読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。連絡先アドレス:「mmaazzyyuu@gmail.com」 何かありましたらまずはお気軽にご相談ください。基本的には何でもどうぞ。できることには無論限りはありますが。

共感術(エンパシー)

 今日は、共感について書きます。

 共感は、他人と関わっていく上で、極めて重要な能力の一つです。

 共感がまったくなければ、相手のことがまったく分からなくなってしまいますね。単純な論理構造しか見えません。

 これでは、味気ないかもしれませんね。世の中には非常に美しい感情がたくさんありますので、ぜひ、そういった、感情を余すところなく咀嚼していきたいものです。

 さて、では、共感の方法について書きましょう。なんだか、共感の方法というと変な感じがしますが、おそらく、やり方によって、人の共感性能を引き出すことができるのではないかと考えています。

 その主なものは、物語などの芸術であり、芸術の持つ、論理というよりも直観による独特の「説法」が、その人の共感能力、エンパシーを開眼するものと思います。

 ですので、基本は、多くの良い作品に触れることです。

 しかし、多くの良い作品に触れるためには、そもそもからして、既に、芸術に興味を持っている必要もあります。まして、エンパスは、感受性が強いがゆえに、時に極めて辛い思いをすることもある生き方というか、素質であると思います

 したがって、これらの素質の開拓には必然、慎重さを要するにしても、しかし、これらの能力が人生の内面的豊かさをもたらすということは、ほとんど確実なことかと思います。

 言うなれば、傷の深さだけ素敵な人間になるようなのです。その意味では、乙女は傷だらけの戦士を愛する、というふうにも言えるでしょう(たしか、ニーチェツァラトゥストラ?)。

 辛い思いをして、それでも立ち上がっている人は、魅力的だとは思いませんか? 今日はまず、それがなぜなのかについて軽く考察してみましょう。

 まず、魅力とは何か? 相手を自分に夢中にさせてしまう力のことですね。つまり、夢の中へといざなう能力が、魅力なのです。つまり、魅力とは、幻影をあやつる幻術の一種です。

 そして、ここでポイントとなるのは、すべては胡蝶の夢であるということです。つまり、すべては夢のようなものであり、現実と夢の境界というのはさほど確固としたものではないのです。少なくとも、曖昧なものであるというふうに言うことはできるでしょう。真実とは、現実的勝算のことだけを指示すわけではありませんね。むしろ、正解だとか不正解だとか、それすらも胡蝶の夢ですので。もっと大切なものがあるのでしょう。そういう現実的皮膚感覚を越えた、――つまり、脳の持つ限界周波数を突破した――そのはるか先に、大切なものがあるのでしょうね。胡蝶の夢という観点で言えば、天国も地獄も似たようなものです。どちらも夢。

 つまり、現実的皮膚感覚を越えた、ある種、オーバークロックした幻術というのは、一般的なイメージに反し、一種の実質を持っているとすら言えるのです。現実の質感を。ただ、それがいわゆる五感とは少しばかり異なっているだけ。

 そして、魅力的な人とは、これらの現実に力をもった幻影を紡ぎ出すのがうまいのです。小説家などはこれの最たるものですね。

 しかし、その力が、いつも正しく使われるとは限りません。ときには、悪に染まるように見えることもあります(一種の黒魔術)。そんなときは、白魔術によって対抗する必要も生じるでしょう。幻術を用いた戦いです。そして、これは、幻の闘いと言えど、かなり熾烈な戦です。非常に心身を消耗します。

 なぜなら、幻術を使うということは、相手に最大限のギリギリのところまで共感することができる能力、つまりエンパスがなければならないからです。そうしなければ、相手の囚われている闇の幻影とでも言うべきものにアクセスできません。とりあえず、対象にアクセスできなければ、何もすることができません。

 これは一種の捨て身です。小説家なり、そういった幻影を紡ぎ出す芸術家たちは、相手の心に適切にアクセスすることで、相手の心情を、いわば自分のものとしてトレースし、あたかも、別の自分となった状態で、そこから、直観により物語を紡ぐのです。つまり、相手の深く傷ついた心、その傷を自分にトレースします。そして、その傷を引き受け、物語の力によって、その傷を相対化し、その人を別の健全な夢へと誘います。なんだか、映画『E.T.』みたいですね。

 人の気持ちが分かるから、人の気持に届くものが書ける、というふうにも言うことができると思います。

 そして、これらの作業は、個人的無意識というよりは、集合的無意識の領野において行います。その意味では、小説とは個人に向けて書かれたものというよりも、不特定多数に向けて書かれたものです(逆に、個人に向けて書かれたものが、不特定多数に対して力を持つこともあり得ます)。

 また、いわゆるカウンセラーなどにも、ある程度、エンパシーが必要となるでしょう。相手の気持に寄りそえなければ、できない仕事です。

 結果として、深い傷を負い、それを治癒へと導く者は、相手を、夢の中へといざないます。そうすると、その救い主にたいして、どうしても、恋に落ちやすくなってしまいますね(笑) 人は。ちなみに、これを「転移」と呼びます。ですので、モテたい人は、傷付くのも手かもしれませんね(笑)。でも、下心丸出しじゃもちろん駄目なんですよ?(笑)。この点は、そのうち、「恋愛術」として一緒に検証してみましょう。今回は、共感の話に絞っていきます。

 何も問題が直接解決したわけではないのに、共感してもらっただけで、気持が楽になった経験というのは、誰にでもあるのではないでしょうか。このように、共感には、他人のためになれる、極めて優れた素質があります。

 ですので、その意味では、エンパスの人たちは、自分に誇りを持ってもいいのではないでしょうか。傷つきやすいでしょうけど、その分、あなたたちは魅力的だと思いますよ。僕は(笑)

 それで、問題は、現状でエンパスではない人たちでしたね。別に、みんながエンパスになる必要はないとは思いますが、エンパスじゃないけど、エンパスになりたいという人のために、何か書いてみようと思います。

 とりあえず、感受性とは何か。これは、物を感じ取る能力です。能力ですので、生まれつきの素因はあるにせよ、練習で向上させることはおそらく可能であろうと思います。

 要は、物を感じる練習をすればいいのです。

 仏教に「観想法」という練習法があって、これは、想像力、つまり、第六感を鍛えるために用いられるものです。

 代表的なものを、少しだけ。

 まず、水の観想から入り、徐々に瑠璃色の透明な大地を想像していき、そして、その中心に立つ黄金の大木をイメージしていきます。この際、その大地に生えた草花、動物がいれば、動物なども、子細に観察し、手に取ってみたり(想像の中で)、匂いを嗅いでみたりしてください。これにより、一種の感受性の昂進が起こる可能性が十分にあると思います。

 しかし、こうした、修行法は、案外難しいらしく、「禅病」、などという状態が生じることが、ままあるようですので、一応、リスクが伴うことは承知しておいてください。

 個人的には、この観想法を、独自にアレンジできれば、最も良いと思います。

 あと、小説などの芸術行為は感覚の使用を促すでしょう。音楽にせよ絵にせよ。感覚をたくさん使用して行うものと思います。ですので、芸術行為をおこなうのも手です。

 物語を読んだり、想像力を働かせたり、絵や音楽を鑑賞したり、あるいは――これが最もいいと思いますが――エンパスの友人を持つことだと思います。

 人間には、大なり小なり、環境への同化作用が観察されていますので、エンパスの中にいれば、朱に交われば赤くなる、感受性の昂進がある程度期待できるでしょう。

 さて、エンパスとは、共感とは、要は、「迎えに行く」ことです。こちらから相手の気持へと出向くわけですね。それで、苦しみの中にいる人のところに駆けつければ、もちろん、自分も苦しみの中に入らなければなりません。物理的に。

 こういうタフなことを続けるには、かなり、タフな決意が必要なのかもしれませんね。なかなか難しいです。

 でも、きっと、あなたを迎えに行こうとしている人はいると思いますよ。ちょっと、甘えん坊な選択かもしれませんが、そういう「お迎え」を待つのも手かもしれませんね。なんだか、「お迎え」って、保育園や幼稚園を思い出す言葉ですが(笑) でも、子供はかわいいものですので、ぜひその「魅力」という名の武器を存分に使うべきではないでしょうか(笑) その意味では、子供というのも、夢を守る「戦士」の一人なわけですね(子供への生成変化、ドゥルーズガタリ)。おもしろいことです。

 どんなに機械が発達しても、エンパスの重要性というのは、なかなか揺るがないものなのかもしれません。もちろん、機械がエンパスになる可能性がゼロとは言えませんが(笑)。今後の展開を見守っていきたいですね。

 心の痛みというのは、物理的な痛みよりも痛むものですね。もちろん物理的な痛みは嫌ですが、僕が特につらいのは、心の痛みです。

 いろんな同質化圧力があなたの前に立ちはだかるかとは思いますが、それに共振せず、自分の道を行くのも時には手かもしれません。あらゆる組織化作用を振り切って、自分の心に従うのも。いいかもしれませんね。

 

届かないなら迎えに行こう 命があったんだ この空の先で(Neru,『オーヴァークロック』,歌詞より引用)