です。信用も、労働も 使用も、その度合いは、全部変化すると思いますし。しかし、その可変した価値が、どの程度、価値の決定に反映されるのかは、微妙なところです。これは、お金の価値計測の「精度」の問題ですね。一体、お金は、僕たちの世界をどの程度正確に表現しえているのか、という問題です。とても難しいです。

 

 何とかして、このお金になる前の、前形態の価値についての考察を深めたいと思っているのですが、なかなか難しいですね。

 

 この話の続きは次回します。