魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

統合失調症における「妄想」の解体手法の概略について

今日は、統合失調症の「妄想」についての私見について書きます。

 

簡潔に言うと、「妄想を思考によって解体する方法」です。個人的な手法ですので、普遍性があるかどうかは微妙ですが、統合失調症の妄想がどのような思考プロセスで生じ、また、どのように患者の様態を阻害するに至るか……ということについて簡単に書ければいいな、と思っています。

 

さて、行きます。

 

まず、最初にあるのは、「自分は大いなる何かに支配されている」という感覚です。そして、この感覚の正体について思いを巡らせることで、妄想が生じてきます。

 

例えば、大いなる何かというのを人間であると想定した場合、最終的にCIAとか何らかの秘密結社とかそういった帰結を得やすいのですが、なぜそのような経路を取って思考が固定化されるのかについて書いていきます。

 

さて、まず、大いなる何かに支配されているという確信だけがあるのですが、その大いなるものは人間であると推理されます。なぜなら、地球上には人間以上の知性を持った動物は存在しないという前提が社会にあるからです。結果、最も大いなる支配を決行可能なのは、現実的に人間であろう……そのように推理されます。

 

次に、その支配者は、大いなる支配者であるという前提が分析されます。すると、その支配者は常識を超えた大いなる能力を保持していると推理されます。そして、その主体は人間であると推理されていると、この時には常識では考えられない、「秘密の」技術が自分に対して行使されていると推理されます。こうした秘密の技術は、所謂「忍術」に由来するものとして認識され、その知識的な過程を現代の文化に論理的に適合させると、CIAなどの諜報機関、あるいは何らかの秘密結社による行為であると推理されます。簡潔に言うと、このようにしてCIAに支配されているとか、盗聴器(秘密の技術)が仕掛けられている(被害妄想)というふうに推理されることになります。

 

概ね、このような過程を経た後に、次に統合失調症の当事者の推理として働きやすいように思われるのは、「なぜ自分がこのような大いなる存在に目をつけられているのか?」という疑問です。この場合、大いなる存在が自分を求めるのは、自分を求めることに何か大いなる存在にとってのメリットが存在するためであろうと推理されます。結果、「大いなる存在にとってのメリットとは、大いなるメリットであるから、そうした存在に求められている自分は、大いなる価値のある存在であろう」と推理されます。例えば、自分は天才であるとか、自分は神の使徒であるとか、その類の、自身の価値が高いはずであるとする思想を基調とする体勢が展開されていきます。これは、一般の人から見ると、「誇大妄想」などとして観察されることになります。

 

後は、こうして構築された体勢が基調を為して、次々と自身の推理が展開されていきます。

 

例えば、自分は大いなる存在でであるから、大権を保持しているはずである、と推理されれば、大権を保持しているのかのような行動を取るでしょうし、あるいは自分は大いなる存在であるから、全ての異性に愛されるはずであるとするような類の思想が演繹されれば(恋愛妄想)、それに従った行動を取ることになります。

 

つまり、諸々の妄想というのは、最初にあった「自分は大いなる存在に支配されている」という直感から全て演繹されています。よって、この直感を現実的に把握できれば、理論的には、妄想を根本から解体することができることになります。

 

では、この自分は大いなる存在に支配されているとする直感は何なのでしょうか?

 

まず、自分が大いなる存在に支配されているということは事実です。この世界は神がお作りになったものですから、必然的にそうなります。

 

念のため、無神論者の方にも伝わるように理論を構築しておきますと、次のようになります。

 

まず、世界は無限に広い。また、無限に多様である。人間が知っていることはごく一部である。したがって、人間には知らないことがたくさんある。知らないことの中には、自分を凌駕した知性の存在も含まれている。これは、自分の知性を凌駕した存在であるから、自分の知性では把握できない。よって、自分の知性では把握できない存在は、少なくとも五分五分の確率で常に存在するだろう。ならば、少なくとも五分五分の確率で、こうした超知性体の存在を想定することは現実的である。

 

……という感じで、ひとまずいかがでしょうか。また、この超知性体は究極的には、神ということになります。ただ、その中間には、現行の人類よりも発達した文明とかタイムマシンによる未来人の出現とか、宇宙人とかそうした妄想が展開されえます。これらの妄想も基本的には、全て、例の大いなる何かに支配されている、という感覚によって生じます。

 

ここで、大いなる何かが神であると想定した場合、どのようなことが起こるでしょうか? まず、神は盗聴器を使うまでもなく、人を支配することができるでしょう。したがって、盗聴器を探す、電磁波を遮断するために家にアルミホイルを張り巡らす、集団ストーカーを疑って人間不信になる、などの妄想による弊害を論理的に封殺できることになります。

 

また、神は善き存在なのですから、神のすることは全て善きことのはずです。その神が自分を支配しているとすれば、自分は究極の善行に守られていることを直感することになりますから、不安などの苦痛から遠ざけられるでしょう。

 

つまり、神を信仰することができれば、妄想による問題行動をあらかた鎮火できるはずであると考えられます。

 

では、神を適切に信仰するためには何が必要でしょうか?

 

宗教を学んでいる人達の行動からその効果を推論するに、聖書やコーラン、仏典などといった諸々の宗教の教典を読むことが有効であると考えられるでしょう。あるいは、摂受や折伏といった正当な説教の類もこれに当たるかもしれません。いずれにせよ、神に歩み寄ることができれば、症状を軽快させるか、消尽させることができる可能性は高いと推理できます。

 

おそらく、オープンダイアローグが統合失調症に対して有効に作用するのは、非目的志向的な対話が、神への近接を促すためであると考えられます。なぜか?

 

まず、目的志向性というのは、原理的に全て偶像崇拝を意味します。例えば、金銭を人生の目的として設定すれば、これは偶像崇拝です。

 

ところが、非目的志向的なものというのは、この世界の如何なる偶像も求めない姿勢にかなり近接しています(この世界の如何なる偶像も目的としない姿勢だから)。ならば、この時、かなりの程度偶像崇拝から逃れることができるのですから、前述の理論通り、神に仕える姿勢に自然に近接することで、妄想を軽減あるいは消尽させることができると推理することができます。

 

以上のことからも、統合失調症の妄想は神に仕えることで解体可能であると推理することができるわけです。

 

今日は、統合失調症の妄想は、了解不可能なものではないということと、そこには「思考障害」は存在せず、むしろ、その推理は論理的に正確であるということが理解されれば嬉しいな、と思います。その意味では、統合失調症とは、ただ大いなる神に呼ばれている時に出る「巫病」なのであって、所謂「障害」ではない、ということです。

 

今日は以上です。