魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

精神医療における薬物療法の是非について――統合失調症当事者の立場から――

今日は精神医療について個人的に思うことを徒然に書いてみようと思います。

 

まず、全てのものがそうであるように、現行の精神医療にも多くの問題があると思いますし、そうした行いは完全なそれには遠く及ばないものであるとも感じます。厳密に完全なものは、神だけですから、当たり前と言えば当たり前のことなのですが。

 

したがって、全ての人間は、今の自分を悔い改めつつ、少しずつ良くなっていく必要があるのだと思います。そうした根源的な問題を誰もが抱えているという面においては、誰もが病人であるとも言えます。ある意味、この世界の全ての人達は皆病人です。

 

僕たちにできることとしては神様に少しでも近づくことが大切だと思います。そうすれば、神様が近づいてくださる……というふうにも思います。しかし、この言葉では、宗教の風味が強すぎて、通じづらい人も多いと思いますので、今日の記事はそうした人にもある程度通じえるように構成してみようかな、と思っています。

 

さて、では、精神医療の問題点について簡潔に考えてみましょう。僕は統合失調症の当事者ですので、今回の意見の範囲は、統合失調症のことに絞ろうと思います。

 

いつも僕の記事をお読みになってくださっている方達には察していただけると思いますが、僕は少なくとも統合失調症について擁護的な立場です。

 

つまり、「統合失調症それ自体を排斥してしまえ!」というふうには思ってはいません。

 

どちらかと言うと、むしろ「基本として、自分の身に起こったことは全て喜んでいられる方が好ましく、統合失調症も例外ではない」という立場です。つまり、統合失調症は喜ばしい資質の一つであると僕は考えています。そう考える根拠は様々ですが、少しだけ挙げておきます。

 

まず、統合失調症が体内のドーパミン量の過剰により生じると考えるのなら、ドーパミンはやる気を司るホルモンなのですから、それだけやる気や生きがい、生きる喜びを増している状態が統合失調症であると考えられる余地があります。逆に言えば、このドーパミンを抑制するということは、生来的にその人に与えられているはずの自然の欲求や喜び、快楽に関する機能を根本的に障害してしまうことを意味しえることになります。やる気が出なければ、認知機能も低下してしまいますし、様々の運動の機能、社会的な機能も著しく低下してしまうでしょう。個人的には、統合失調症におけるやる気の低下、いわゆる「陰性症状」という現象はこのように抗精神病薬の副作用によって起されている可能性が高いというふうに考えています。実際、僕個人の服薬経験から見ても、あるいは諸々の薬理学を参照しても、抗精神病薬から多くの副作用が生じえることは確かであろうとは感じています。ここでは、僕個人の服薬経験から言えることを簡潔に記しておきます。

まず、服薬によって能力は全般的に低下します。記憶力、計算能力、IQに纏わると思われる頭の回転、発想力、運動機能、コミュニケーションへの意欲、性欲、喋る際の正常な構音能力、リビドーの量……これらすべてが服薬によって大なり小なり失われます。服薬しない場合に比べれば、という話なので、当然、服薬していても、能力が高い人もいると思いますが、そうした人の場合、服薬を中止することで、能力自体はもっと向上する可能性が高いと僕は考えます。また、これらの薬物による服薬感は極めて不快なものであり、服薬当事者のアイデンティティや尊厳、幸福を著しく破壊します。特に薬剤の飲み始めの頃の副作用はひどく、それまで自殺を考えたことがなかった僕でさえも、死にたいと思ったこともあります。何せ、頭がボウっとしてしまって何もできないのです。これでは、生きている価値がありません。大体以上が、僕の個人的な服薬体験についての概要になります。以上のような自分の経験と、薬理的な理論を総合して、個人的には、精神医療における少なくとも統合失調症に対する薬物療法については極めて否定的な立場です。

 

では、薬物を即刻やめればいいのでしょうか? これはそうとも言い切れない面があります。少なくとも、もう既に精神病に対する薬剤を投与されている場合には、「過感受性精神病」という現象が生じる可能性もありえます。例えば、ドーパミンならドーパミンに対する体の感受性が薬剤の影響によって過度なものになることで、薬剤を急激に停止すると、その揺り戻しが起こって、精神病的な状態が生じてしまう可能性が否定できないと思います。したがって、薬を中止したい場合には医師に相談する必要性が生じえると思います。また、薬を飲んでしまうと、そうしたリスクが出てくることから考えましても、飲まないで済む薬は飲まないに越したことはないと僕は思います。

 

簡潔に言えば、統合失調症でない人が統合失調症の何らかの薬を飲むことで統合失調症のような症状が生じることがありえると思います。ある意味、精神医療が精神病を作っている……というような発想もここにはありえると思います。

 

以上のことから、僕は精神医療による統合失調症に対しての薬物療法には極めて否定的なわけですが、色々な方や考え方が世の中にはあることはある程度理解できますので、反論を許さないなどと言うことはありません。むしろ、適切な反論があるのなら、僕自身のためにもそうした説が喉から手が出るほど欲しいわけです。その方が、自分の認識の正確性を向上させる上で有利なわけですから。

 

統合失調症の人の中にも、薬物を飲まずに、何年にもわたって再発しないグループも存在するが、そうした人は病前機能が高い……とする説もあるようです。

 

こうした事情は、病前機能の高さが統合失調症に対して有効に作用することがありえる、というような意見を構成できる契機になりえます。

 

つまり、機能、「能力」の向上によって、統合失調症の再発を食い止めることができる可能性を想定することができるわけです。

 

逆に言えば、著しく様々の能力が高い人の場合で、それでもなお薬物が一種の「保険」的な意味合いで投与される場合、それは虐待的であると考えられるということです。なぜなら、その場合、その薬物療法が不要な治療である確率が高くなりえるからです(とは言え、嫉妬することなく他者の能力や資質を公正に評価することができる客観的査定能力というのは極めて天才的で稀有なものでもあるのですが。大概の査定の試みの場合、他者の善き資質への嫉妬心などから観察するための目が曇り、他者への過小評価とそれに付随したレッテル貼りに終わります)。

 

なぜ、不要な治療が虐待的であると言えるのか? 例えば、どこも悪くない健康な人に対してその体を著しく傷つけるような手術や抗がん剤を処方することは虐待的であると言えると思います。よって、不要な治療を施すことは虐待的である、というふうに主張できる余地がありえます。

 

まして僕個人の経験としては、統合失調症を抑止するという名目で処方されている薬剤の副作用は極めて著しいものであると感じます。それらは深刻に服薬者の生きがいを毀損しえるという点において、自殺のリスクを上げうるものであると思います。この説が正しければ、統合失調症の人では、かなり自殺への観念を持つ人が多いということもありえると思います。通常の人よりも自殺する人の数が多いということさえありえるかもしれません。その意味では、抗精神病薬の投与、まして不要なそれの投与は、虐待を通り越して、「殺人」であるとさえ言いえるのではないかと、僕は思います。

 

最後に、僕が精神医学に不信感を抱く理由をもう一つ記して終わりにしたいと思います。思うところはたくさんありますが、その問題点を数え上げれば切りがないわけですので、どこかで制限をつけねばなりません。

 

統合失調症へのスティグマが当事者たちの名誉を深刻に毀損し、その幸福追求権を著しく阻害していることについてはまず僕が指摘するまでもないことだとは思います。したがって、そうした誰の目にも明らかなことではなく、当事者だから言いうると思われることにここでは着目してみようと思います。

 

さて、それは統合失調症の「再発」と能力の関係です。まず、一般的な精神医学では、統合失調症は再発する毎に能力の低下を来し、さらにその再発前の機能は「決して」回復することはない、とされてきました。

しかし、この説は僕の経験に真っ向から対立しています。つまり、僕は初発の他にもう一度再発したことがあるのですが、その発症のたびに能力が全般的に著しく向上しています。むしろ、経過を自分なりに観察していると、その再発の後に、薬剤を投与されることによって諸々の能力低下が生じています。また、薬をたまたま飲み忘れた場合と飲んでいる場合の比較では、一目瞭然で、飲み忘れている時の方が高い能力を示しているように思われます。前記の通り、統合失調症に対する薬物は人間にとって大切な様々の機能を深刻に障害するというのが僕の考えですので、この障害の原因である薬物を中止することで、能力が改善する可能性があるというのは、少なくとも僕からすれば自然な理路なわけです。

簡潔にまとめれば、僕個人の体験としては、統合失調症によって能力が失われたどころか、むしろ向上している、ということです。

 

具体的に言えば、まず、病前は理解できなかった諸々の数学への理解力が向上したり、行使できる語学の種類が増えたり、読書において処理できる情報の量や処理速度が上がったり、薬に関して言えば薬を飲んでいれば何度も反復練習する必要があることが薬を飲んでいない場合には一度で記憶できたり、スポーツなどをしていても著しく運動機能の向上が感じられたり、人とのコミュニケーションに積極的になれたり……要は、全ての能力の向上が大なり小なり見られます。

 

統合失調症は現時点では、原因不明の疾患とされており、様々な説があるので、一概に断言することは何事についてもできないのですが、少なくとも、僕個人の経験や僕が見て個人的に研究した成果として生まれる所感については以上のようなものになると思います。少しでも皆さんのお役に立てればいいのですが。

 

 

補足

最初に記した通り、問題が山積みなのは精神医学に限らず、全ての人や物がそうであるわけですから、ある程度は寛容に「許す」という姿勢も必要かと思います。とはいえ、精神医学から端を発した統合失調症へのスティグマなどに苦しめられている多くの人達がいるのもまた事実なのであろうとも思います。事態はいつもどんなものについてでも難しく、分かったつもりはできないし、対論を不用意に排斥することもできませんが、そうした泥沼の惨状の中においても、僕のこの意見が何らかの善い効力を持つことを願ってやみません。皆さんの幸福を心からお祈り申し上げます。