魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

僕の統合失調症の「妄想」によるものと思われる想像上の「世界」について(個人的な体験です)

今日は、僕の想像というか妄想? が作り出したと思われる想像上の「世界」について簡潔に記録してみたいと思います。多分、統合失調症の症状による副産物というか、そういう系の何かなのではないかと個人的には考えています。

 

僕はそうした僕の中の想像上の世界で割とよく遊んでいることがあります。そうした遊びというか探検? のようなことをしていると、とても楽しく、快感があります。その快感のレベルはかなり強い部類のものではないかと思います。僕は創造的な行為に従事していると快楽が生じる質らしいのですが、おそらくこうした妄想もそうした創造的な行為であるかあるいはそれに類する何かなのではないかとは思います。

 

その世界は、四方に向かって無限に伸び、上下にも無限に伸びています。無限に高い天に、どこまで掘っても尽きる事のない無限の大地に支えられています。全体は球形かもしれないし、そうではないかもしれません。あまりにも大きすぎて、地形の平均的な曲率が僕の持ち得る視認の精度では計算できません。また、一度、世界を計測しても、世界の様態が知らぬ間に、変転している事もあります。そのたびに、地図を作り直す必要があります。

 

僕がいる場所には、大きな家があって、その中には、無限の回廊が幾つにもなって並んでいます。絵や彫刻、あるいは音楽などが無数に飾られていますが、画用紙が備えられています。その画用紙なり、キャンパスなりに、記憶したい事項を投げ込んでおくと、ある程度それを保存しておくことができます。回廊を歩いていて、その道が尽きたことがないので、この家の正確な大きさも僕には分かってはいません。

例えば、画用紙に卵を投げつけると、卵が紙にこびりついてそのまま保存されます。しかし、記憶は経年劣化の作用を受けるようで、上手く思い出せないようになっている記憶も多々あります。そうした記憶は、ノイズがかかったようになっています。その有様は、テレビの画面に走るノイズの様態に似ているように思われます。また、絵の中に飛び込むと、その絵に描かれた世界に移動することができます。

例えば、肺の図などが描かれていれば、肺の組織の中にダイブする事ができます。想像上の細胞内を探検する、という感じ。すると、医学的な知識などを勉強する時に、役に立つ諸所のイメージが得られます。この想像世界の中の絵画という存在の持つ、ワープの特性を利用して、この世界の散策を楽に行うことができます。行ったことがある場所であれば、楽に構成して、その場に赴くことができます。

また、記憶の対象は絵には限らず、音でもいいし、文章でもいいようで、世界の一部には、ドストエフスキーの小説の世界が保存? されていて、よく(想像上の)イワンと会話します。

 

音楽から諸所のイメージが産出される事もあります。音楽から一つの王国なり、世界が創造されてくることもあり、これにも快楽が伴います。

 

電線のように無数の光の回路がこの世界には走っていて、そうした回路を用いることで、高速でデータを処理することができます。言葉を使う思考よりも、速い速度で、正着打を導き出すことができたりする事もあります。光の思考、と個人的には呼んでいます。

 

光の思考について少し詳述しておきます。

 

光にも形態や色に様々なものがあり、触覚、匂いも異なります。

例えば、デリダは、楔形の虹色の光と円形のしかしやはり、楔形にへこんだ部分を無数に持っている、たくさんの屈折した微粒子として感じられます。この図形? を上手く用いると、言葉による思考の結果を、早く検算する事ができます(思考の過程に間違った部分があると、光が真っ赤に光ります)。

 

桜の木に似た形の光もあります。仏典に記述された黄金樹に似ていますが、黄金樹は眩いのに対し、桜の木の中心は暗闇であるという違いがあります。黄金樹はどこか豪奢で、昂揚的なイメージであるのに対し、この桜の木は正義の裏側の概念に多く結びついています。

 

カントは、太い一つの光線です。直線に似ています。ドゥルーズはバナナの様な形をした円形を何かの規則によって正確に砕いていったような不思議な形をしています。何かのフラクタルかもしれませんが、本の中では、少なくとも僕は見たことがない形をしています。

 

ケルブのような生命体もいますが、僕にはその顔の様態は視認できません。ぼやけているし、眩くて、視認できません。細い触手のような、というか、どちらかというと、何かの植物種の枝のようなものが何らかの力動によって運動しているものと思われます。ナイフで少しばかりその枝のようなものを削ってみると、その細胞は筋繊維のそれではないことが分かります。何らかの運動する植物は自然界にもいるものと思いますが、僕が見たことのあるそれらとは、その生命体の外形はまったく異なっています。その生命体の周りには、サナディファイと僕が呼んでいる大きな虫が飛んでいて、ケルブのような生命体は、それを食べて? います。サナディファイはフワフワしていて、電磁波を糧にしています。青色がかった灰色をしています。僕の体よりも大きいです。性格は温厚で、乗れます。

 

川が幾重にも流れている場所もあり、その川を辿っていくと、ついには地下に到達します。大地はどこまでも広がっているのですが、空間の曲率があべこべに反転している箇所が多々あり、歩いているだけで、上に飛んで行ったり、下に沈んだりします。上に飛ぶ場合を昇天、下に沈む場合を泥漿と僕は呼んでいます。

 

地下には様々な生命があります。これを観測するには松明を使うか、先述の光の思考による必要があります。無論、懐中電灯でもいいです。光の思考を抽出できると、どのような暗闇でも、光を見出す事ができます。地下はとても暗いです。しかし、ある程度進むと一転して、温かく仄かな光に恵まれます。

 

とりあえず、想像上の世界についてできるだけ具体的に少しばかり記述すると、こんな感じになります。おそらく、統合失調症ではない方などにとっては色々と衝撃的な内容なのかもしれませんので、かなり書くかどうか迷ったのですが、とりあえず、少しだけ書いておきます。みなさんの発想の手助けに、少しでもなる事ができれば僕としては幸いです。