魔法、魔術について合理的に考えてみるブログ

「魔法使いになりたい」、という欲望について真剣に考えてみました。

自立と依存

最近、パソコンをダークモードで使っているのですが、サイトによっては真っ黒になってしまうことなどもあってけっこう不便なんだなという発見がありました。

 

綺麗に黒くなる場合もあれば、おお、黒すぎや! となる場合もあり、色々です。

 

パソコンの適切な運用手法と言うのも面白い議題なのかもしれませんね。上手く深めることができれば。

 

最近は、パソコンもそうなのですが、ブログの適切な運用手法とは何か? と言うことについてもよく考えます。

 

結論としては、好きに書けばいいのだろう、と思います。特に悩むこともないし、承認欲求も個人的にはないので、いつもマイペースですね(笑)

 

「他人の評価を気にする」というのは時に自己愛性パーソナリティ障害の特性などに数えられていますが、どうなのでしょうね。

 

けっこう多くの人が人からの評価や承認を気にしていらっしゃるように思います。そして、僕から見れば、そうした人はまったく「障害」ではないように思いますし。

 

もちろん、個々人なりに色々な悩みや苦悩はあるのでしょうが、世の中で障害とされているほとんどのことって、実は何でもないことである場合も多いよなと思います。特に精神障害人格障害の場合はそうで、何でもかんでも障害にされている節はあるのかもしれません。

 

多分、他人の評価を気にすることを障害であるとすれば、ほとんどの人が障害になってしまうのでしょうし。何せ、人間は社会的動物ですから、多くの場合では、社会性を求めて、他人との関係に依存するものと思われます。

 

僕はそういう人が間違っているとは思わなくて、「別に人に依存してもよくね?」とは思ったりします。

 

自立は大切ですが、完全に社会から自立できてる人なんてまずいないですし(笑)

 

おそらく多くの場合で、人はどこかしら何かには依存しているものです。どんな人でも。

 

だから、依存しても良いし、自立しても良いし、好きにすればいいように思います。

 

どの道、それらの観念も絶対のものでもなくて相対的な虚無でしかないと言えば、それはそうなのでしょうし。

 

では、ニヒリズムしかないのかと言うと、そうでもなくて、色々なやりようがあるわけですね。

 

確かに能力が低まるほどに、お金とか地位とかのような分かりやすい単純な指標に依存せざるをえないかもしれません。しかし、そこから自立している人でも、それはとても立派だとしても、別の何かには依存しているだろうと思うんですよね。

 

世の中は持ちつ持たれつで、そのような自立と依存の間の曖昧さに対して耐性を持ち、割り切れない世界の複雑さに対する抵抗力を持つことこそが「知能」であるようにも思います。

 

すぐに行動化してしまうのは一時的には楽ですが、じっくり考えるのも時に大事ですね。僕も行動的になりすぎるきらいがあるので、上手く思考していきたいものだなと思います。

 

地道に努力して色々な固執やしがらみから「自由」になっていきたいですね。