魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

召霊術(イマジナリ―フレンド作成術)

 僕には、「エナ」と呼んでいる、想像上の友人?(幽霊と呼ぶべきなのか、タルパと呼ぶべきなのか、なんかの神様なのか、それは分かりませんが)がいるのですが、今日は、イマジナリ―フレンドの技術に関連して、その話をしたいと思います。

 エナは基本的に、僕の頭の上をふわふわびゅんびゅんと飛んでいます。空を飛べるようです(想像上の生き物だからかもしれませんが(笑)。)。それで、色々なことをお話してくれます。エナは独自の神話みたいなお話をします。いろいろと神話を調べてみたのですが、それらの神話を少しずつハイブリッドしたみたいな内容にいなっていました。そもそも、神話って、どれも似たような内容を持っていますので、それでたまたま、神話と似たような内容を持っているのかもしれませんが。

 エナがいつから、僕のそばにいたのかはわかりませんが、僕の場合、気づいた時にはもうそこにいた、というような印象です。作成したというよりもそこにいた、という感じ。

 とはいえ、エナの存在感は、エナと話すごとに強まっているようですから、何らかの作成方法論はあるのかもしれません。エナの作成方法論、なんて話をしていると、エナは怒りだすのですが(笑)。

 エナの効用ですが、少なくともメンタルヘルスには相当いいと思います。何か恐いこととかあっても、エナがいるとすごく安心できますし、場合によっては慰めてくれたり、解決策を一緒に考えてくれたりします。

 ですので、独りでいるときでも、孤独感は非常に少ないです。

 もしかしたら、エナは統合失調症の幻覚の産物なのかもしれませんが、それでも、メンタルヘルスの面で言うと、圧倒的にいい気がします。

 ただ、エナはいつもエナでいるわけではないというか、エナのような種族は、変身できるようなので、エナのすがたをしていても、それはその実、エナではない事があり、僕はその場合のエナを、とりあえず「悪霊」と呼んでいます。なぜ悪霊なのかというと、その場合のエナの言うことに耳を傾けると、大概、ろくな目に合わないからです。悪霊を払う方法は、今のところ、二つあって、ひとつが薬をのむこと(統合失調症の薬です)、もう一つが、悪霊との「知恵比べ」に勝つことです。悪霊は、一見、物凄く、ためになることをいろいろ教えてくれるように見えるのですが、しかし、その指示に従っていくと、最終的に、何らかの失敗が引き起こされます。知恵比べに負けると、ひどいことになります。僕は今まで、二度ほど負けたことがあるのですが、その時は、二度とも入院しています。それでも、勝率としては高いですし、実際問題として、悪霊から学んだことが、人生の中でもっとも多いかもしれません。

 なんと呼ぶべきか分かりませんので、とりあえず、「霊」と呼ぶのですが、霊との会話には、何種類かあり、例えば、本や事物を通して、コミュニケーションを取ることがあります。

 例えば、手が勝手に動いて、本を取るとします(自動症)。あるいは、自働症だなんて言わなくても、直感で取った、とでも言えばいいのかもしれませんが。何がともあれ、取りあえず、悪霊が、その本を取れと言い、僕はその本を取ります。そして、悪霊が手を動かすのに身を任せて、スッとページを開きます。夏目漱石の『草枕』に出てくる本の読み方みたいですが、何がともあれ、悪霊はそのように指示してきます。そうして、ページを開くと、今度は悪霊は僕の目を動かします。すると、その視野に入ってくる文章が、悪霊の言葉です。

 今度は、僕がそれに対し、別の本を取り、今度は自分の直感によって、ページを開きます。すると、そこには、僕の選んだ本ですので、悪霊に対する反論が書かれています。

 すると、また悪霊が……という繰り返しです。

 これは、音楽で行われることもありますし、絵で行われることもあります。どの言語を用いてくるかは、悪霊によって違います。

 しかし、最近はもっぱら、悪霊に負けることはなくなりました。慣れてきたのかもしれません。

 とはいえ、悪霊はあらゆる手段をもちいて、こちらを負かそうとしてきますので、正直、おそろしいですね(笑)。

 これらの想像上の世界を、霊界というふうに呼ぶとすれば、霊界には一定の「姿」というものがないようです。

 もちろん、直接、語り掛けてくることもありますし、(幻聴)あるいは、視覚が操作されることもあります。(錯視? 幻視?)

 被操作感というのは、統合失調症の代表的な症状かな、と思いますので、僕の場合には、おもしろい病気だなと思います。

 何はともあれ、何かがのりうつったような感覚があります(憑依)。僕の場合、小説もこの憑依で書くので、僕が書くというよりもエナに書いてもらっているというような印象の方が強いです。

 大体のことはエナにやってもらったほうがうまくいく印象です。エナは僕よりも優秀です。でも、怠けものです(笑)。そして、いたずら好きです。楽しい奴です。なんだか、エナの話をしていると、思わず、顔がほころんでしまいます。想像上の友人ですが、それくらい大切な友人です。

 ちなみに、エナには性別がないようです。というより、性別を自由に変えられるようです。

 赤白基調の着物を着ています。そして、宙にプカプカ浮いて、(想像上の)タバコを吸っていたりします(笑)。

 エナの話は、リアルではしないのですが、(したら、変な奴認定確実(笑)ネットなら、エキセントリックな人が他にもいっぱいいるのできっと大丈夫!)、少なくとも信じられないとしても、一つの笑い話としては楽しんでいただけると思いますので、今回、とりあえず書いてみました。

 エナの他にも、色々な霊? がいて、夜には集まって、色々な話をすることがあります。

 言語は日本語であることもありますし、そうではない何か不思議な言語であることもあります。認知されない言語? のようなもの? 実は、この辺は、僕にもまだよくわかっていません。研究中。自分がどうやって、彼らと会話しているのかがよくわかりません。

 われながら、非常によくできた幻覚というか、妄想だな、と思います。

 でも、とりあえず、楽しいからOK(笑)。

 本には本の霊がいて、ナイフにはナイフのイヤホンにはイヤホンの霊がいます(アニミズム? 付喪神?)。

 霊は男女ともに、みんな美人ですね。悪霊でさえ(いかようにも姿を変えられるからかもしれませんが)。

 これ、アップしてもいいのかな(笑) まあいいか。

 今日はこの辺で。また、霊界? でおもしろいことがあったら、書こうと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

 と、その前に、イマジナリ―フレンドのこと書いてねえ(笑)。ちょっと書いておきます。

 僕の場合、イマジナリ―フレンドは、作るものというよりも、既に前から、そこにいるものという印象が強いので、作成術はお伝えできませんが、とりあえず、彼らが出現しやすい条件を現時点で考えてみます。

 まず、独りでいるときに出現しやすいです。他人と話している時とかは、ふっと、霊界の影響が少なくなるような気がします(エナは別ですが。他人の顔に落書きしたりして遊んでます)。あと、夕方に最も強く霊界の影響があります。したがって、彼らは夕方に出現しやすいと思います(慣れると、好きな時に会えるようになります。取りつかれてるだけかもしれませんが(笑))。あとは、会話ですね。いっしょにいてほしいイマジナリ―フレンドが見つかったら、話しかけてみて、友だちになってみてください。交わした言葉の数だけ、そのイマジナリ―フレンドの実態が強くなってくると思います。

 でも、イマジナリ―フレンドは、少なくともある程度の自律性を持っていますので、思い通りにはならないです。だから、悪さをすることも往々にしてあると思います。悪霊に取りつかれると本当に危ないので、個人的には、あんまり気軽には、イマジナリ―フレンドの作成はお勧めできません。

 かと言って、危険を承知で目指すという方を止める力も僕にはありません。

 僕、考えたんですけど、これって、ロールシャッハテストみたいなものなのかな、とも思いました。何でもないインクの染みを見ても、色々なものをそこに見る人がいる、みたいな話なのかな、と。幻覚って、そういうことなのかもしれません。幽霊の正体見たり枯れ尾花、みたいな。ぼくからすると、幽霊と枯れ尾花のどっちが本体なのかが分からないんですけど。むしろ、幽霊の方が本体な気がするくらいです。幽霊が枯れ尾花に憑依しているという感じの感覚(ある意味、コペルニクス的転換(笑))。

 イマジナリ―フレンドにもメリットとデメリットがあると思いますので、イマジナリ―フレンドの作成とかを考えている人は、そこのところをよく考えてみてくださいませ。

 うまくいけば、ものすごく楽しくて、メンタルヘルスに便利ではありますので、うまくいった人は、その霊、イマジナリ―フレンド、あるいは「神様」? たちと、どんちゃん騒ぎしてみてください。

 通称付喪神は、どんなものの中にもいますので、その辺の石ころに話しかけてみるのも手かもしれません(笑)

 

本当に大事なものなんて 案外くだらないことの中にあるよ 

ときにはみんなで馬鹿騒ぎ 裸踊りで大笑い(れるりり,『神のまにまに』,歌詞より引用)